2017/03/23 (木)

MANH(A)TTANを見せない日本人と見ない日本人。


WGNとLIONSGATEが組んで制作したスグレモノのTVミニシリーズ「マンハッタン」が日本で紹介されないのはなぜだろう。原爆開発の科学者とその家族の苦闘の年月を描く55分×23話のドラマだから日本人には見せない方がいい、と判断した誰かがどこかにいるからそうなったのか。

シーズン1の13話は2014年に、翌年シーズン2の10話がWGNで全米放映された。

日本語サイトでの紹介記事は極めて少なく、しかも的外れの記述が多い。曰く、日本が零戦製作の映画(「風立ちぬ」)を放つならアメリカは原爆製造のドラマで対抗するのか・・・。なんとも貧相な発想だ。

考えてみれば「原爆製造」に関わるアメリカ映画なりTVドラマは日本では迫害されて来た。例えば、「キリング・フィールド」で一躍Aランクの監督になったローランド・ジョッフィが「ミッション」を経て1989年に発表した”FAT MAN AND LITTLE BOY”も、ポール・ニューマン主演の大作であったにも拘らず劇場未公開となり、その後、「シャドー・メーカーズ」のタイトルでDVDリリースされた。これはデキも悪かったから、当然と言えば当然の処置ではあるものの、当時、釈然としないものが私にはあった。

この年はTVドラマの”DAY ONE”でも原爆開発の父レスリー・グローヴス将軍と開発研究チームのリーダー、オッペンハイマー博士の対決を扱っていた。ジョッフィ作品ではニューマンがグローヴスを演じ、こちらではブライアン・デネヒーだった。オッペンハイマーはあちらがドワイト・シュルツでこちらがデーヴィッド・ストラザーン。

上記二作品四人の俳優に関して言えば、私が好きなストラザーンだけが印象に残る程度だった。

「マンハッタン」は出演者全員のアンサンブルがいい。



もともと、私は「ザ・ブリザード」のレイチェル・ブロスナハンに惹かれ、このシリーズを見たいと思ったわけだが、彼女がずば抜けて素晴らしいわけではない。レギュラーでは、むしろオリヴィア・ウィリアムスやカーチャ・ヘルバースの方がうまい。

レイチェルは、天才科学者リチャード・ファインマンをモデルにしたと思しき若手科学者チャールス・アイザックス(アシュレー・ザッカーマン)の新妻で、このカップルがロスアラモスの「村」に到着するところからドラマは始まる。これが、広島への原爆投下の766日前という設定だ。

斬新なのは、このロスアラモスの原爆開発村が、まるで日系人キャンプのように、厳重な監視下にあり、科学者たちは家族単位で生活している点だ。バラックに押し込められた日系人より多少生活環境はいいものの、自由を失った点では共通している。

私はかつてアリゾナのいくつかの収容施設の跡地を訪れたり、収容生活を送った日系人を取材したことがある。ヒラ・リヴァーやポストンには一万人を超える日系人が収容され、ひとつの町を形成していた。学校もあれば銀行や郵便局もあり、娼婦もいた。

このロスアラモス村でも、婦人兵士によるセックスビジネスは描かれる。科学者の妻たちのアルコール漬けや不倫も語られる。ある意味、ソープオペラの世界が展開する。戦争の影を色濃く背負ったソープは、ひりひりしたリアリティがある。



メインプロットはふたつの開発チームの競争を中心に展開する。一方の雄が若手新参のユダヤ人チャールスで、もう一方のリーダーが実質主役であるフランク・ウィンター(ジョン・ベンジャミン・ヒッキー)だ。

フランクはチャールスより一回り年上でふたりの間には過去の因縁がある。フランクは村の立ち上げから参加しており、彼のチームにはオランダ人の女性科学者ヘレンを含め、個性的な科学者が揃っている。このヘレンを前記のカーチャが溌剌と演じ、フランクの妻をオリヴィアが演じている。

オリヴィアの役は学者であり他の「妻たち」とは一線を隠している。彼女は「村民」たちが、新生児を含め、被曝していることを秘かに探り当てたりもする。

要は、登場人物すべてが秘密と嘘を抱えており、クリエイター、サム・ショウの物語は、ロスアラモス村そのものが秘密と嘘の牙城であることを徐々に露にしていく。唯一の被爆国である日本で放映すべき骨太のドラマなのだ。

科学者たちを監視するのはOSSの分派のようなスパイ・キャッチャーで、このトップのリチャード・シフの知的な凄みも、このシリーズの魅力にひとつだ。

レイチェルは、キュートで無垢な若妻が性的にも人間的にも成長していく縦糸を与えられており、一応ヒロイン格ではある。ただし、導入部での「無垢」を強調しようとする演技アプローチは私の好みではなかった。

私にとって最大の発見となった女優は、第10話に登場したルチア・ミカレッリだ。韓国とイタリアの混血のヴァイオリニストだが、その演技の情感、惚れた。感動した。英語を喋るアジア系女優で、もっとも魅力的な演技派が彼女だと、私は断言したい。

1979年の「ヤング・ジェネレーション」でデビュー以来、のっぽで気のいいオッドボール青年を得意としたダニエル・スターンが、腹回り3倍の老科学者となって愛弟子フランクの葛藤に大きな影を投げるのも、私には感慨深いものがあった。彼は私よりも8才年下なのに、すっげえおじいちゃんに見える。第8話の演出もダニエルで、1、2話を撮ったトーマス・シュラミに匹敵する映像センスだった。

映像といい、演技といい、「マンハッタン」は「ダウントン・アビー」に匹敵するMY FAVORITE SHOWである。

英語圏のTVシリーズにはマスターピースがゴマンとある。


2017/03/11 (土)

菜の花忌パネルディスカッション。

映画「関ヶ原」に関しての発言は島左近と三成の関係以外、すっぱりカットされていましたね。きょうのNHK ETVのオンエア。産経新聞で載っていた東出夫妻のコメントもカット。ま、仕方ないでしょ。

来週発売の週刊朝日では、その辺、採録されていると思うけれど、どうかな。

いずれにせよ、徐々に「関ヶ原」宣伝本格化します。乞うご期待。

私はアンリ・ルソーとアルフレッド・ジャリとギョーム・アポリネールとマリー・ローランサンと堀口大学の相関図を一生懸命ひもときながら2014年のTVシリーズMANH(A)TTANに夢中。SEASON 2(2015)のDVD到着が待ち遠しい。

「マンハッタン」の何が素晴らしいか、近いうちに書こう。


2017/02/28 (火)

FAKE OSCAR!


考えれば考えるほど第89回アカデミー賞はディープなエンターテイメントだった。

作品賞の呼び間違いは、完全にPwCプライスウォーター/クーパーのミスだったことが明らかになった。2セットの受賞封筒は舞台の上手と下手に控えたPwC社の重役ふたりが管理し、プレゼンターが上手もしくは下手からステージに登場するつど手渡ししていた。ドルビー・シアター内で予め受賞者の名前を知っているのも、PwCのふたりだけなのだ。

そして、ウォーレン・ベイティに誤った封筒を渡したのはかつてマット・デイモンそっくりさんとして、オスカー・テレキャストでいじられたことのあるブライアン・カリナンだった。

となると、この日のラニング・ジョークのFAKEが絡んで来る。

つまり、フェイク・デーモンが、フェイク作品賞を演出した。

しかも、司会のキンメルは一晩中本物のマット・デイモンをいじり続け、メディアと敵対するトランプのFAKE NEWS言動を笑い飛ばした。

「“フェイク・ニュース”は禁止だけど、“フェイクの日焼け”はOKなんだ」とは無論、トランプの気障な焼け顔を皮肉って大受けだった。

そのトランプのFAKE騒ぎを揶揄するかのようなFAKE BEST PICTUREが発表され、トランプが嫌悪すること間違いなしの「ムーンライト」が真実の瞬間を勝ち取った。それも「ラ・ラ・ランド」の白人プロデューサー、ジョーダン・ホロウィッツが「これはジョークじゃない!作品賞は『ムーンライト』なんだ!」と宣言し、ステージ上で白人も黒人も融合して。

リベラルな映画人の知性と柔軟性が輝いた瞬間だった。

I LOVE HOLLYWOOD!

ちなみに、LAタイムスによると、誤った封筒を手渡された前例は1964年のミュージック・スコアであるとのこと。このときはプレゼンターのサミー・ディヴィス・ジュニアがうまく切り返し、ことなきを得た。当時のサミーは39才。受賞者は高齢者大歓迎だが、プレゼンターは若くないといけないな。


2017/02/28 (火)

FAKE OSCAR!


考えれば考えるほど第89回アカデミー賞はディープなエンターテイメントだった。

作品賞の呼び間違いは、完全にPwCプライスウォーター/クーパーのミスだったことが明らかになった。2セットの受賞封筒は舞台の上手と下手に控えたPwC社の重役ふたりが管理し、プレゼンターが上手もしくは下手からステージに登場するつど手渡ししていた。ドルビー・シアター内で予め受賞者の名前を知っているのも、PwCのふたりだけなのだ。

そして、ウォーレン・ベイティに誤った封筒を渡したのはかつてマット・デイモンそっくりさんとして、オスカー・テレキャストでいじられたことのあるブライアン・カリナンだった。

となると、この日のラニング・ジョークのFAKEが絡んで来る。

つまり、フェイク・デーモンが、フェイク作品賞を演出した。

しかも、司会のキンメルは一晩中本物のマット・デイモンをいじり続け、メディアと敵対するトランプのFAKE NEWS言動を笑い飛ばした。

「“フェイク・ニュース”は禁止だけど、“フェイクの日焼け”はOKなんだ」とは無論、トランプの気障な焼け顔を皮肉って大受けだった。

そのトランプのFAKE騒ぎを揶揄するかのようなFAKE BEST PICTUREが発表され、トランプが嫌悪すること間違いなしの「ムーンライト」が真実の瞬間を勝ち取った。それも「ラ・ラ・ランド」の白人プロデューサー、ジョーダン・ホロウィッツが「これはジョークじゃない!作品賞は『ムーンライト』なんだ!」と宣言し、ステージ上で白人も黒人も融合して。

リベラルな映画人の知性と柔軟性が輝いた瞬間だった。

I LOVE HOLLYWOOD!

ちなみに、LAタイムスによると、誤った封筒を手渡された前例は1964年のミュージック・スコアであるとのこと。このときはプレゼンターのサミー・ディヴィス・ジュニアがうまく切り返し、ことなきを得た。当時のサミーは39才。受賞者は高齢者大歓迎だが、プレゼンターは若くないといけないな。


2017/02/27 (月)

とてつもなく笑えるアカデミー賞だった。


作品賞の読み違えは前代未聞だろう。

ステージ上の混乱は実にスムースに処理され、司会のジミー・キンメルの「みんな僕が悪いんだ!もう来年は戻って来ないから!」という自虐的なジョークで幕を閉じたのだが、私は、ジミーには戻って来てもらいたいと切に願う。彼の司会は、外してもリカヴァリーがうまくボブ・ホープの再来感があった。

何が問題だったのか、と言えば、舞台裏の不手際は詳報を待つとして、はっきりしているのはプレゼンターの選択だ。

80才のウォーレン・ベイティと76才のフェイ・ダナウェイ。

いくら「俺たちに明日はない」から半世紀のアカデミー賞授賞式とはいえ、高齢者ふたりがプレゼンターでは機転は効かない。

ベイティが封筒を開けたところまでは予定通りの進行だった。読み上げるのに、彼は躊躇した。私は、ベイティが急激にボケたのか、視力が衰えたのかと思った。その躊躇の2、3秒が実に長く感じられた。相方のフェイがちょっと苛立った。ベイティは彼女の意見を求めるように受賞者が書かれた紙を差し出した。
ベイティとしては、おそらく、彼女に見せてから、これは手違いだよね、と言って正規の封筒を求めようと思ったのかもしれない。

機転が効く人間がいれば、そこには「エマ・ストーン、ラ・ラ・ランド」と書いてあったのだから、既に発表された主演女優賞部門の封筒を手違いで渡されたとわかる筈だ。老人ふたりにそれは無理だった。フェイはベイティが見せた封筒の中味を覗くと、作品タイトルだけが目に入ったのだろう。高らかに、LA LA LAND!と読み上げた。

その瞬間、舞台裏では集計を担当したプロクター&ギャンブルかどこかの関係者が間違いに気付いた筈である。ステージではベイティも司会のキンメルに状況を説明。一方で、「ラ・ラ・ランド」関係者はステージに上り、プロデューサーはスピーチを始めてしまった。



映画の伝統を引き継ぐというテーマで展開する授賞式なのだからベイティとフェイを大トリのプレゼンターに据えたい、という気持ちはわかる。

しかし、手違いは必ず起きるものだ。80才と76才のペアに臨機応変の対応を期待する方が無理。誰かに責任があるとすれば、2人の選択をよしとしたアカデミー協会だろう。

「ラ・ラ・ランド」のプロデューサーが機転の効く人間だったから「手違い」は醜態にはならなかった。逆転勝利の「ムーンライト」側の対応も迅速だった。

「ラ・ラ・ランド」、「ムーンライト」、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」が主要部門を分け合ったわけだ。

偏見に満ちたトランプが嫌いな要素をすべて詰め込んだ「ムーンライト」のような低予算映画を作り続けることにハリウッドのHEARTS AND MINDSがある、というメッセージは、劇的に光り輝く結果となった。

今回のアカデミー賞授賞式の放送で文句があるとすれば、毎度のことだが、レッドカーペットの取材だ。英語も出来ない女優を日本から送って、きゃあきゃあ騒がせておく必要があるのだろうか。うんざりした。


「ラ・ラ・ランド」の撮影は「ライナス」とすべきだろうと以前書いたが、正解は「リーナス」でしたね。

「ヴィオラ・ディヴィス」も、あれだけはっきりだれもが「ヴァイオラ」と発音しているのだから「ヴァイオラ・ディヴィス」表記に変えるべきだろう。


「日本のいちばん長い日」のように、「玉音盤」は2セットあったということらしい。

集計を担当したプライスウォーター/クーパー社によると、安全を期して受賞エンヴェロップは舞台の上手と下手に2セット置かれているとのこと。その「主演女優賞」でエマに手渡されなかった方の封筒がベイティ/ダナウェイの高齢者コンビに渡されたらしい。騒ぎにはなったが、この騒ぎ自体、メディアでは好意的に受け取られている。


 a-Nikki 1.02