2020/03/29 (日)

THE DARKEST MARCH


私は戦後生まれだから戦禍は知らない。故に、2020年3月は人生で最も暗鬱な3月となった。きょうは大雪。私の書斎の窓から眼前に広がる隅田川と永代橋の景観も、吹き荒ぶちょっとした雪嵐に閉ざされている。隣接の高層ビルすら霞んでいる。自粛要請に応えるには丁度よい天候だ。

首都封鎖が秒読みだとニュースは煽る。となると、4月に予定されているモロモロのマイ行事が潰れてしまう。長期戦は覚悟している。だからといって買いだめなどせず、日々必要なものを買う。長期戦の心準備はあるのだから、「燃えよ剣」は5月22日に公開するものと信じて宣伝に邁進する。次回作は、6月初旬にクランクインできるものと信じて突き進む。

この一週間のマイ行事はロケハンも含めて前進した。主要キャストとのとても有意義なアクション打ち合わせ、優雅な会食があり、メインの最後のひとりを決める意気軒昂のカメラテストもあった。それぞれの局面では、「戦時下の緊張」は皆無だった。

ただし、昨夜の夢は私が抱えるフラストレーションがそのまま握り飯のようにしっかり固められて提示された。満席の映画館がMLBのスタジアムになっていた。ピッチャーは観客席中段に身を潜めて前の観客の頭越しに投球する。バッターはスクリーン前で打つ。ゴロで観客を直撃するアタリはなくて、皆、フライだ。走塁は通路を使うが通路にも観客が座っている。ラグビーのようにぐっちゃぐちゃになって走る。観客席から水鉄砲でバッターを射つ奴がいて、私はバットを握りそいつに殴り掛かる。そいつの顔はーーー。よく見えなかったということにしておこう。

ところで、意気軒昂のカメラテスト。

こういう企てをするたびに、若手俳優の意識が高まっていることをつくづく感ずる。今回は、既に決定している若手スターA男の相手役のB女を選ぶカメラテストで、A君が候補5人とシーンを演じた。

基本は、テキスト通りの立ち芝居、テンポアップしたテキスト&アドリブ、雑談から座ったままのテキストの会話への切り換え&アドリブ、動き自由のテキスト&長めのアドリブの4段階。ケミストリー、つまりふたりの化学反応式的相性を見るわけだから細かい演出はつけない。

5人それぞれ、通常のオーディションなら合格するレヴェルだ。私の合格レヴェルは3人がクリアし、ひとりが、飛び抜けていた。

A男とB女に私が現場で要求するのは、最近の例でいえば、「マリッジ・ストーリー」のスカーレット・ジョハンソンとアダム・ドライヴァーのオーヴァラップする会話の感性だ。飛び抜けていた彼女は、「マリッジ・ストーリー」を見ていた。おまえならスカーレット・ジョハンソンになれるよ、と言うと、間髪いれず返って来た一言が素晴らしかった。

いえ、わたし、アダム・ドライヴァーになりたいんですっ!


2020/03/29 (日)

THE DARKEST MARCH


私は戦後生まれだから戦禍は知らない。故に、2020年3月は人生で最も暗鬱な3月となった。きょうは大雪。私の書斎の窓から眼前に広がる隅田川と永代橋の景観も、吹き荒ぶちょっとした雪嵐に閉ざされている。隣接の高層ビルすら霞んでいる。自粛要請に応えるには丁度よい天候だ。

首都封鎖が秒読みだとニュースは煽る。となると、4月に予定されているモロモロのマイ行事が潰れてしまう。長期戦は覚悟している。だからといって買いだめなどせず、日々必要なものを買う。長期戦の心準備はあるのだから、「燃えよ剣」は5月22日に公開するものと信じて宣伝に邁進する。次回作は、6月初旬にクランクインできるものと信じて突き進む。

この一週間のマイ行事はロケハンも含めて前進した。主要キャストとのとても有意義なアクション打ち合わせ、優雅な会食があり、メインの最後のひとりを決める意気軒昂のカメラテストもあった。それぞれの局面では、「戦時下の緊張」は皆無だった。

ただし、昨夜の夢は私が抱えるフラストレーションがそのまま握り飯のようにしっかり固められて提示された。満席の映画館がMLBのスタジアムになっていた。ピッチャーは観客席中段に身を潜めて前の観客の頭越しに投球する。バッターはスクリーン前で打つ。ゴロで観客を直撃するアタリはなくて、皆、フライだ。走塁は通路を使うが通路にも観客が座っている。ラグビーのようにぐっちゃぐちゃになって走る。観客席から水鉄砲でバッターを射つ奴がいて、私はバットを握りそいつに殴り掛かる。そいつの顔はーーー。よく見えなかったということにしておこう。

ところで、意気軒昂のカメラテスト。

こういう企てをするたびに、若手俳優の意識が高まっていることをつくづく感ずる。今回は、既に決定している若手スターA男の相手役のB女を選ぶカメラテストで、A君が候補5人とシーンを演じた。

基本は、テキスト通りの立ち芝居、テンポアップしたテキスト&アドリブ、雑談から座ったままのテキストの会話への切り換え&アドリブ、動き自由のテキスト&長めのアドリブの4段階。ケミストリー、つまりふたりの化学反応式的相性を見るわけだから細かい演出はつけない。

5人それぞれ、通常のオーディションなら合格するレヴェルだ。私の合格レヴェルは3人がクリアし、ひとりが、飛び抜けていた。

A男とB女に私が現場で要求するのは、最近の例でいえば、「マリッジ・ストーリー」のスカーレット・ジョハンソンとアダム・ドライヴァーのオーヴァラップする会話の感性だ。飛び抜けていた彼女は、「マリッジ・ストーリー」を見ていた。おまえならスカーレット・ジョハンソンになれるよ、と言うと、間髪いれず返って来た一言が素晴らしかった。

いえ、わたし、アダム・ドライヴァーになりたいんですっ!


2020/03/13 (金)

神話劇場。


世の中ますますわけのわからないことだらけ。コロナウィルスも怖いが権力乱用ウィルスも怖い。文明とはかくもたやすく崩壊していくものか、というシナリオが見え隠れしている。コロナウィルスはいずれ抑え込めるだろう。権力乱用ウィルスはなかなか抑え込めない。狂気と欺瞞の集積たる権力者は日々増殖している。

コロナ禍は、人類滅亡回避の予備選だと思う。これで一般ピープルが知恵をつけヒトラーではなく民衆を率いる自由の女神を発見できれば未来は明るい。私はひたすら映画道を突き進む。映画を見る、映画を作る、映画を見せる、の三原則を冒す病魔とはとことん戦えるよう基礎体力をつける。

それにしてもコロナコロナでなんと時間が早く過ぎていくことか。心理的には、次回作の準備に追いつけない。



2月末から本日まで、人が集まる映画館へ行き、4本の映画を見た。順番に書くと、地獄の黙示録ハスラーズスウィングキッズレミゼラブル。評価はABBA。

「地獄の黙示録」は今回の「FINAL CUT」を含め、すべてのヴァージョンを見て来た。何度見ても、感想は同じ。カーツ山砦へたどりつくまでは大傑作。

しかし今回は、私の次回作と根底でつながっている。というか、私の次回作の原作本と根底でつながっている。ゆえに、緊張感を持って、襟を正し、舐めるように見た。そしてひとつ、それなりに納得したことがある。

オープニングはTHE GOLDEN BOUGHなのだ。日本語でいえば、「金枝」。

J.M.W.ターナーの描いたTHE GOLDEN BOUGH。

に、閃きを得て、人類学者ジェームス・ジョージ・フレイザーが上梓したTHE GOLDEN BOUGH 。

を、読みウィラードにレクチャーするマーロン・ブランドのカーツ大佐。(カーツの愛読書はフレイザー本とジェシー・ウェストンのFROM RITUAL TO ROMANCE)

つまり、オープニングはターナーの「金枝」。最終章はフレイザーの「金枝」。

オープニングは神話の領域の、映画史に残る耽美。最終章は映画史に残る自滅の混沌。



フランシス・フォード・コッポラは一年に及ぶフィリピンでの撮影で疲弊し、おのれを見失い、卓越したアルチザンとしての技術を放棄した。入念に構築された闇の奥への旅は、ゴールの儀式で解体され無惨の衣をまとう。

マーティン・シーン演ずるウィラードの前任者である暗殺者コルビー(スコット・グレン)とリア王の道化(FOOL)を演ずるデニス・ホッパーの突っつき散らかしぶりはどうだ。さらに言えば、培った技術でカーツ役を乗り切ろうと謀るマーロン・ブランドの虚しさはどうだ。

身体能力の愚鈍なブランド/カーツは、フレイザーのいう「殺される神」として不適格だ。コッポラは、ブランドが、体重過多でなんの準備もなくロケ地パクサンハンにやって来た時点で負けたのだと思う。ブランドがいなければ「地獄の黙示録」は製作に漕ぎ着けなかった。ブランドがいたから「地獄の黙示録」は壮大な失敗作となった。

カーツの死に至る儀式は、俊敏なカーツとウィラードの、同列で戦う戦場が必要だった。殺される神は、ウィラードの殺す能力を見て初めて、神の座を受け渡すのだから。



コッポラの描いたウィラードは、カーツに出会うまで、映画的にはヴェトナム女ひとりを殺しただけだ。カーツの目の前で、殺戮の技能を見せることが論理的であり映画的カタルシスでもある。その時の敵は、この作品に於けるコマを有効に生かすならば、クリスチャン・マルカン以下のフレンチ植民軍がいるではないか。そもそも、カーツとフレンチ植民軍が、近距離で共存していること自体が不思議なのだから。

それが、3週間の期限つきでブランドと契約してしまったコッポラにはできなかった。企画当初から、スターを並べることに血道を上げたコッポラに廻って来たツケだ。それは映画監督の本来あるべき姿ではない。権力乱用ウィルスに冒されたプロデューサーの側面だ。

とはいえ、ジム・モリソンの歌が聞こえるオープニング・シークェンスと、ロバート・デュヴァルが戦争の狂気と欺瞞と高揚を演じ切る空の騎兵隊のエピソードふたつだけで、「地獄の黙示録」は映画史に君臨する傑作である、と断言できる。ワルキューレが鳴り響く中での戦闘は、名もなきヴェトコン少女の英雄行為も含め、映画監督としての最高の神話劇場だ。

コッポラは「地獄の黙示録」の映画作りで高貴なリア王の座を掴み、やがてボロ布をまとった老いぼれリアにもなった。



「ハスラーズ」は後半ダレた。ジェニファー・ロペスが折角いい味を出していても、脚本演出に能がない。故にB。

「スウィング・キッズ」はダンス・ナンバーが一流。コジェド捕虜収容所の殺戮と暴動を扱った脚本が大混乱。脚本監督カン・ヒョンチョルの知性を疑う。主役のD.O.、ジャレッド・グライムス、パク・ヘス、キム・ミンホウが素晴らしいのに。これも総合B。タップの見せ場はA+だが。

カンヌでは「パラサイト」と「アトランティック」に金、銀をもっていかれ、銅メダルの審査員賞だった「レ・ミゼラブル」だが、本日、作品を見てびっくり仰天。展開の面白さ、演技アンサンブルの見事さ、演出力、すべての点で上位2作をしのいでいる。文句なしのA。

パワフルで、全篇緊迫感に満ちた犯罪映画だ。脚本監督のラジ・リの力量がハンパではない。同工異曲の「ディーパンの闘い」がパルムドールを取っていたことが足を引っ張ったのだろうか。あるいはマチュ・カソヴィッツの「憎しみ」よりも映像的に劣る、とジャッジされたのか。無論、「ディーパン」よりも私好みであり「憎しみ」とは同格の底辺の品位がある。

先ず、三人の刑事ダミアン・ボナール、アレクシス・マネンティ、ジェブリル・ゾンガのアンサンブルが素晴らしい。これに絡む問題児のイッサ・ペリカ少年、「市長」のスティーブ・ティアンチュー、サラーのアルマミ・カヌーテ、皆、うまい!ラジ・リが熟知するパリ郊外犯罪地区人類学研究が生きている。

エンディングのヴィクトル・ユゴーの引用も、息を呑むカッコよさだ。

あまりにカッコよくて審査委員長のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが嫉妬したのかもしれない。彼には「パラサイト」のオーヴァーな芝居が丁度よかったのだろう。


2020/03/13 (金)

神話劇場。


世の中ますますわけのわからないことだらけ。コロナウィルスも怖いが権力乱用ウィルスも怖い。文明とはかくもたやすく崩壊していくものか、というシナリオが見え隠れしている。コロナウィルスはいずれ抑え込めるだろう。権力乱用ウィルスはなかなか抑え込めない。狂気と欺瞞の集積たる権力者は日々増殖している。

コロナ禍は、人類滅亡回避の予備選だと思う。これで一般ピープルが知恵をつけヒトラーではなく民衆を率いる自由の女神を発見できれば未来は明るい。私はひたすら映画道を突き進む。映画を見る、映画を作る、映画を見せる、の三原則を冒す病魔とはとことん戦えるよう基礎体力をつける。

それにしてもコロナコロナでなんと時間が早く過ぎていくことか。心理的には、次回作の準備に追いつけない。



2月末から本日まで、人が集まる映画館へ行き、4本の映画を見た。順番に書くと、地獄の黙示録ハスラーズスウィングキッズレミゼラブル。評価はABBA。

「地獄の黙示録」は今回の「FINAL CUT」を含め、すべてのヴァージョンを見て来た。何度見ても、感想は同じ。カーツ山砦へたどりつくまでは大傑作。

しかし今回は、私の次回作と根底でつながっている。というか、私の次回作の原作本と根底でつながっている。ゆえに、緊張感を持って、襟を正し、舐めるように見た。そしてひとつ、それなりに納得したことがある。

オープニングはTHE GOLDEN BOUGHなのだ。日本語でいえば、「金枝」。

J.M.W.ターナーの描いたTHE GOLDEN BOUGH。

に、閃きを得て、人類学者ジェームス・ジョージ・フレイザーが上梓したTHE GOLDEN BOUGH 。

を、読みウィラードにレクチャーするマーロン・ブランドのカーツ大佐。(カーツの愛読書はフレイザー本とジェシー・ウェストンのFROM RITUAL TO ROMANCE)

つまり、オープニングはターナーの「金枝」。最終章はフレイザーの「金枝」。

オープニングは神話の領域の、映画史に残る耽美。最終章は映画史に残る自滅の混沌。



フランシス・フォード・コッポラは一年に及ぶフィリピンでの撮影で疲弊し、おのれを見失い、卓越したアルチザンとしての技術を放棄した。入念に構築された闇の奥への旅は、ゴールの儀式で解体され無惨の衣をまとう。

マーティン・シーン演ずるウィラードの前任者である暗殺者コルビー(スコット・グレン)とリア王の道化(FOOL)を演ずるデニス・ホッパーの突っつき散らかしぶりはどうだ。さらに言えば、培った技術でカーツ役を乗り切ろうと謀るマーロン・ブランドの虚しさはどうだ。

身体能力の愚鈍なブランド/カーツは、フレイザーのいう「殺される神」として不適格だ。コッポラは、ブランドが、体重過多でなんの準備もなくロケ地パクサンハンにやって来た時点で負けたのだと思う。ブランドがいなければ「地獄の黙示録」は製作に漕ぎ着けなかった。ブランドがいたから「地獄の黙示録」は壮大な失敗作となった。

カーツの死に至る儀式は、俊敏なカーツとウィラードの、同列で戦う戦場が必要だった。殺される神は、ウィラードの殺す能力を見て初めて、神の座を受け渡すのだから。



コッポラの描いたウィラードは、カーツに出会うまで、映画的にはヴェトナム女ひとりを殺しただけだ。カーツの目の前で、殺戮の技能を見せることが論理的であり映画的カタルシスでもある。その時の敵は、この作品に於けるコマを有効に生かすならば、クリスチャン・マルカン以下のフレンチ植民軍がいるではないか。そもそも、カーツとフレンチ植民軍が、近距離で共存していること自体が不思議なのだから。

それが、3週間の期限つきでブランドと契約してしまったコッポラにはできなかった。企画当初から、スターを並べることに血道を上げたコッポラに廻って来たツケだ。それは映画監督の本来あるべき姿ではない。権力乱用ウィルスに冒されたプロデューサーの側面だ。

とはいえ、ジム・モリソンの歌が聞こえるオープニング・シークェンスと、ロバート・デュヴァルが戦争の狂気と欺瞞と高揚を演じ切る空の騎兵隊のエピソードふたつだけで、「地獄の黙示録」は映画史に君臨する傑作である、と断言できる。ワルキューレが鳴り響く中での戦闘は、名もなきヴェトコン少女の英雄行為も含め、映画監督としての最高の神話劇場だ。

コッポラは「地獄の黙示録」の映画作りで高貴なリア王の座を掴み、やがてボロ布をまとった老いぼれリアにもなった。



「ハスラーズ」は後半ダレた。ジェニファー・ロペスが折角いい味を出していても、脚本演出に能がない。故にB。

「スウィング・キッズ」はダンス・ナンバーが一流。コジェド捕虜収容所の殺戮と暴動を扱った脚本が大混乱。脚本監督カン・ヒョンチョルの知性を疑う。主役のD.O.、ジャレッド・グライムス、パク・ヘス、キム・ミンホウが素晴らしいのに。これも総合B。タップの見せ場はA+だが。

カンヌでは「パラサイト」と「アトランティック」に金、銀をもっていかれ、銅メダルの審査員賞だった「レ・ミゼラブル」だが、本日、作品を見てびっくり仰天。展開の面白さ、演技アンサンブルの見事さ、演出力、すべての点で上位2作をしのいでいる。文句なしのA。

パワフルで、全篇緊迫感に満ちた犯罪映画だ。脚本監督のラジ・リの力量がハンパではない。同工異曲の「ディーパンの闘い」がパルムドールを取っていたことが足を引っ張ったのだろうか。あるいはマチュ・カソヴィッツの「憎しみ」よりも映像的に劣る、とジャッジされたのか。無論、「ディーパン」よりも私好みであり「憎しみ」とは同格の底辺の品位がある。

先ず、三人の刑事ダミアン・ボナール、アレクシス・マネンティ、ジェブリル・ゾンガのアンサンブルが素晴らしい。これに絡む問題児のイッサ・ペリカ少年、「市長」のスティーブ・ティアンチュー、サラーのアルマミ・カヌーテ、皆、うまい!ラジ・リが熟知するパリ郊外犯罪地区人類学研究が生きている。

エンディングのヴィクトル・ユゴーの引用も、息を呑むカッコよさだ。

あまりにカッコよくて審査委員長のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが嫉妬したのかもしれない。彼には「パラサイト」のオーヴァーな芝居が丁度よかったのだろう。


2020/03/03 (火)

世の中わけのわからないことだらけ。


だから政治の話もコロナウィルスの話もここでは書かない。心が塞ぐ。映画の灯をつなぐ希望だけを見据えてひたすら「燃えよ剣」が無事公開できますように、多くの観客に見てもらえますように、次回作が予定通りクランクインできますように、と祈りを捧げる日々。

とはいえ、それだけでは感性が鈍るから、他人の映画をほめあげこき下ろそう。

先ずは2月10日の米アカデミー賞で4冠に輝いた「パラサイト」。

作品評は既に書いた。セカンドアクト、つまり序破急の破だけは文句なしに素晴らしいが、序と急が期待はずれで評価するならA-。

「パラサイト」よりもデキの悪い作品が作品賞に輝いたことがあるから同作の受賞自体に文句はない。

ただ、受賞スピーチの通訳同伴はどうかと思う。



アメリカ映画に育てられ、いつかオスカーを手にしてスピーチしたいと願う我々異邦人映画監督はそのために英語を学んでいる。ポン・ジュノもそうだった筈だ。ティルダ・スウィントンやクリス・エヴァンス、ジェイク・ギレンホールと仕事した監督が通訳同伴?撮影現場ならともかく、アカデミー賞の壇上で???

拙い英語でもいいじゃないか。今の自分をぶつけろよ。と、私はTV画面に叫んだ。ハリウッドのハーツ&マインズの壇上は直接フリーキックの桧舞台だ。間接フリーキックはルール違反だ。

それを、キュートな通訳が評判よかった、などと的外れな授賞式ルポを書いたアメリカのメディアもある。韓国のロビー活動が徹底していたとしか言いようがない。一番非難されそうな通訳同伴を、メディアを抱き込んでほめあげたのだと私は思う。受賞スピーチを制限時間内の母国語で喋るのは自由、しかし、通訳同伴は禁止、とすべきだろう。というか、そうなっていたんじゃなかったっけ。

WGA全米脚本家ギルドもSAG全米俳優ギルドも「パラサイト」に栄誉を与えていたから韓国資本のロビー活動がすべてだとは思わない。

プロデューサーズ・ギルドとディレクターズ・ギルドが「1917」を選んだことと合わせて考えると、アカデミー会員も大きくふたつに分かれていた。



雑な言い方をすれば、旧式会員と新式だ。旧式は、OSCAR SO WHITEと揶揄されてもいいものはいい、と「1917」を選んだ人々だ。「1917」は女優がひとり出て来るが基本はオール・メイル、オール・ホワイトの戦争映画である。新式は、女性やマイノリティに人一倍気をつかおうよの人々。

しかも今年はインターナショナル会員を2000人も増やした。アメリカ国籍がなくて女性で映画の製作に関連した仕事をしている人材を中心にしゃにむに集めた感がある。私が知っている日本人の会員たちは英語ができない。だからアカデミー協会が送って来るノミネート作品は、字幕がついていたとしても英語だからチンプンカンプン。

会員を選ぶなら審査基準をもっと厳しくすべきだ、と私は思う。

WGAのオリジナル脚本賞とSAGのアンサンブルキャスト賞に関して言うならば、私は、「パラサイト」が「ナイブス・アウト」を抑えて受賞したことがまったく理解できない。持つものと持たざるもののどんでん返しドラマの脚本も、演技アンサンブルも、「ナイブス・アウト」の方が圧倒的にすぐれているのだ。



私は「パラサイト」で感極まって泣いた記憶はないが、「ナイブス・アウト」では泣いた。笑って笑って泣いて大笑いした。

泣いた場面は、ヒロインのマルタを演ずるアナ・デ・アーマスと「被害者」となるクリストファー・プラマーの、序破急で言えば、序のクライマックスとなる「緊迫の6分間」の展開だ。意外な展開に驚き、格差を超え世代を超えたスリリングで束の間の「愛情表現」に仰天、プラマーとアナの見事な演技合戦に心から感動し、わなないた。

このふたりを筆頭に、ナイブス・キャストのアンサンブルは文句のつけようがない。「パラサイト」の演技アンサンブルで素晴らしいのは「持たざる」キム家だけで、「持つもの」パク家は通俗でしかない。しかも、パク家の子供たちは終盤忘れ去られる。唯一、ナイブス・キャストで引っかかるところがあるとすれば、ダニエル・クレイグの大袈裟な南部訛りか。

「ナイブス」のマルタはコメディにつきもののベタなハンデを与えられている。嘘をつくと嘔吐する、という設定だ。これは「パラサイト」で言えばパク家のヨメの、マザー・テレサもびっくりのイノセンス、ということに匹敵するが、マルタのハンデが発揮されるタイミングは天才的だ。(脚本監督のライアン・ジョンソンが天才なのだ。アガサ・クリスティー的世界をここまで自由奔放に発展させるとはの評価A。+がつかないのは撮影トーンと美術のセンスがイマイチなので。)

しかも、アナ・デ・アーマスはベタな芝居には堕さず、ブラックなコメディ・ミステリーに生身の人間の体温を巧妙に匂わせる。アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされなかったのが不思議だ。

いや、レネー・ゼルウィガーの、薄気味悪い笑みを浮かべた入念にリハーサルされたアカデミー賞受賞スピーチを見る限り、私はアナがその栄誉を手にすべきだったと思っている。来年は、マリリン・モンローを演ずるアナが受賞するであろうと確信しているが・・・。

ついでに言えば、今年のオスカー・テレキャストで私がもっとも感動したのはエミネムのナンバーとシンシア・エリヴォの歌唱力とクリスティン・ウィーグ&マヤ・ルドルフのサタディナイト・ライヴ・コンボだった。


というような葛藤があって。

NETFLIXの驚異のブス映画「マクマホン・ファイル」を見て仰天し(評価は最低のC-)、NETFLIXやAMAZONで見ることができないHULUのオリジナル・シリーズ「CATCH22」(シリーズ全体はB+)にうつつを抜かし、ある朝、10年パスポートが去年の11月で失効していたことに気付いて愕然となった。去年一年、海外へ行かなかったのですっかり忘れていたのだった。

令和2年2月22日、多くのカップルが結婚届けを出すなか世田谷区役所まで車を飛ばし戸籍抄本を取得、休み開けの25日にパスポートを申請、本日受領の運びとなった。

私のパスポート番号は前々回が大当たりの、大好きな数字のリズムある並びで(53の組み合わせ三つ入)前回は詰まらない並びとなり、今回は如何に、と、通知表を開いた中学の日々を思い出しながらジワッと覗いてみたら・・・。

マジで驚いた。

前々回に勝るとも劣らない美しい数列なのだ。我がラッキーナンバーの3と7も入っている。コディ・ベリンジャーの背番号も作れる。神様ホトケ様ありがとう。遅れて申請してよかった。


 a-Nikki 1.02