2008/05/07 (水) 変。とても変。
■日本経済新聞に依頼され、日本大学国際関係学部で教えることになったMY EXCUSEを書いた。上中下の三回分。
2日の夕刊に載った「上」篇に一ケ所意味が通じないところがある。それを、昨日の日米比較文化のクラスで社会人聴講生から指摘された。井上靖作品を読みこなしている人には即座にわかる間違いである。問題の掲載箇所はこうなっている。
サンプルA 「夏草」は幼年時代だから、今度はおれたちの沼津中学体験を書いてくれ、といったかつての同級生たちの声がベースにある。
「夏草」というのは文豪井上靖先生の「少年時代」を綴った「夏草冬涛」のことである。エッセイの骨子は、大学で教えるきっかけになったのは文豪の作品群との再会が根底にあることを書いている。問題箇所のぼくが送付した文章は出だしが違う。
サンプルB 「夏草」は、幼年時代を書いたのだから今度はおれたちの沼津中学体験を書いてくれ、といったかつての同級生たちの声がベースにある。
いい文章ではないが、新聞の字数制限があるためにこのような表現を取った。前文と併せて読めば意味が通ずると確信したからだ。その前文はこうである。
「しろばんば」は完成度の高いこん身の自伝である。
つまり、説明過多の文章が許されるならば続く文章はこういう書き出しになる。
サンプルC 続編の「夏草冬涛」は、「しろばんば」で幼年時代を書いたのだから(以下同文)
■著者校正はやった。ただし、ぼくの書き方が曖昧だった。つまり、送られて来たゲラはサンプルAの「幼年時代」と「だから」の間に「を」が入っていた。「を書いたの」と入れなければ意味が通じない。句読点も含めて元に戻せ、とはっきり指摘すればよかったのだが、そうは書かなかった。
「幼年時代をだから」の文章を修正、とのみ書いたのだ。
前提として、相手が「しろばんば」=幼年時代、「夏草冬涛」=少年時代前期、という区分けが出来ていると思っていたのだ。つまり、責任はぼく。
故に、掲載紙を読んで愕然としたものの抗議などしなかった。しかしながらわかる人にはわかるわけで、しかも間違いを指摘して来た生徒から「訂正文は出さないのですか」とまで言われてしまうと、新聞で「お詫びと訂正」はできなくとも自分のサイトで「お詫びと訂正」だけはすべきであると、ここに長々と書いた次第。改めて、井上靖作品のファンを混乱させたことをお詫びいたします。続く「中」と「下」ではこのようなことが起きないように厳正に校正をいたします。
■というわけで、昨夜、著者校正に廻って来た「中」の原稿にも字数調整のための省略やら書き換えやら色々あったので全面的に書き直して送り返した。
さて、「とても変」と感じたのはこのこととは無関係だ。それをこれから書く。
昨日は世間一般では振替休日であったが国際関係学部では授業があった。朝の新幹線はがらがらだったが、帰りが連休最終日ということもあって混雑が予想された。回数券も使えないのでハナから自由席は諦め、指定席券をあらかじめ購入しておいた。授業が終わるのが14時半だから、15時以降で最初に取れる座席を買った。それが、19時55分三島発のひかりだった。
時間があまったので、15時から18時までをオフィス・アワーとして本館三階のオフィスで過ごした。訪ねて来た生徒と雑談をして、それなりに有意義に過ごすことは出来た。夕食は沼津で食べようと決意し、18時6分発の鈍行で沼津へ向かった。6分後、沼津駅改札を出た。街は閑散。連休の最終日とも思えない。
問題は何を食べるか、だが、「北口亭」の餃子は二週間前のゴルフ帰りに食べたばかりなのと18時過ぎでは売り切れにつき閉店の可能性大なので選択肢にはなかった。
狙いは「さがみ軒」の冷やしラーメンである。あんかけのタレで食べるこの店オリジナルの味で、万民に奨める料理ではないが、ぼくにとっては故郷の、幼年時代の味覚のひとつだ。これは、大概の人が、初めて食すと怒る。本気で怒る。静岡県西部の人間が美味と考えるたくわん入りのお好み焼きと同じくらい「なんだこれは!」の食べ物である。しかし、まんじゅうの天麩羅をそばに入れて食べる福島県民の風習には近いかもしれない。甘さと醤油味の微妙なせめぎあいが根底にある。
■この冷やしラーメンと似通ったアプローチで、沼津にはもうひとつの名物がある。雅心苑の雅心団子だ。これはおやつ感覚だから撮影中にクルーやキャストに配っても大好評となる。冷やしラーメンはそうはいかない。細かなガイダンスと心の準備が必要となる。
要は、「なんだこれは!」の初体験でもとにかく食べなければいけない。残すな、とは言わないが、少なくとも60%、時間にして15分、この味に浸っておくのである。すると、不思議なことが起きる。
翌年、冷やしラーメンの季節が来ると、世間一般の冷やしラーメン、あるいは冷やし中華を食べている最中に甦って来るのだ。「さがみ軒」の味覚が。
あれは一体なんだったのだろう。純粋行動系の食通は「さがみ軒」に回帰する。そして、冷やしラーメンと再会し、う、うまい、と思うのである。
とはいえ、「さがみ軒」は本来の醤油ラーメン、五目かたやきそば、蟹入りチャーハンという御三家が健在で、昨夜も、ぼくはギャガ宣伝部に地方キャンペーンまでに5キロ体重を落とすと宣言した身でありながら冷やしラーメンとチャーハンを食べてしまった。
で、これも「とても変」な話ではない。
■ 理解不可能な現象はその後、出現した。
新幹線の時間までなお1時間以上あったので生まれ育った沼津市大手町110番界隈を散策することにした。生家跡地はずっと昔に駐車場になったことは承知していた。そこへ達するべく、さがみ軒を出るとぶらぶら歩いて城岡神社に達した。
神社の前でぐるりと見渡すと、幼少時の思い出があるのは田沢病院のみで他は駐車場ビルになっているので驚いた。ひょいと覗くと城岡神社の地下も駐車場になっている。「なんじゃこれは」とつぶやき、田沢病院の十字路を、一才年上だったノリコ様(だっけ?)との胸がどきどきするかくれんぼのことなどを思い出しながら左折して再び「なんじゃこれは」の十字路に出た。
東海バスの跡地が巨大駐車場ビルになっている。ここを右折して角から保険会社の沼津出張所、沼津税務署、我が生地&聖地「美家古」旅館と続いたのだが、唖然。
こちらも駐車場ビルだ。その駐車場と学校のビルに挟まれ、後方に沼津グランドホテルを擁する空間、スルガパーク24というサインのある何の変哲もない駐車場が、我が生地なのだ。
学校のビルがある十字路にもパーキングが出来ていて、大手町は一大パーキング・エリアに変貌してしまった。これはしばし動けなくなるほど、とても変な感じがした。区画は昔のまま。しかし、駐車場ビルが主役。その中で、ぽつんとひとつ、オープンのエリアが自分の生まれた場所。
変だ。とてつもなく変だ。
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