2022/06/03 (金)

「マクベス」から「窓際のスパイ」まで・2022年1月―5月の映像シャワー。



アンドレア・ライズボローだけにうつつを抜かしていたわけではないということで、彼女の出演作以外の2022年度映像シャワーをダダっと並べておこう。ひょっとすると既に書き綴ったものもあるかもしれない。それは、高齢社会部執筆者ということでご勘弁。

「マクベス」A 
ジョエル・コーエンの秀作。デンゼル抜群のうまさ。魔女のキャサリン・ハンター、さすが大御所舞台女優、すごいなんてもんじゃない。Mesmerizing!

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」B 
風景は素晴らしい。プロットに気が行かず。少年の微笑は死刑囚の最後の一服効果。ダビデとゴリアテ話。それにしてはゴリアテベネディクトが弱い。

「ロスト・ドーター」C -
空疎な演技マニフェスト。

「ハウス・オブ・グッチ」C 
タブロイド紙のスキャンダル記事を読む感じの映画。名優アダム・ドライヴァーがキャリア最悪の役どころを諦めの境地で演じている。ジャレド・レトの特殊メイクだけが見もの。

「Designated Survivor宿命の大統領」A 
シーズン1は面白し。キーファーうまい。大統領府のメンツも良い。マギーQの捜査ぶりが段々おかしくなる。シーズン2途中でギヴアップ。


「ファウンデーション」A 
2021年度作品全10話ほぼ一気見。アイザック・アシモフの名作が映像化されたという驚き。それが配信大奔流にひっそり(私の目から見れば)埋もれていた驚き。ヴィジュアル豪華。演技陣もいい。物語性に感動。演出はイマイチ。殊に#9と10にかけてアクションのツメでヘタっている。ジャレド・ハリス、リー・ペイスは堂々と君臨。二人のヒロイン、ルー・ローベル、レア・ハーヴェイもいい。

脇で大金星はフィンランドの女優ラウラ・ビルン。彼女のデマーゼルを見るだけでも価値がある。ワンエピソードで彼女と絡むトニア・ミラーの存在感&演技力も圧巻。

「キャッシュ・トラック」C+
語り口に工夫はあるものの奇を衒い過ぎたあまりおバカなレヴェルに堕ちたアクションフリック。ジェイソンが単調ハード。ありえない復讐話。偶然が重なりすぎ。終盤アクションのコレオグラフ下手。敵味方の秒単位の動き把握できず演出による臨場感なし。ガイ・リッチーの限界がよく見える。ホイトもジョッシュもスコットも無駄遣い。

「ベルイマン島にて」A –
ケルティック・ハープとフォーレ島の風景とヴィッキー・クリープスの雰囲気が全て。ティム・ロスはしどころのない役。いつかこの島に滞在してベルイマン財団の人々とかたりあいたい。

「フレンチ・ディスパッチ」B +
ベニシオ、レア、ブロディのアートセクションのみ面白かった。ウェス・アンダーソンには確固としたストーリーが必要。シュテファン・ツヴァイクのような原作者が。

「原潜ヴィジルVIGIL」A 
6エピソード一気見。サラン・ジョーンズ、ローズ・レスリー愛し合う女刑事2人がめっちゃうまい。原潜の男女も適材適所。6話のアクション仕立てが間伸びして残念。サランを魚雷発射管に閉じ込めて話が空回りしている。5話まではHBO「チェルノブイリ」の緊迫感で攻めていたのに。

「ミュンヘン The Edge of War」B 
ジョージ・マッケイ、ヤーノス・ニーヴナーの英独キャラがメイン・キャスト。監督はクリスティアン・シュヴォホー。映像よし。ベン・パワー脚本イマイチ。チェンバレン首相(ジェレミー・アイアンズ)を口説く3分間の台詞のお粗末さに呆れた。お子ちゃまの怒りで英国首相とヒトラーの蜜月を破壊できるわけがない。


「ドリーム・プランKing Richard」A 
ウィル・スミス、アーンジャヌー・エリスの夫婦像が圧倒的な見応え。これにヴィーナス、セリーナを演ずる娘たちが加わって、他の姉妹ともども家族を形成するアンサンブルがすごい。さらに初期のコーチ、トニー・ゴールドウィンと成功への架け橋となるコーチ、ジョン・バーンサルの二人も見事。レオナルド・マーカス・グリーンの演出力が抜群ということになる。映像アプローチがオーソドックスゆえ監督賞にはノミネートされないが、彼の功績は大きい。脚本も巧み。

「355」C+  
ジェシカ・チャスティンがなんでこんなアクション映画をやりたいのか理解不可能。シャリーズ・セロンには遠く及ばない。

「モータル・コンバット」C –  
アジア系役者を使ったことだけがよし。

「ユダ&ブラック・メシア」A 
ダニエル・カルーヤの上手いこと。シャカ・キングの演出もよし。「ブラッククランズマン」とは比較にならないくらい上質な黒人潜入捜査官のドラマ。ラキーシャ・スタンフォード、ジェシー・プレモンス以下のキャストも一流演技。アンサンブルも見事。ラストの殺戮はアメリカ公民権運動時代の権力の闇を渾身の力で描いている。

「瞳に映るもの」B  
デンマークの第二次大戦秘話。キャストも映像もいいが、脚本が幼い。脚本監督はオーレ・ポルネダル。子役が素晴らしい。

「ブラック&ブルー」C 
ナオミ・ハリス主演のダメ映画ア・ラ・セルピコ。

「ザ・バットマン」B +
画面暗すぎ。TOHOシネマズ日比谷だったけれど、映写機のレンズを磨いてないんじゃないか。最近そういう映画館が増えていると撮影監督からよく聞く。前半退屈。パティンソンはいい。

「The Sinner隠された理由」A –
2018年のセカンドシーズンにおけるキャリー・クーンとビル・プルマンの対決が面白し。キャリーはアンドレアと同年生まれ。


「Tokyo Vice #1」A 
さすがマイケル・マン。映像センスよし。ロケ地も文句なし。アンセルと伊藤英明がとりあえずよし。新聞社上司の役二つが、セリフも芝居も、ん?となること多し。しかし、脇や端役の顔のアンサンブルが格段に優れている。面接官の英語を喋る男、焼身男の奥さん、ヤクザ幹部などなど。第二話以降が楽しみ。殊にHikariが監督した#4と5が興味あり。

とエピソード1を見た直後に書いたが、その後、撮影現場のとんでもない噂を耳にした。マイケル・マンがわがままし放題でこの一話だけで製作費をかなり使い込んでしまったこと、気が向かなければ撮影を中止してさっさと帰ってしまうこと、日本側からの修正要求が例によっての「これはアメリカ向けの作品だから」という製作側の一言で切り捨てられること、それによって生ずる歪みが日々拡大され現場は重信房子取材風景のように混沌し怒号が飛び交っていたことなどなど。唾棄すべき監督像が浮かび上がる。映画界のパワハラを追求したければこの現場での混沌と理不尽を取材すべきだろう。

結局、ジョセフ・クボタ某に監督交代した#2、#3は映像的にもお粗末で呆れてしまい、Hikariだけはなんとか頑張っているだろうと見てみた#4は脚本(ナオミ・イイヅカ)、演出の不備が随所にあって大失望。

ということで「Tokyo Vice #4」はC。菊池凛子が警察官3人から情報を引き出す居酒屋シーンの会話が変。彼女の英語芝居の限界は#1から明らかだったが、このシーンでの日本語芝居も変。ナオミ・イイズカの脚本が問題なのか、Hikariの演出解釈に責任があるのかはわからない。

谷田歩の腕時計のシーンには唖然。高級中華レストランの通路を歩き過ぎていくヤクザの大物に、時計がカッコいいなどと声をかけるジャーナリストがどこにいる!こういうことをアンセルに言わせたければ、谷田が立ち止まって、笠松将と食事中のアンセルをねめつければいい。その緊張感を解くためにアンセルが時計のことを言うなら成立する。コモンセンスに欠けたシーン、非常識なシーンがこのエピソードでは多すぎる。

ちなみにナオミ・イイヅカ女史はアメリカに於ける日系人戯曲家としてトップクラスの人。大学でも教鞭をとっている。が、映像作品の脚本は何本かあるようだが、ヤクザの世界とは肌が合わないのだろう。シーンの運びもギクシャクしているし、日本語のセリフを書く力にも限界があるようだ。


「知られざるマリリン・モンロー」B 興味深いドキュメンタリーだが、電話取材の著名人を声は本人、姿を役者で再現という方法論が不快。なんでジョン・ヒューストンがこんなブサイク男なんだ、と腹が立った。

「心と体と」A 
アレキサンドラ・ボーベリーがひたすら魅力的&素晴らしい。

「チェルノブイリ1986」C – 
導入部20分のお粗末な展開に唖然。10年ぶりの出会いでギクシャクしている男女が、2週間後、再びギクシャクしている。アホか。子供がいるのに大人2人でケーキ食べるって何だぁ?とか、常識に欠けたシーンが相次ぐ通俗メロドラマ。終盤退席。監督・主演男が頭悪すぎ。決死隊に近道があることも言わずに一度は逃げ、女のところへ行くなどおかしな展開が続く。

「ドクター・ストレンジ/マルチバース」B 
特撮はすごいが、もっと建設的な企画で使ってほしいものだ。「鬼子母神」とのダラダラ続く戦いにうんざり。

「パリ13区」A –
ジャック・オーディアールが過ぎ去りし日のラヴライフに思いを馳せているかのような若者セックス武勇伝。主役3人(ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン)の演技は確かなものがあるし、すっぽんぽんで頑張っている。モノクロ撮影とMもよし。最も印象的なのは主役3人ではなくアンバー・スイート役のジェニー・ベス。日曜日のエピソードでノラ(ノエミ)に会うアンバーの、会いたい気持ち9、迷い1の歩みに何故か大感動。涙がしばらく止まらなかった。


「LOVE DEATH + ROBOTS」Season 3
デーヴィッド・フィンチャー演出のBad Travellingは筋立てが面白かったし、Night of the Mini Deadにはゲラゲラ笑った。殆ど全てがAランクの面白さだったが、ひとつ突拍子もないスグレモノがラストにあった。アルベルト・ミエルゴが演出したJIBAROだ。このテクニック、ヴィジュアルにはとてつもない刺激を受けた。後日見たSeason 1にもミエルゴ作品があった。The Witness。このヴィジュアルと展開も素晴らしい。

「シャドー・ダンサー」B + 
たまたま遭遇したアンドレア・ライズボローの2012主演作。1993年の英国諜報部MI5とIRAテロリスト・グループの心理戦を描いたスリラーで、大枠においてはジェームス・マーシュ演出が手堅い。密告者の役割を強制されるコレット(アンドレア)も、強制するマック(クライヴ・オウエン)もうまいが、ちょっとしたところに歪みがある。例えば、川縁の密会場所にコレットがとっても目立つ赤いコートを着ていく。密会ですよ。目立っちゃいけないんですよ。リアルなタッチから大きく外れている。テロリスト仲間のケヴィン(デーヴィッド・ウィルモット)とコレットの弟コナー(ドーナル・グリーソン)の敵対関係もよくわからない。自分の密告者を救うために上司(ジリアン・アンダーソン)の密告者を売るというクライマックスも説得力がない。次のステップ、「まさかの爆殺」に無理やり持っていくための筋立てでしかない。


「Slow Horses窓際のスパイ」A –
MI5モノが続く。ゲイリー・オールドマン率いる「泥沼館スラブハウス」の住民たち(窓際族諜報員)がMI5本家と戦う展開は面白い。演技陣も、ジャック・ロウデン、クリスティン・スコット・トーマス、サスキア・リーヴス、ダスティン・デムリ・バーンズ、ロザリンド・イリーザー、オリヴィア・クックが見事なアンサンブルを奏でている。シド役のオリヴィアなど、格調高きヒロインとして大活躍するかと思ったら第二話で消えてしまった。その喪失感にしばらく立ち直れなかったほどだ。下っ端ワルのカーリー(ブライアン・ヴァーネル)が凶暴ワルに変身するプロセスも面白い。

しかし、これもまた、気の行かない展開が足を引っ張る。各エピソード間の時間差の調整がうまくできていない。脚本の問題点を演出、編集で解決できなかったことになる。ジェームス・ハースの演出は役者を使う点では一流だが、一人一人の行動ロジックを把握できていない。殊に、終盤部の追っかけごっこの展開に難がある。混乱もする。

とはいえ、ゲイリー演ずるジャクソン・ラムのキャラが「裏切りのサーカス」でゲイリーが演じたジョージ・スマイリー以上に「盛りを過ぎて腹にガスを溜め込んだ」ジョージ・スマイリーっぽくて、彼を見ているだけで心が豊かになる。このゲイリーはチャーチルのゲイリーを超えている。

そしてもう一つ気になったことがある。「フォー・ウェディング」から「イングリッシュ・ペイシェント」にかけて、私の憧れの人であったクリスティンの今、である。老けてなお、MI5の冷徹な部長を演じて魅力的ではある。が、あのパラシュートのようにどでかいスカートはなんなんだ。

6話続きで、ほぼ一昼夜の攻防が描かれるため、クリスティンはコートを羽織っていない時は、デカスカートで歩き回る。下半身主体に肉がついてしまったのだろうか。痩身美女ナンバーワンだったクリスティンが、下半分2倍弱になってしまったのか。気になって気になって夜も眠れない。

そういえば、「バタフライ・キス」の魅力的な演技派だったサスキア・リーヴスも、27年経ったら演技派老婆となっていた。クリスティンもサスキアも、私よりは若いわけで、寄る年波の話はやがて自分に返って来ることは必至なのだが・・・。


2022/06/03 (金)

「マクベス」から「窓際のスパイ」まで・2022年1月―5月の映像シャワー。



アンドレア・ライズボローだけにうつつを抜かしていたわけではないということで、彼女の出演作以外の2022年度映像シャワーをダダっと並べておこう。ひょっとすると既に書き綴ったものもあるかもしれない。それは、高齢社会部執筆者ということでご勘弁。

「マクベス」A 
ジョエル・コーエンの秀作。デンゼル抜群のうまさ。魔女のキャサリン・ハンター、さすが大御所舞台女優、すごいなんてもんじゃない。Mesmerizing!

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」B 
風景は素晴らしい。プロットに気が行かず。少年の微笑は死刑囚の最後の一服効果。ダビデとゴリアテ話。それにしてはゴリアテベネディクトが弱い。

「ロスト・ドーター」C -
空疎な演技マニフェスト。

「ハウス・オブ・グッチ」C 
タブロイド紙のスキャンダル記事を読む感じの映画。名優アダム・ドライヴァーがキャリア最悪の役どころを諦めの境地で演じている。ジャレド・レトの特殊メイクだけが見もの。

「Designated Survivor宿命の大統領」A 
シーズン1は面白し。キーファーうまい。大統領府のメンツも良い。マギーQの捜査ぶりが段々おかしくなる。シーズン2途中でギヴアップ。


「ファウンデーション」A 
2021年度作品全10話ほぼ一気見。アイザック・アシモフの名作が映像化されたという驚き。それが配信大奔流にひっそり(私の目から見れば)埋もれていた驚き。ヴィジュアル豪華。演技陣もいい。物語性に感動。演出はイマイチ。殊に#9と10にかけてアクションのツメでヘタっている。ジャレド・ハリス、リー・ペイスは堂々と君臨。二人のヒロイン、ルー・ローベル、レア・ハーヴェイもいい。

脇で大金星はフィンランドの女優ラウラ・ビルン。彼女のデマーゼルを見るだけでも価値がある。ワンエピソードで彼女と絡むトニア・ミラーの存在感&演技力も圧巻。

「キャッシュ・トラック」C+
語り口に工夫はあるものの奇を衒い過ぎたあまりおバカなレヴェルに堕ちたアクションフリック。ジェイソンが単調ハード。ありえない復讐話。偶然が重なりすぎ。終盤アクションのコレオグラフ下手。敵味方の秒単位の動き把握できず演出による臨場感なし。ガイ・リッチーの限界がよく見える。ホイトもジョッシュもスコットも無駄遣い。

「ベルイマン島にて」A –
ケルティック・ハープとフォーレ島の風景とヴィッキー・クリープスの雰囲気が全て。ティム・ロスはしどころのない役。いつかこの島に滞在してベルイマン財団の人々とかたりあいたい。

「フレンチ・ディスパッチ」B +
ベニシオ、レア、ブロディのアートセクションのみ面白かった。ウェス・アンダーソンには確固としたストーリーが必要。シュテファン・ツヴァイクのような原作者が。

「原潜ヴィジルVIGIL」A 
6エピソード一気見。サラン・ジョーンズ、ローズ・レスリー愛し合う女刑事2人がめっちゃうまい。原潜の男女も適材適所。6話のアクション仕立てが間伸びして残念。サランを魚雷発射管に閉じ込めて話が空回りしている。5話まではHBO「チェルノブイリ」の緊迫感で攻めていたのに。

「ミュンヘン The Edge of War」B 
ジョージ・マッケイ、ヤーノス・ニーヴナーの英独キャラがメイン・キャスト。監督はクリスティアン・シュヴォホー。映像よし。ベン・パワー脚本イマイチ。チェンバレン首相(ジェレミー・アイアンズ)を口説く3分間の台詞のお粗末さに呆れた。お子ちゃまの怒りで英国首相とヒトラーの蜜月を破壊できるわけがない。


「ドリーム・プランKing Richard」A 
ウィル・スミス、アーンジャヌー・エリスの夫婦像が圧倒的な見応え。これにヴィーナス、セリーナを演ずる娘たちが加わって、他の姉妹ともども家族を形成するアンサンブルがすごい。さらに初期のコーチ、トニー・ゴールドウィンと成功への架け橋となるコーチ、ジョン・バーンサルの二人も見事。レオナルド・マーカス・グリーンの演出力が抜群ということになる。映像アプローチがオーソドックスゆえ監督賞にはノミネートされないが、彼の功績は大きい。脚本も巧み。

「355」C+  
ジェシカ・チャスティンがなんでこんなアクション映画をやりたいのか理解不可能。シャリーズ・セロンには遠く及ばない。

「モータル・コンバット」C –  
アジア系役者を使ったことだけがよし。

「ユダ&ブラック・メシア」A 
ダニエル・カルーヤの上手いこと。シャカ・キングの演出もよし。「ブラッククランズマン」とは比較にならないくらい上質な黒人潜入捜査官のドラマ。ラキーシャ・スタンフォード、ジェシー・プレモンス以下のキャストも一流演技。アンサンブルも見事。ラストの殺戮はアメリカ公民権運動時代の権力の闇を渾身の力で描いている。

「瞳に映るもの」B  
デンマークの第二次大戦秘話。キャストも映像もいいが、脚本が幼い。脚本監督はオーレ・ポルネダル。子役が素晴らしい。

「ブラック&ブルー」C 
ナオミ・ハリス主演のダメ映画ア・ラ・セルピコ。

「ザ・バットマン」B +
画面暗すぎ。TOHOシネマズ日比谷だったけれど、映写機のレンズを磨いてないんじゃないか。最近そういう映画館が増えていると撮影監督からよく聞く。前半退屈。パティンソンはいい。

「The Sinner隠された理由」A –
2018年のセカンドシーズンにおけるキャリー・クーンとビル・プルマンの対決が面白し。キャリーはアンドレアと同年生まれ。


「Tokyo Vice #1」A 
さすがマイケル・マン。映像センスよし。ロケ地も文句なし。アンセルと伊藤英明がとりあえずよし。新聞社上司の役二つが、セリフも芝居も、ん?となること多し。しかし、脇や端役の顔のアンサンブルが格段に優れている。面接官の英語を喋る男、焼身男の奥さん、ヤクザ幹部などなど。第二話以降が楽しみ。殊にHikariが監督した#4と5が興味あり。

とエピソード1を見た直後に書いたが、その後、撮影現場のとんでもない噂を耳にした。マイケル・マンがわがままし放題でこの一話だけで製作費をかなり使い込んでしまったこと、気が向かなければ撮影を中止してさっさと帰ってしまうこと、日本側からの修正要求が例によっての「これはアメリカ向けの作品だから」という製作側の一言で切り捨てられること、それによって生ずる歪みが日々拡大され現場は重信房子取材風景のように混沌し怒号が飛び交っていたことなどなど。唾棄すべき監督像が浮かび上がる。映画界のパワハラを追求したければこの現場での混沌と理不尽を取材すべきだろう。

結局、ジョセフ・クボタ某に監督交代した#2、#3は映像的にもお粗末で呆れてしまい、Hikariだけはなんとか頑張っているだろうと見てみた#4は脚本(ナオミ・イイヅカ)、演出の不備が随所にあって大失望。

ということで「Tokyo Vice #4」はC。菊池凛子が警察官3人から情報を引き出す居酒屋シーンの会話が変。彼女の英語芝居の限界は#1から明らかだったが、このシーンでの日本語芝居も変。ナオミ・イイズカの脚本が問題なのか、Hikariの演出解釈に責任があるのかはわからない。

谷田歩の腕時計のシーンには唖然。高級中華レストランの通路を歩き過ぎていくヤクザの大物に、時計がカッコいいなどと声をかけるジャーナリストがどこにいる!こういうことをアンセルに言わせたければ、谷田が立ち止まって、笠松将と食事中のアンセルをねめつければいい。その緊張感を解くためにアンセルが時計のことを言うなら成立する。コモンセンスに欠けたシーン、非常識なシーンがこのエピソードでは多すぎる。

ちなみにナオミ・イイヅカ女史はアメリカに於ける日系人戯曲家としてトップクラスの人。大学でも教鞭をとっている。が、映像作品の脚本は何本かあるようだが、ヤクザの世界とは肌が合わないのだろう。シーンの運びもギクシャクしているし、日本語のセリフを書く力にも限界があるようだ。


「知られざるマリリン・モンロー」B 興味深いドキュメンタリーだが、電話取材の著名人を声は本人、姿を役者で再現という方法論が不快。なんでジョン・ヒューストンがこんなブサイク男なんだ、と腹が立った。

「心と体と」A 
アレキサンドラ・ボーベリーがひたすら魅力的&素晴らしい。

「チェルノブイリ1986」C – 
導入部20分のお粗末な展開に唖然。10年ぶりの出会いでギクシャクしている男女が、2週間後、再びギクシャクしている。アホか。子供がいるのに大人2人でケーキ食べるって何だぁ?とか、常識に欠けたシーンが相次ぐ通俗メロドラマ。終盤退席。監督・主演男が頭悪すぎ。決死隊に近道があることも言わずに一度は逃げ、女のところへ行くなどおかしな展開が続く。

「ドクター・ストレンジ/マルチバース」B 
特撮はすごいが、もっと建設的な企画で使ってほしいものだ。「鬼子母神」とのダラダラ続く戦いにうんざり。

「パリ13区」A –
ジャック・オーディアールが過ぎ去りし日のラヴライフに思いを馳せているかのような若者セックス武勇伝。主役3人(ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン)の演技は確かなものがあるし、すっぽんぽんで頑張っている。モノクロ撮影とMもよし。最も印象的なのは主役3人ではなくアンバー・スイート役のジェニー・ベス。日曜日のエピソードでノラ(ノエミ)に会うアンバーの、会いたい気持ち9、迷い1の歩みに何故か大感動。涙がしばらく止まらなかった。


「LOVE DEATH + ROBOTS」Season 3
デーヴィッド・フィンチャー演出のBad Travellingは筋立てが面白かったし、Night of the Mini Deadにはゲラゲラ笑った。殆ど全てがAランクの面白さだったが、ひとつ突拍子もないスグレモノがラストにあった。アルベルト・ミエルゴが演出したJIBAROだ。このテクニック、ヴィジュアルにはとてつもない刺激を受けた。後日見たSeason 1にもミエルゴ作品があった。The Witness。このヴィジュアルと展開も素晴らしい。

「シャドー・ダンサー」B + 
たまたま遭遇したアンドレア・ライズボローの2012主演作。1993年の英国諜報部MI5とIRAテロリスト・グループの心理戦を描いたスリラーで、大枠においてはジェームス・マーシュ演出が手堅い。密告者の役割を強制されるコレット(アンドレア)も、強制するマック(クライヴ・オウエン)もうまいが、ちょっとしたところに歪みがある。例えば、川縁の密会場所にコレットがとっても目立つ赤いコートを着ていく。密会ですよ。目立っちゃいけないんですよ。リアルなタッチから大きく外れている。テロリスト仲間のケヴィン(デーヴィッド・ウィルモット)とコレットの弟コナー(ドーナル・グリーソン)の敵対関係もよくわからない。自分の密告者を救うために上司(ジリアン・アンダーソン)の密告者を売るというクライマックスも説得力がない。次のステップ、「まさかの爆殺」に無理やり持っていくための筋立てでしかない。


「Slow Horses窓際のスパイ」A –
MI5モノが続く。ゲイリー・オールドマン率いる「泥沼館スラブハウス」の住民たち(窓際族諜報員)がMI5本家と戦う展開は面白い。演技陣も、ジャック・ロウデン、クリスティン・スコット・トーマス、サスキア・リーヴス、ダスティン・デムリ・バーンズ、ロザリンド・イリーザー、オリヴィア・クックが見事なアンサンブルを奏でている。シド役のオリヴィアなど、格調高きヒロインとして大活躍するかと思ったら第二話で消えてしまった。その喪失感にしばらく立ち直れなかったほどだ。下っ端ワルのカーリー(ブライアン・ヴァーネル)が凶暴ワルに変身するプロセスも面白い。

しかし、これもまた、気の行かない展開が足を引っ張る。各エピソード間の時間差の調整がうまくできていない。脚本の問題点を演出、編集で解決できなかったことになる。ジェームス・ハースの演出は役者を使う点では一流だが、一人一人の行動ロジックを把握できていない。殊に、終盤部の追っかけごっこの展開に難がある。混乱もする。

とはいえ、ゲイリー演ずるジャクソン・ラムのキャラが「裏切りのサーカス」でゲイリーが演じたジョージ・スマイリー以上に「盛りを過ぎて腹にガスを溜め込んだ」ジョージ・スマイリーっぽくて、彼を見ているだけで心が豊かになる。このゲイリーはチャーチルのゲイリーを超えている。

そしてもう一つ気になったことがある。「フォー・ウェディング」から「イングリッシュ・ペイシェント」にかけて、私の憧れの人であったクリスティンの今、である。老けてなお、MI5の冷徹な部長を演じて魅力的ではある。が、あのパラシュートのようにどでかいスカートはなんなんだ。

6話続きで、ほぼ一昼夜の攻防が描かれるため、クリスティンはコートを羽織っていない時は、デカスカートで歩き回る。下半身主体に肉がついてしまったのだろうか。痩身美女ナンバーワンだったクリスティンが、下半分2倍弱になってしまったのか。気になって気になって夜も眠れない。

そういえば、「バタフライ・キス」の魅力的な演技派だったサスキア・リーヴスも、27年経ったら演技派老婆となっていた。クリスティンもサスキアも、私よりは若いわけで、寄る年波の話はやがて自分に返って来ることは必至なのだが・・・。


2022/06/01 (水)

アンドレア・ライズボローの神秘研究最終章ZEROZEROZERO。

ロベルト・サヴィアーノのルポルタージュ文学「死都ゴモラ」の第一部に「システム」というチャプターがある。訳者は「組織」という漢字に「システム」というルビをふっている。システムと呼ぶがニュアンスは犯罪組織の組織に近い、という意味だろう。サヴィアーノは書く。

「衣服をめぐる大きな国際市場、『イタリアン・モード』の巨大な群落を育て上げたのは『システム』だった(大久保昭男訳・河出文庫)」

我ら日本人が健全な眼差しで憧れるイタ服の裏側にマフィアと呼ばれる魑魅魍魎が跋扈しているというわけだ。そのシステムを警察用語では「カモーラ」と呼び、ナポリを中心とした犯罪組織カモーラを詩人の魂を持つ潜入ルポライターのサヴィアーノが徹底的に取材した。

2006年に発表された「死都ゴモラ」はカモーラのビジネス・ワールドを暴き欧州でベストセラーとなった。以来、カモーラはサヴィアーノをつけ狙い、彼は「警護される人生」を生きている。

2013年に発表されたサヴィアーノの第二作「コカイン、ゼロゼロゼロ」の献辞で、彼はこう書いている。

「この本を、私の警護をしてくれるすべての警察官と、彼らとともに過ごした三万八千時間に、そしてこの先どこへ行くにもともに過ごすであろう時間に捧ぐ(関口英子訳、河出書房新社)」


「死都ゴモラ」発表直後、イタリア政府がサヴィアーノ警護に及び腰だった時には、命がけの調査報道をした稀有な作家を守るべく、6人のノーベル賞受賞者が異例の警護要請を発した。

その6人の顔ぶれは、イタリアの劇作家ダリオ・フォ、イタリアの神経学者リータ・レヴィ・モンタルチーニ、南アのビショップで反アパルトヘイトの人権活動家神学者のデズモンド・ツツ、ドイツの文学者ギュンター・グラス、トルコの文学者オルハン・パルク、そしてミハイル・ゴルバチョフである。

「コカイン ゼロゼロゼロ」の最終章でサヴィアーノは自身の選んだ道をこんな風に述べている。

「(前略)私は犠牲を払うつもりはなかったし、報いを求めてもいなかった。ただ、理解し、それを書き、語りたかった。すべての人に。家々を一軒一軒まわり、夜だろうが昼だろうが集めた物語を共有し、傷痕を見せたかった。それに相応しい口調と然るべき言葉を選んだという自負とともに。それが私の望んだことだった。ところが、私は一連の物語の傷痕に呑み込まれてしまった(後略)」

彼の二冊の著作に、読み手は呑み込まれる。そこに生き様死に様を記録された人々に魅了される。その意味で映画「ゴモラ」は生き残る術の熱気にとぼしかったし、TVシリーズ「ゴモラ・ラ・セリエ」はシーズン1を見た限りでは、生き残るアクションに地道を上げすぎ通俗に堕した。

どちらも原作の持つ、作者の崖っぷちには立っていない。つまり、「死都ゴモラ」を映像化するならば、主人公はサヴィアーノであるべきなのだ。


アマゾンの「ZERO ZERO ZERO」はほぼ一気見のリミテッドシリーズではあったが、アンドレア・ライズボローら主要キャストが演じたキャラクターは、原作には一切出て来ない。

原作者の放つ「命がけの使命感」は感じない。

が、映像作品として別個に立ち上げた稀有の物語性が原作本と同等の輝きを放っている。

クリエイトしたチームは「ゴモラ・ラ・セリエ」に関わったレオナルド・ファソリ、マウリツィオ・カッツ、ステファノ・ソリマ。サヴィアーノ自身もかなり密に脚本及び製作に意見具申をしたのではないだろうか。

全8話の監督は、最初の2話を「ボーダーライン2」のステファノ・ソリマ、続く3話を「アルマジロ」を撮ったデンマークの鬼才ヤヌス・メッツ、最後の3話をアルゼンチンの、そして私にとっては旧知のパブロ・トラペロ。文句なしにうまい!と唸ったのは中盤3話を担当したヤヌス・メッツだが、演出トーンは統一されている。おそらくソリマが総監督的な立場にいたのだろう。

弱点は、メキシコ、モンテレーのエピソードにおけるマヌエル・コントレラス(ハロルド・トーレス)の「カリートの道」あるいは「預言者」的な出世物語だ。いくつかの実話をベースに組み立てたと思しきこのプロットには、疑問点が随所に残る。例えば、マヌエルが属した特殊部隊が、マヌエル率いるユニットごと抜けて犯罪組織の出世街道を歩み始めたことへの反応が全く描かれない。マヌエルが標的とするカルテルのトップ兄弟の扱いも表と裏の描き分けが中途半端だ。

弱点とは言っても、映像はエネルギッシュであり呑み込まれてしまう。モンテレーの夜景ショットもロケ場所も素晴らしい。そして、ラスト、エマ・リンウッド(アンドレア・ライズボロー)とマヌエルの邂逅シーンの残酷美には息を呑む。

全編を通して描かれるエマのオデッセーの、ゴールとしての静かなる対決のインパクトがそこにはある。パブロ・トラペロの演出はこのクライマックスとマヌエルの犯罪部隊キャンプの訓練シーンで頂点を極めている。


「ゼロゼロゼロ・宿命の麻薬航路」では三つのファミリーの運命が交差する。コカインの出荷地メキシコ・モンテレーでのマヌエルをトップとする軍人たちの疑似家族、コカインの集積地イタリア南部カラブリア地方の犯罪組織ンドランゲタと呼ばれるファミリー(ンドランゲタの活動の詳細は原作にある)。

そして両者を結ぶディーラーであり、コカイン輸送を請け負うニューオーリンズの海運業者リンウッド・ファミリーだ。

三つのファミリーはそれぞれ「今、そこにある危機」を抱えている。

モンテレーは前記した派手な抗争。

カラブリアは官憲から逃げ回る老いたる権威ドン・ダミアノ・ミヌ(アドリアノ・チアラミダ)一派と孫のステファノ(ジュセッペ・デ・ドメニコ)一派との世代交代基調の静かなる抗争。

リンウッド・ファミリーは父エドワード(ゲイブリエル・バーン)をオープニングのモンテレーでの襲撃作戦で失い、ビジネスを引き継いだエマは精神疾患を抱える弟クリス(デイン・デハーン)とともに、コカインを海路カラブリアまで運ぶことになる。

エドワードのビジネス・パートナーはドン・ダミアノであったゆえ、ステファノはあらゆる手を尽くして、祖父のビジネスであるこのコカイン輸送を妨害する。ゆえに、エマとクリスが知恵と体力を尽くさざるを得ない苦難の、冒険に満ちたオデッセイが生まれる。


サハラ砂漠での陸路輸送を選ぶ中盤から、アンドレア・ライズボロー演ずるエマの存在が、冒険映画の立ち役に見えて来る。

「ゴッドファーザー」で言えば、アル・パチーノ演ずるマイケルの「襲名披露の戦い」だ。

彼女の、父と弟への愛情の深さが、このシリーズ屈指の文学的香華を放っている。原作には出て来ないキャラクターとはいえ、サヴィアーノの見識がかなり影響を与えているように思う。

ゴールのカラブリアに到着したエマの、抑えた復讐劇の眼差は、その山村ロケ地の味わいとともに、極上のインパクトを放つ。長い旅路のゴールに相応しいクライマックスだ。そして、もう一つの締めくくりが前記したエマとマヌエルの邂逅ということになる。

最終話の監督はトラペロということになっているが、カラブリアのエピソードはソリマが監督したのではないだろうか。いずれにせよ、イタリア・ロケの全シーン、全登場人物のリアリティは群を抜いている。山岳地を活動の拠点にする生活感あふれるンドランゲタの描写は、サヴィアーノの原作を映像化したインパクトに溢れている。一族郎党全員が魅力的なのだ。


このシリーズに出会うことで、私はアンドレア・ライズボローの魅力にノックアウトされ、怒涛のアンドレア追っかけが始まったわけではあるが、そもそものきっかけは彼女ではなかった。クリス役のデイン・デハーンなのである。

Apple TVの新着欄にLISEY’S STORYというシリーズがあった。パブロ・ロレインが監督してジュリアンヌ・ムーアが主演している。どんなものかと見てみたら、エピソード1の終盤で、キレッキレのサイコパスが登場した。あれ、どこかで見たぞ、こいつ、誰だっけ?

それが「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」に出ていたデイン・デハーン少年の成長した姿だった。

他にどんなものに出ているのかサーチして「ゼロゼロゼロ」に遭遇し、アンドレア再発見につながった。

邦題を「宿命の麻薬航路」としてデインを前面に出したのは担当者の「プレイス・ビヨンド」へのオマージュかもしれない。私から見れば「プレイス・ビヨンド」は良いキャストに恵まれながら監督脚本のデレク・シアンフランスの力が足りず凡作に終わった青春無頼通過儀礼映画なのだが。

「ゼロゼロゼロ」でのデインの演技にも舌を巻いた。彼の異常な行動力が起こす出会いには意外性が溢れている。アンドレアとのケミストリーもいい。殊に、父と3人で寝そべったベッドでの思い出を2人が分かち合うくだりは、「燃えよ剣」の土方歳三と沖田総司の寝そべる姿と重なり、私の涙腺が緩んでしまった。


コカイン・トラフィッキングにまつわる三つのグループに於ける家族の抗争と絆の輪舞。

この大傑作シリーズが、私から見れば、数年間、ひっそりとAmazon映像作品群の奥之院に眠っていたことになる。

評判は一切伝わって来なかった。

映画ファンにとっては恐ろしい時代になったものだ。

「ZeroZeroZero」に於けるアンドレア・ライズボローの表情のポエトリーに、私はひたすら感動した。「わたしを離さないで」や「ブライトン・ロック」の頃はそこそこに魅力的な演技派程度だったが中年になって円熟の美女となった。彼女は1981年生まれ。そういえば、1981年生まれで同口径の演技派知的美人女優キャリー・クーンにも私は惹かれている。

私がドジャース・ファンとして開眼したのも1981年だった。


2022/06/01 (水)

アンドレア・ライズボローの神秘研究最終章ZEROZEROZERO。

ロベルト・サヴィアーノのルポルタージュ文学「死都ゴモラ」の第一部に「システム」というチャプターがある。訳者は「組織」という漢字に「システム」というルビをふっている。システムと呼ぶがニュアンスは犯罪組織の組織に近い、という意味だろう。サヴィアーノは書く。

「衣服をめぐる大きな国際市場、『イタリアン・モード』の巨大な群落を育て上げたのは『システム』だった(大久保昭男訳・河出文庫)」

我ら日本人が健全な眼差しで憧れるイタ服の裏側にマフィアと呼ばれる魑魅魍魎が跋扈しているというわけだ。そのシステムを警察用語では「カモーラ」と呼び、ナポリを中心とした犯罪組織カモーラを詩人の魂を持つ潜入ルポライターのサヴィアーノが徹底的に取材した。

2006年に発表された「死都ゴモラ」はカモーラのビジネス・ワールドを暴き欧州でベストセラーとなった。以来、カモーラはサヴィアーノをつけ狙い、彼は「警護される人生」を生きている。

2013年に発表されたサヴィアーノの第二作「コカイン、ゼロゼロゼロ」の献辞で、彼はこう書いている。

「この本を、私の警護をしてくれるすべての警察官と、彼らとともに過ごした三万八千時間に、そしてこの先どこへ行くにもともに過ごすであろう時間に捧ぐ(関口英子訳、河出書房新社)」


「死都ゴモラ」発表直後、イタリア政府がサヴィアーノ警護に及び腰だった時には、命がけの調査報道をした稀有な作家を守るべく、6人のノーベル賞受賞者が異例の警護要請を発した。

その6人の顔ぶれは、イタリアの劇作家ダリオ・フォ、イタリアの神経学者リータ・レヴィ・モンタルチーニ、南アのビショップで反アパルトヘイトの人権活動家神学者のデズモンド・ツツ、ドイツの文学者ギュンター・グラス、トルコの文学者オルハン・パルク、そしてミハイル・ゴルバチョフである。

「コカイン ゼロゼロゼロ」の最終章でサヴィアーノは自身の選んだ道をこんな風に述べている。

「(前略)私は犠牲を払うつもりはなかったし、報いを求めてもいなかった。ただ、理解し、それを書き、語りたかった。すべての人に。家々を一軒一軒まわり、夜だろうが昼だろうが集めた物語を共有し、傷痕を見せたかった。それに相応しい口調と然るべき言葉を選んだという自負とともに。それが私の望んだことだった。ところが、私は一連の物語の傷痕に呑み込まれてしまった(後略)」

彼の二冊の著作に、読み手は呑み込まれる。そこに生き様死に様を記録された人々に魅了される。その意味で映画「ゴモラ」は生き残る術の熱気にとぼしかったし、TVシリーズ「ゴモラ・ラ・セリエ」はシーズン1を見た限りでは、生き残るアクションに地道を上げすぎ通俗に堕した。

どちらも原作の持つ、作者の崖っぷちには立っていない。つまり、「死都ゴモラ」を映像化するならば、主人公はサヴィアーノであるべきなのだ。


アマゾンの「ZERO ZERO ZERO」はほぼ一気見のリミテッドシリーズではあったが、アンドレア・ライズボローら主要キャストが演じたキャラクターは、原作には一切出て来ない。

原作者の放つ「命がけの使命感」は感じない。

が、映像作品として別個に立ち上げた稀有の物語性が原作本と同等の輝きを放っている。

クリエイトしたチームは「ゴモラ・ラ・セリエ」に関わったレオナルド・ファソリ、マウリツィオ・カッツ、ステファノ・ソリマ。サヴィアーノ自身もかなり密に脚本及び製作に意見具申をしたのではないだろうか。

全8話の監督は、最初の2話を「ボーダーライン2」のステファノ・ソリマ、続く3話を「アルマジロ」を撮ったデンマークの鬼才ヤヌス・メッツ、最後の3話をアルゼンチンの、そして私にとっては旧知のパブロ・トラペロ。文句なしにうまい!と唸ったのは中盤3話を担当したヤヌス・メッツだが、演出トーンは統一されている。おそらくソリマが総監督的な立場にいたのだろう。

弱点は、メキシコ、モンテレーのエピソードにおけるマヌエル・コントレラス(ハロルド・トーレス)の「カリートの道」あるいは「預言者」的な出世物語だ。いくつかの実話をベースに組み立てたと思しきこのプロットには、疑問点が随所に残る。例えば、マヌエルが属した特殊部隊が、マヌエル率いるユニットごと抜けて犯罪組織の出世街道を歩み始めたことへの反応が全く描かれない。マヌエルが標的とするカルテルのトップ兄弟の扱いも表と裏の描き分けが中途半端だ。

弱点とは言っても、映像はエネルギッシュであり呑み込まれてしまう。モンテレーの夜景ショットもロケ場所も素晴らしい。そして、ラスト、エマ・リンウッド(アンドレア・ライズボロー)とマヌエルの邂逅シーンの残酷美には息を呑む。

全編を通して描かれるエマのオデッセーの、ゴールとしての静かなる対決のインパクトがそこにはある。パブロ・トラペロの演出はこのクライマックスとマヌエルの犯罪部隊キャンプの訓練シーンで頂点を極めている。


「ゼロゼロゼロ・宿命の麻薬航路」では三つのファミリーの運命が交差する。コカインの出荷地メキシコ・モンテレーでのマヌエルをトップとする軍人たちの疑似家族、コカインの集積地イタリア南部カラブリア地方の犯罪組織ンドランゲタと呼ばれるファミリー(ンドランゲタの活動の詳細は原作にある)。

そして両者を結ぶディーラーであり、コカイン輸送を請け負うニューオーリンズの海運業者リンウッド・ファミリーだ。

三つのファミリーはそれぞれ「今、そこにある危機」を抱えている。

モンテレーは前記した派手な抗争。

カラブリアは官憲から逃げ回る老いたる権威ドン・ダミアノ・ミヌ(アドリアノ・チアラミダ)一派と孫のステファノ(ジュセッペ・デ・ドメニコ)一派との世代交代基調の静かなる抗争。

リンウッド・ファミリーは父エドワード(ゲイブリエル・バーン)をオープニングのモンテレーでの襲撃作戦で失い、ビジネスを引き継いだエマは精神疾患を抱える弟クリス(デイン・デハーン)とともに、コカインを海路カラブリアまで運ぶことになる。

エドワードのビジネス・パートナーはドン・ダミアノであったゆえ、ステファノはあらゆる手を尽くして、祖父のビジネスであるこのコカイン輸送を妨害する。ゆえに、エマとクリスが知恵と体力を尽くさざるを得ない苦難の、冒険に満ちたオデッセイが生まれる。


サハラ砂漠での陸路輸送を選ぶ中盤から、アンドレア・ライズボロー演ずるエマの存在が、冒険映画の立ち役に見えて来る。

「ゴッドファーザー」で言えば、アル・パチーノ演ずるマイケルの「襲名披露の戦い」だ。

彼女の、父と弟への愛情の深さが、このシリーズ屈指の文学的香華を放っている。原作には出て来ないキャラクターとはいえ、サヴィアーノの見識がかなり影響を与えているように思う。

ゴールのカラブリアに到着したエマの、抑えた復讐劇の眼差は、その山村ロケ地の味わいとともに、極上のインパクトを放つ。長い旅路のゴールに相応しいクライマックスだ。そして、もう一つの締めくくりが前記したエマとマヌエルの邂逅ということになる。

最終話の監督はトラペロということになっているが、カラブリアのエピソードはソリマが監督したのではないだろうか。いずれにせよ、イタリア・ロケの全シーン、全登場人物のリアリティは群を抜いている。山岳地を活動の拠点にする生活感あふれるンドランゲタの描写は、サヴィアーノの原作を映像化したインパクトに溢れている。一族郎党全員が魅力的なのだ。


このシリーズに出会うことで、私はアンドレア・ライズボローの魅力にノックアウトされ、怒涛のアンドレア追っかけが始まったわけではあるが、そもそものきっかけは彼女ではなかった。クリス役のデイン・デハーンなのである。

Apple TVの新着欄にLISEY’S STORYというシリーズがあった。パブロ・ロレインが監督してジュリアンヌ・ムーアが主演している。どんなものかと見てみたら、エピソード1の終盤で、キレッキレのサイコパスが登場した。あれ、どこかで見たぞ、こいつ、誰だっけ?

それが「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」に出ていたデイン・デハーン少年の成長した姿だった。

他にどんなものに出ているのかサーチして「ゼロゼロゼロ」に遭遇し、アンドレア再発見につながった。

邦題を「宿命の麻薬航路」としてデインを前面に出したのは担当者の「プレイス・ビヨンド」へのオマージュかもしれない。私から見れば「プレイス・ビヨンド」は良いキャストに恵まれながら監督脚本のデレク・シアンフランスの力が足りず凡作に終わった青春無頼通過儀礼映画なのだが。

「ゼロゼロゼロ」でのデインの演技にも舌を巻いた。彼の異常な行動力が起こす出会いには意外性が溢れている。アンドレアとのケミストリーもいい。殊に、父と3人で寝そべったベッドでの思い出を2人が分かち合うくだりは、「燃えよ剣」の土方歳三と沖田総司の寝そべる姿と重なり、私の涙腺が緩んでしまった。


コカイン・トラフィッキングにまつわる三つのグループに於ける家族の抗争と絆の輪舞。

この大傑作シリーズが、私から見れば、数年間、ひっそりとAmazon映像作品群の奥之院に眠っていたことになる。

評判は一切伝わって来なかった。

映画ファンにとっては恐ろしい時代になったものだ。

「ZeroZeroZero」に於けるアンドレア・ライズボローの表情のポエトリーに、私はひたすら感動した。「わたしを離さないで」や「ブライトン・ロック」の頃はそこそこに魅力的な演技派程度だったが中年になって円熟の美女となった。彼女は1981年生まれ。そういえば、1981年生まれで同口径の演技派知的美人女優キャリー・クーンにも私は惹かれている。

私がドジャース・ファンとして開眼したのも1981年だった。


 a-Nikki 1.02