1949年7月3日、静岡県沼津市に生まれる。

映画との最初の遭遇は5歳のとき、沼津セントラル劇場で見た「山河遥かなり」。このフレッド・ジンネマン監督作品を見て主演のモンゴメリー・クリフトのファンとなる。映画の現場との最初の遭遇はほぼ同じころ、御殿場で目撃した「七人の侍」。小学生時代は東映時代劇のファン。殊に大川橋蔵と大川恵子が好きだった。小学校の高学年になると西部劇、戦争映画中心にアメリカ映画に傾倒。「ワーロック」以来、リチャード・ウィドマーク大好き少年となって現在に至る。ウィドマーク主演映画を作るのが夢でもある。

沼津東高校在学中から映画監督となる夢を追いはじめるものの、自主製作には走らず、ひたすら商業映画でのデビューを目指す。といっても、現実には大学浪人してみたり喫茶店でバイトしたり(「さらば映画の友よ」にその当時の様子が描かれている)写真専門学校へ通ったり英語学校へ通ったりキネ旬友の会で映画友達を漁ったりの、とりとめのない4年間を過ごす。

1972年1月から6月までロンドンに語学留学。この時期に英国で公開された「ラスト・ショー」の評論をキネマ旬報に書いてプロの評論家デビュー。ロンドンでは英語学校よりもナショナル・フィルム・シアターに連日通って、ハードコアなシネアストに成長。そこでハワード・ホークスを「再発見」して、映画監督としての理想の姿を「コンドル」(1939)を中心とするホークス作品の登場人物たちに見出す。同年7月、サンセバスチャン映画祭に審査委員長として招かれたホークスとの出会いを求め、ロンドンからベルリン映画祭を経てサンセバスチャンへ入る。バスク地方の港町で始まったホークスとの交友は、以後1977年12月26日のホークス逝去まで継続することになる。

1973年からはロサンゼルスをベースに本格的な映画評論活動を始め、1976年ジャーナリストの福田みずほと結婚。長女麻穂はヴァンクーヴァー在住。長男遊人は「金融腐蝕列島・呪縛」のクリス・ゴタンダ役で本格的に役者デビュー。「狗神」では準主役の土居誠二を演じている。急速に原田作品に欠かせない俳優に育ちつつある。

原田家のカリフォルニアと日本との二重生活は21世紀になっても続きそうだ。