2020/09/26 (土)

改めて、我がBIG 12。


既に書いた気もするが、ひょっとすると講演の資料で配っただけかもしれない。取りあえず、本日時点での我が「BIG 12」を記載しておこう。

12人の映画監督は、MLBでいえば、HALL OF FAMER。つまり現役から退いた神々の名選手たち。監督の場合は、神棚にあげてしまった文字通りの「映画の神様」。この世での教化を終え、あの世での教化に移られた、つまり「お隠れになった」あるいは「遷化された」監督たち。その生涯を眺めて、我が師と仰ぎ見るマエストロ(巨匠)たちなのです。

スティーヴン・スピールバーグのような、現役監督として私に影響を与え続けている監督は含みません。BIG12の映画遺産は周期的に見直して、己れの感性を鍛え直しています。自分の成長に伴い、新たな発見もあります。私の作品群の核にはこういったマエストロの「古典」が呼吸しています。

註:名前の順列は没年の古さ。作品名は現時点での私のTOP5。



小津安二郎 1903~1963
1「浮草」1959、2「小早川家の秋」1961、3「早春」1956、4「晩春」1949
5はタイで2本。「麦秋」1951、「秋刀魚の味」1962

キャリア最後の6作がカラー。1、2位はマンネリに陥ったと言われた晩年のカラー作品。小津は最後まで進化し続けた稀有な映画作家だった。

ジャン・ピエール・メルヴィル 1917~1973
1「影の軍隊」1969、2「仁義」1970、3「いぬ」1963、4「サムライ」1967、5「ギャング」1966

73年の8月2日没でジョン・フォードが同月30日。で、こちらが先。それにしても早死だった。第二次大戦レジスタンスでの果敢な活動が死期を早めたのかもしれない。自身の体験に基づいた「影の軍隊」が出色。というか1位がダントツで、3位以下は見るたびに評価が下がっている。フランス枠でいうならロベール・ブレッソンと入れ替えるべきかもしれない。

ジョン・フォード 1894~1973
1「荒野の決闘」1946、2「捜索者」1956、3「怒りの葡萄」1940、4「わが谷は緑なりき」1941、5はタイで3本。「アパッチ砦」1948、「リオグランデの砦」1950、「騎兵隊」1959

ホークスとの親交は深くお互い作品を「盗んだり盗まれたり」している。「捜索者」は「赤い河」を「盗んだ」オープニングとなっている。



ハワード・ホークス 1896~1977
1「赤い河」1948、2「コンドル」1939、3「ヒズ・ガール・フレイデー」1940、4「脱出」1944、5はタイで4本。「赤ちゃん教育」1938、「エア・フォース」1943、「三つ数えろ」1946、「リオ・ブラボー」1959

1972年のサンセバスチャン映画祭で初めて会って以来、パームスプリングスの自宅におしかけロング・インタヴューをするなど5回ほど面識あり。私にとっての究極の映画術の師匠。擬似家族の編むリレーションシップ・ドラマは私の作品の強靭な背骨。「赤い河」は生涯の一本。

アルフレッド・ヒッチコック 1899~1980
1「汚名」1946、2「めまい」1958、3「北北西に進路を取れ」1959、4「裏窓」1954、5はタイで3本。「間違えられた男」1956、「サイコ」1960、「鳥」1963

「ファミリー・プロット」1976撮影中に取材。「汚名」と「めまい」はほぼ同着。3位以下を圧倒的に引き離している。

デーヴィッド・リーン 1908~1991
1「アラビアのロレンス」1962、2「旅情」1955、3「戦場にかける橋」1957

上記の「旅情」から始まる三作は、私にとって映画史上最高最強の三連打であり、これに比べると他の諸作があまりに格下なので4着以降は選出せず。



黒澤明 1910~1998
1「七人の侍」1954、2「羅生門」1950、3「生きものの記録」1955、4「天国と地獄」1963、5は4本。「野良犬」1949、「生きる」1952、「用心棒」1961、「赤ひげ」1965

個人的に親交あり。小津監督とは対照的にカラー作品よりもモノクロの作品群が圧倒的に傑出している。

スタンリー・キューブリック 1928~1999
1「突撃」1957、2「バリー・リンドン」1975、3「博士の異常な愛情」1964、4「2001年宇宙の旅」1968、5はタイで2本。「シャイニング」1980、「フルメタル・ジャケット」1987

「フルメタル」の字幕版製作時に緊密な国際電話でのやりとりあり。同作の日本語吹替版も担当したが、これは2017年にやっと陽の目を見た。

エリア・カザン 1909~2003
1「波止場」1954、2「暗黒の恐怖」1950、3「群集の中の一つの顔」1957、4「ピンキー」1949、5「荒れ狂う河」1960

カザンの場合は作品群よりも赤狩りの時代を生き抜いた表現者としての生命力に強く影響を受けている。ベスト1としては自伝「A LIFE」をあげるべきかも。



イングマール・ベルイマン 1918~2007
1「ファニーとアレキサンドル」1983、2「野いちご」1957、3「恥」1968、4「処女の泉」1960、5はタイで「冬の光」1963、「ある結婚の風景」1973

表現者として生涯進化しつづけた。小津監督との共通点多々あり。母への献身でくくると、ベルイマン、オズ、ヒッチコックが3巨頭。

シドニー・ルメット 1924~2011
1「評決」1982、2「丘」1966、3「12人の怒れる男」1957、4「セルピコ」1973、5はタイで「オリエント急行殺人事件」1974、「狼たちの午後」1975、「プリンス・オヴ・ザ・シティ」1981

1960年代に台頭した所謂「ニューヨーク派」の代表的監督。モノクロ映画の迫真性は、ルメット、フランケンハイマーの初期の作品を封切時に見て心に刻んだ。国連会議のとき、親しく話せた。

サミュエル・フラー 1912~1997
1「最前線物語」1980、2「赤い矢」1957、3「ショック集団」1963、4「拾った女」1953、5「東京暗黒街・竹の家」1955

個人的には最も親しく接した映画作家のひとり。パリのシネマテークで「盗写250分の1秒」を上映したとき駆けつけてくれた。この映画はフラーのモラル・ジレンマが作品の核にある。



12監督に准ずるマエストロとしては、ジョン・カサヴェテス、ビリー・ワイルダー、ロベール・ブレッソン、オーソン・ウェルズ、ジョン・ヒューストン、サム・ペッキンパ、ロバート・アルトマンなど。「このT本」がある名監督としてはジッロ・ポンテコルヴォ、ロベール・アンリコ。

そして今、チャップリン作品を見直し、関連書を読むことでチャップリンの存在が劇的なる進捗を遂げている。BIG12を入れ替えるべきかもしれない。


2020/09/22 (火)

チャップリン再再再再再考は続く。


そういえば、また新たな10年の100 GREATEST AMERICAN MOVIESが発表になっている筈だ、とAFIのサイトを開いてみた。どのチャップリン作品がどんな位置にランクインしているのか、気になったのだ。

結果、最上位が「街の灯」で11位。次いで「黄金狂時代」58位、「モダン・タイムス」78位。

前回の投票では「黄金狂時代」74位、「街の灯」76位、「モダン・タイムス」81位だったから、「街の灯」の大躍進が際だっている。基本的には、「偉大なるアメリカ映画」枠で評価されるチャップリン作品はサイレント映画ばかりだ。

「モダン・タイムス」は厳密に言えば、パート・トーキーであり、チャップリンがサイレントの終焉=放浪者との訣別を見事に謳い上げた作品だ。作品を5本以上作った映画監督による「偉大なるアメリカ映画」を投票するならば、トップ5に入って当然の作品でもある。「モダン・タイムス」の素晴らしさについては後で述べる。



ついでに、BBCの「偉大なるアメリカ映画100本」もチェックしてみた。こちらの100本でも、チャップリン作品は上記トリオのみ選出されている。順位は「黄金狂時代」17位、「街の灯」18位、「モダン・タイムス」67位。

興味深いのは、アメリカ人と英国人の嗜好の差だ。どちらの100本にも、え、こんな凡作が!?という作品が何本か含まれているが、BBCで顕著なのは監督主体の得票が多く、名匠の衰え顕著な駄作が選出されたことだ。ヒッチコックの「マーニー」47位、キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」61位がそれらだ。

ヒッチコック作品のトップは当然ながら「めまい」。AFIの順位を遥かに上回る第3位。キューブリックのトップは「2001年宇宙の旅」で第4位。

2人とも5本ずつ選出されている。

ヒッチコックは英国人であり、キューブリックは監督人生のほぼすべてを英国で過ごしたことを考えると、英国人チャップリンの作品がアメリカ以上に評価されないのは不思議な気がする。



我がハワード・ホークスはどうなっているか。

AFIでは10年毎に作品が減って、マイ・オールタイム・ベストの「赤い河」は20年前に100位から落ちた。投票者の世代交代の弊害だ。現在残っているのは「赤ちゃん教育」のみ。それも88位だ。

ところが、BBCでは4本、ランクインしている。「赤ちゃん教育」83位、「赤い河」66位、「ヒズ・ガール・フライデー」50位、そして最上位が「リオ・ブラボー」で41位。

ちなみに現時点での1位はどちらも「市民ケーン」。2位はAFIが「カサブランカ」(BBCは9位)でBBCが「ゴッドファーザー」(AFIは3位)。



チャップリン勉強会の成果は日々あがっている。今回は既に「街の灯」1931、「モダン・タイムス」1936、「独裁者」1940、「ライムライト」1952、「殺人狂時代」1947をこの順番で見直した。

20年以上見ていない「黄金狂時代」1925、「ザ・キッド」1921、「サーカス」1928、「ニューヨークの王様」1957は新たにDVDやブルーレイを購入した。到着次第随時、観賞するつもりだ。さらに書籍は「自伝」を読み、他に7冊オーダーした。

ついでに、チャップリンの自伝をベースにした伝記映画「チャーリー」1992までDVDで購入した。「チャーリー」は封切り当時、LAで観賞し、退屈した記憶があるものの、チャップリン再考には避けられない一本と思って再見したのだ。少なくとも、ロバート・ダウニー・ジュニアのチャップリンぶりはOKだった記憶があったのだが・・・。

ところがところがところが。



28年の知恵をつけて見てみると、筆舌に尽くしがたい愚作であった。

ダウニーもダメ。放浪者TRAMPの扮装したときは模倣すればよいので似ているが、私生活部分となると無機質だ。薬物漬けの時期ということもあって、目に表情がない。老境のチャップリンとなると、ロボトミー手術を受けた患者のようだ。ダウニーが魅力的な役者となるのは1996-2001のリハビリを経て、クリーンになって以降なのだ。

作品評価は最悪のC-。何が悪いか書き連ねると大ロング・チャプターになるので控えめに問題点を列記するとこうなる。

脚本が幼稚。架空の編集者ジョージ(アンソニー・ホプキンス)がヴヴェイで隠遁生活を送るチャップリンを訪ね、自伝の編集を手助けすることで物語を展開させるアプローチが大失敗。解説のための解説でしかない。

この構成を取るなら自伝にあるように、チャップリンが秘書をつかい口述筆記するプロセスでヴヴェイの「王様」の鮮やかな老後を描くべきだった。ダウニーの老人メイクも醜悪。ダイアローグも愚直。名優ホプキンスもアホに見える。



幼稚な脚本を修正できなかったリチャード・アッテンボローの演出もタコ。俳優から監督になった英国演劇人はチャップリンを筆頭に何人かいるが、アッテンボローは中でもCクラス。「ガンジー」の成功で、ガンジーとも親交のあったチャップリンの伝記映画を依頼されたのだろうが、あまりにも無策だ。例えば、チャップリンは群衆シーンの演出にも長けていた。アッテンボローはすべての群衆シーンが画一的だ。監督ではなく、助監督が交通整理しただけの単調さなのだ。会話シーンも画一的にスロー。

演技陣がダウニーを筆頭にすべて魅力に欠ける。ロンドン時代にほのかな恋心を芽生えさせたヘティとハリウッドの苦難の時代に出会った運命の女性ウーナを同じ女優に演じさせたのは大失敗だ。モイラ・ケリーは当時、やや注目されつつあった若手女優だが、その後、伸びなかった。そういうキャスティングの失敗以上に、ウーナへの一目惚れを正当化する手段としての安易な「二役」起用が不快だ。ヘティとウーナにも無礼な設定だ。

ウーナ・オニールはチャップリンを、ジョーン・バリーという絶体絶命の危機から救う守護天使として登場するのである。ジョーンとの対比で描かれるべき知の女神でもある。ナンシー・トラヴィスが演ずるジョーンもまた醜悪なスケッチに堕している。どちらも人間として描かれていない。



さらに、「独裁者」の画面にトマトを投げつけ、「アカ!」と罵る無邪気さにも愕然。「独裁者」は封切当時アメリカを二分していた親ナチ派の神経を逆撫でしたが、この公開によってチャップリンが、共産主義アレルギーの犠牲となったわけではない。

この映画の文脈だと、まるで「独裁者」がアメリカ国民の反発を買い、興行的にも失敗作だったように思える。「独裁者」はアメリカで大ヒットした。その成功に導かれ、ナチス・ドイツと戦うロシアを援助しよう、アメリカの参戦によって「第二戦線」を構築しようという集会にチャップリンが招かれ、何千人もの聴衆を相手のスピーチを各地で展開したのだ。

ロシアとの共同戦線を訴えるこの熱弁が、やがて共産主義者のレッテルを貼られることになる。赤狩りやFBI長官エドガー・フーヴァー(ケヴィン・ダン)との確執は、この映画のような稚拙な戯画タッチでは踏み込めない多くの側面を抱えている。

チャップリンというとてつもなく巨大な存在にタックルするには、製作者も監督も脚本家も出演者も浅はかさを絵に描いた下流映画人であったといえる。

「モダン・タイムス」への賛辞は次回。


2020/09/17 (木)

チャップリン再再再再再考。


過日、大阪へ行き、9月20日放送分の「そこまで言って委員会」に出演してきた。テーマは「チャップリン映画で紐解く世界情勢」。

「モダン・タイムス」1936、「黄金狂時代」1925、「独裁者」1940、「街の灯」1931、「ライム・ライト」1952、の順番で「日本チャップリン協会」会長の大野裕之さんが作品を紹介し、それらが提示した今に繋がる社会問題をパネラーがわいわいがやがや論ずるという構成だった。

とてもクレヴァーな選択だと感心した。ただし、チャップリン考察とか映画論といった要素は番組の性格上限りなくゼロに近い。

とはいえ、私にとってはありがたーいサプライズもラストに用意されていたのでHARADA FREAKSは心して見て欲しい。ま、編集でカットされる可能性もあるけれど。



出演を承諾した段階で、私は我がチャップリン映画歴を改めて考えてみた。「殺人狂時代」1947と「独裁者」は数年前にリストアされたDVDを購入し、それなりの考察をしたおぼえがある。何がきっかけでその2本だったのかは思い出せない。どちらの作品も、映画監督になる前に一度見たきりで、好みではなかった。LA時代にカウンティ・ミュージアムのチャップリン特集で見たような記憶がある。つまり、大画面で見て、乗れなかった。

数年前の再見では「殺人狂時代」にいたく心を動かされ、「独裁者」は途中で飽きたように記憶している。「殺人狂時代」のことはどこかに書き綴った筈だが見つからない。もう一度観賞すれば思い出すだろう。「独裁者」は今回見直したので、きちんと論ずることができる。

誤解なきように言っておくと、私は、チャーリー・チャップリンを偉大な映画人であると仰ぎ見ている。稀有な芸術家だとも思う。

しかし、ハワード・ホークスやクロサワ、オズを含む「我がBIG12」のような監督リストに、チャップリンの名前はない。チャップリンの作品から学んだ「技」がないからだ。パフォーマーはチャップリン作品から技を学べる。監督術に関しては、違う。チャップリンの監督術は俳優チャップリンに隷属する「仕掛け」なのだ。チャップリンが動き回らなければ機能しない。

とはいえ、チャップリンの作品は心にリンクする何かを与えてくれる。時代が変われば変わったなりに、年を重ねれば重ねたなりに「何か」の見え方は変化する。番組出演をきっかけに、関連作品を見直してみた。初めて自伝も読んだ。とてつもなく面白かった。そしてまた新たな思いが芽生えた。そんな思いを、近い将来、書き残しておこう。


2020/08/11 (火)

「ペイン&グローリー」と自粛映像シャワー。


8月に入ってアラン・パーカーの訃報を聞いた。長い闘病生活の末、7月31日に力尽きたという。76才だった。遺作は2003年の「ザ・ライフ・オヴ・デーヴィッド・ゲイル」。筋立ても映像にも見るべきものはなにもなかった。

パーカー作品は14本あるが、そのうちの13本は見ている。唸ったのは「フェーム」、「ミシシッピ・バーニング」、「ザ・コミットメンツ」。「エンゼル・ハート」は映像センスに長けていて、何本かの私の作品で参考にさせてもらった。予告編で大感動してホンペンで落胆したのは「エビータ」。

76年の人生で最後の監督作が59才。2015年のインタヴューではシャープな感覚の口調で現場の力学を語っているが、体型は病的に膨張していた。そのときも闘病中であったろうし、それ以降は5年後の死に向かって体調を悪化させていったのだろう。思うに、60代も70代も、苦痛の年月だったのではないか。映画監督として、次のステップに踏み出す年月に。

そんなことを、ペドロ・アルモドヴァルの「ペイン・アンド・グローリー」を見ながら考えていた。



アルモドヴァルの新作も以前論じた「レ・ミゼラブル」同様、カンヌで「パラサイト」と争い、パルムドールで破れ、アントニオ・バンデラスが主演男優賞を受賞した。そして「レミゼ」同様、私は「パラサイト」よりも「ペイン」に強く惹かれる。

この作品は、映画監督の痛点を丹念に描いた名作である。

彼の二大傑作「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥ・ハー」には及ばないが、前期高齢者の列に属した彼の、枯れたタッチの記念碑になっている。私とは同い年であるだけに余計、この作品には愛着を覚える。

痛点も、これほどではないが、いくつかの共通点はある。年老いた母に「監督の顔にならないで」と警告されるシーンでは、映画監督として共感の笑い声を発してしまった。静かに画面を見守るルシネマの観客で、笑ったのは私ひとりだった。

枯れた、とは言ったが、それはペーシングと語り口であって、色彩感覚はド派手アートが健在だ。小津映画を戦闘的にカラフルに仕立てた赤の使い方がとりわけ秀逸。キッチンの赤、少年の赤が殊に気を引く。壁紙のパターン、タイル壁の美しさなど、万華鏡のような壁の扱いが70代の少年を感じさせる。

バンデラスは、とにかく、様々な痛点の描写がうまい。攻めの咳き、ニュアンスとしての痛みの数々に気品すら感じる。



痛みをやわらげるためにヘロインに傾斜していくくだりは、実際そうであったのだろうが、エピソードとしてはあまり面白くない。30数年前、大げんかした俳優(アシエル・エチェアンディア)との関係、理想のエージェント(ノラ・ナヴァス)との関係もまた特筆すべきものはなかったが、かつての恋人フェデリコの登場で、私は心を強く揺さぶられた。

滅びた愛の記憶を創作に託したことのあるものは誰でも、ゲイであろうがストレートであろうが、このエピソードにはもっていかれるに違いない。私の場合、マイ・レオ様であるアルゼンチンのレオナルド・エズバラーリャがフェデリコを演じているのだからそれだけでヨヨとなってしまった。

若き日の母を演ずるペネロペ・クルスは、母の役割に圧倒的な存在感を示すようになってきた。今は、完全に、「ふたりの女」のソフィア・ローレンの当たり役を演ずる領域にいる。後で触れる愚作「ワスプ・ネットワーク」でも、子供の扱いのうまさには舌を巻いた。ここでは、導入部、故郷の河での洗濯女たちの歌をリードする彼女に芸の桃源郷を感じる。評価:A。



7月の引きこもり生活ではNETFLIXで個人的なレオナルド・エズバラーリャ特集を組んだ。先ず見たのは後で触れる愚作「ワスプ・ネットワーク」。おや、こんなつまらぬ役でレオ様が出ていたと驚き、その中途半端な消し方に欲求不満になって、NETFLIXでレオ作品を検索した。

色々出て来た中で最初に見たのが「空の沈黙」。たるたるたるーい心理スリラー。レオ様が主演していなければ見られたものではない。演出のマリオ・デュトラはアルゼンチン映画界期待の星らしいが、私の見る限り、才能なし。ただ撮影の色調はよかった。私が気に入った「ドント・ブリーズ」を撮ったペドロ・ルケ。評価はC。

次に見た「タイガー」はエズバラーリャが中年ボクサーを演ずるのだが、最初の5分の展開がタコで即リタイア。というわけで、いい映画でのエズバラーリャに飢えているときに出会った「ペイン&グローリー」なのだった。

「ワスプ・ネットワーク」はペネロペを筆頭にエドガー・ラミレス、ガエル・ガルシア・ベルナル、アナ・デ・アーマス、ウェグネル・マウラ、エズバラーリャというスペイン語圏のスターを並べたオリヴィエ・アサイアス作品。リミテッド・シリーズ「カルロス」が過大評価されたアサイアスが、おのれを弁えず取り組んだ「次のスペイン語圏犯罪実録映画」ということになる。



反カストロのキューバ人テロリスト・グループ「ワスプ・ネットワーク」のフロリダでの活動抑止のため、キューバから送り込まれた愛国者たちの行動を追っているのだが、アサイアスの漫然とした眼差に終始苛立つ。シーンを流す時にショットの積み重ねがあるものの会話シーンはすべて座った姿勢。つまり、単調単細胞。

名場面として記憶すべきやりとりもなければ、登場人物の葛藤も、事務的な処理。アサイアスの作品を見るたびに感じることではある。この人には映画監督の痛点は皆無で、事務処理の手続きしかない。名だたる名優たちがなすすべもなく右往左往している。

アナはキューバ出身ということもあって参加したのだろうが、いてもいなくてもいい役で哀れ。もっと悲惨なのがラミレスとマウラ。ペネロペは子供の扱いでポイントを稼ぐけれど、何もしどころのない役。評価はC-。



ついでだからお粗末な作品順に映像シャワーを漁って行くことにしよう。

次のC-は、やはりNETFLIXの映画。「ザ・ファイヴ・ブラッズ」。デルロイ・リンド以下の老人たちが半世紀ぶりにヴェトナムを訪れて、かつての戦場へ金塊と帰還できなかったリーダー(チャドウィック・ボースマン)の遺骨収集に赴く。そのプロットはいいとしても、ヴェトナム戦争のエピソードが「狂気の沙汰」になっている。

つまり、ボースマンと一緒に戦う部下の若者たちを演ずるのがデルロイ以下の老人たちなのだ。ニューズリール風の戦闘シーンは、機敏なボースマンの脇を鈍臭い老人たちがドサドサ動き回ることになる。スパイク・リーは壊れたのではないか。私は30分見てリタイア。それでも、今年最悪の一本として記録に残しておく。

続いては、TVの特番だが腹が立ったので評価Cを与えて書き記しておく。7月25日にNHKで見た「崖の上に街があった」。ロケ地の映像は一流。しかし、製作姿勢と演出センスが三流ゲスの極み。プロデューサーもディレクターも女性であるらしいのは残念だ。何が悪いか。岡田将生のナレーション言葉、あざとい吹替え、選曲、と耳に聞こえるすべてが幼稚と悪趣味の間でウロウロしている。デキの悪い「世界ふれあい街歩き」スペシャルを見ている感じだ。

この手のトラヴェローグでは、時々表現の稚拙さに首を傾げるものの、「イタリア小さな村の物語」の、じっくり人と風景を見据える感覚が好きだ。音楽セレクションもそつがない。「崖の上」は素晴らしいロケ地をムダに疾走し、わざわざナレーションで「急いで廻ろう」と言わせ、お粗末な字体のタイトルを連打している。繰り返す。製作姿勢と演出センスが三流ゲスの極み。



アマゾンで見たおばかSFスリラー「UPGRADE」。C+。リー・ワネルの脚本が雑。コロナ禍前に撮ったのだが、くしゃみから飛び出す悪玉ウィルスの殺しがそこそこに笑えた。役者では主役のローガン・マーシャル・グリーンとベティ・ガブリエルが評価できる。とはいえ、セリフはお粗末。ローガンの最愛の妻を演ずる女優はいつもニッカニカのひどい芝居。ワネルの演出センスのまずさがこういうところで露呈する。

次はNETFLIXで見た「マイル22」。B-。展開が「タイラー・レイク」とそっくり。両方とも東洋の大都市での脱出劇(腐った政権が街のすべてを牛耳っている)で、あちらはクリス・ヘムスワースにインドのランディープ・フーダーをからめ、こちらはマーク・ウォールバーグにインドネシアのアクション・スター、イコ・ウワイスをくっつけた。マークにはローレン・コーヘン以下のチームがいて、彼らのやりとりは、俳優出身監督のピーター・バーグらしく見せるし聞かせる。アクションも面白く、イコの演技も買える。しかし、プロットがコレだけ幼稚で終わり方に問題ありだと、どうにもならない。



クライテリオン版の「COME AND SEE」。邦題は「炎628」。評価はB+。戦争の悲惨さをもっとも誠実に後世に伝える作品として、近年、アメリカ中心に再評価が高まるロシアの映像作家エレム・クリモフのライフワークではある。

ベラルーシで9ヶ月かけ全篇を撮影し、主役少年の成長を記録したクリモフの作家性には脱帽。作品評価は、展開に難があって名作とは言いがたい。特典映像で、クリモフの眼光鋭い顔を眺め、その言葉を聞きながらの鑑賞がおすすめ。

やはり近年、一部で再評価される女性監督ラリッサ・シェプチコとクリモフは夫婦だった。私が知る限り、ラリッサはヨーロッパを代表する美人監督であったが、1979年41才で亡くなった。

クリモフもまた映画監督の痛点を記録し続けた監督かもしれない。彼の作品は苦悩苦痛の産物だ。よく分析すれば「炎628」にも亡き妻の才気への讃歌が伺えるかもしれない。



HBO作品「パターノ」。評価はA-。アル・パチーノの名演とバリー・レヴィンソン演出力に魅了される。「リチャード・ジュエル」などと違って、ここではメディアの暴走がしっかりと描かれている。

アマゾンで見た「EAT THE WORLD」。全6話。評価はA。エメレル・ラガッセの世界食紀行がエネルギッシュに描かれる。題材もいいし、案内料理人エメレルと各エピソードで登場する料理人たちとの連帯が素敵なリレーションシップ・ドラマになっている。料理番組はこうあるべき、というショット構成と人間味。私はエメレルの料理が好きで、一時期、彼のレストランへ行くためにラスヴェガス詣でをしていたこともある。絶品はスウェーデン編とキューバ編。



NETFLIXの新作「オールド・ガード」。評価はA。このレヴェルのアクション映画は大歓迎だ。情感がある。アクションの多彩さもある。シャリーズ・セロンの存在感がすごい。立ち姿がこれほどサマになる女優はいないのではないか。そして、その表情の演技。微妙なニュアンスの感情表現は女神のゴージャスな装い。彼女のエレガンスにふさわしいミレニアム・ウォリアの登場だ。

さらに共演者が、私の好きな役者ばかりを集めた感がある。

第二ヒロインが「ビール・ストリートの恋人たち」で主役を張ったキキ・レイン。以下、チュウィテル・エッジョフォー、マシアス・スーナールツ、イタリア産若手スターのルカ・マリネッリ、デンマークの成長株マーワン・ケンザリが主要ポジションを固め、仇役が「バスターのバラード」で怪演したイギリスの若手超演技派ハリー・メリング。それぞれがきちんと存在感を発揮できる役になっている。さらに、脇の脇で私が一時期ぞっこん惚れ込んだルーマニア産アナマリア・マリンカも出て来る。

黒人女性監督のジーナ・プリンス・バイザウッドががんばっている。彼女は伸びる。女性監督としても、グレタ・ガーウィグよりも才能がある。グレッグ・ルッカが自らのグラフィック・ノヴェルを脚色したホンもよかった。



お知らせ。

8月19日発売週刊新潮の掲示板コーナーに、私の探し物が掲載される。これを読めば、私が今どんな企画と格闘しているかわかる。

さらに、8月21日発売「映画秘宝」10月号では私の処女作「さらば映画の友よ」に関するインタヴューが載る。9月2日の「さらば映画の友よ」DVDリリースに合わせた企画だ。「さらば」は演出的には稚拙なパーツ満載の映画ではあるが、20代で撮った作品はこれ一本。駆け出し監督の痛点を見てもらえればありがたい。


2020/08/11 (火)

「ペイン&グローリー」と自粛映像シャワー。


8月に入ってアラン・パーカーの訃報を聞いた。長い闘病生活の末、7月31日に力尽きたという。76才だった。遺作は2003年の「ザ・ライフ・オヴ・デーヴィッド・ゲイル」。筋立ても映像にも見るべきものはなにもなかった。

パーカー作品は14本あるが、そのうちの13本は見ている。唸ったのは「フェーム」、「ミシシッピ・バーニング」、「ザ・コミットメンツ」。「エンゼル・ハート」は映像センスに長けていて、何本かの私の作品で参考にさせてもらった。予告編で大感動してホンペンで落胆したのは「エビータ」。

76年の人生で最後の監督作が59才。2015年のインタヴューではシャープな感覚の口調で現場の力学を語っているが、体型は病的に膨張していた。そのときも闘病中であったろうし、それ以降は5年後の死に向かって体調を悪化させていったのだろう。思うに、60代も70代も、苦痛の年月だったのではないか。映画監督として、次のステップに踏み出す年月に。

そんなことを、ペドロ・アルモドヴァルの「ペイン・アンド・グローリー」を見ながら考えていた。



アルモドヴァルの新作も以前論じた「レ・ミゼラブル」同様、カンヌで「パラサイト」と争い、パルムドールで破れ、アントニオ・バンデラスが主演男優賞を受賞した。そして「レミゼ」同様、私は「パラサイト」よりも「ペイン」に強く惹かれる。

この作品は、映画監督の痛点を丹念に描いた名作である。

彼の二大傑作「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥ・ハー」には及ばないが、前期高齢者の列に属した彼の、枯れたタッチの記念碑になっている。私とは同い年であるだけに余計、この作品には愛着を覚える。

痛点も、これほどではないが、いくつかの共通点はある。年老いた母に「監督の顔にならないで」と警告されるシーンでは、映画監督として共感の笑い声を発してしまった。静かに画面を見守るルシネマの観客で、笑ったのは私ひとりだった。

枯れた、とは言ったが、それはペーシングと語り口であって、色彩感覚はド派手アートが健在だ。小津映画を戦闘的にカラフルに仕立てた赤の使い方がとりわけ秀逸。キッチンの赤、少年の赤が殊に気を引く。壁紙のパターン、タイル壁の美しさなど、万華鏡のような壁の扱いが70代の少年を感じさせる。

バンデラスは、とにかく、様々な痛点の描写がうまい。攻めの咳き、ニュアンスとしての痛みの数々に気品すら感じる。



痛みをやわらげるためにヘロインに傾斜していくくだりは、実際そうであったのだろうが、エピソードとしてはあまり面白くない。30数年前、大げんかした俳優(アシエル・エチェアンディア)との関係、理想のエージェント(ノラ・ナヴァス)との関係もまた特筆すべきものはなかったが、かつての恋人フェデリコの登場で、私は心を強く揺さぶられた。

滅びた愛の記憶を創作に託したことのあるものは誰でも、ゲイであろうがストレートであろうが、このエピソードにはもっていかれるに違いない。私の場合、マイ・レオ様であるアルゼンチンのレオナルド・エズバラーリャがフェデリコを演じているのだからそれだけでヨヨとなってしまった。

若き日の母を演ずるペネロペ・クルスは、母の役割に圧倒的な存在感を示すようになってきた。今は、完全に、「ふたりの女」のソフィア・ローレンの当たり役を演ずる領域にいる。後で触れる愚作「ワスプ・ネットワーク」でも、子供の扱いのうまさには舌を巻いた。ここでは、導入部、故郷の河での洗濯女たちの歌をリードする彼女に芸の桃源郷を感じる。評価:A。



7月の引きこもり生活ではNETFLIXで個人的なレオナルド・エズバラーリャ特集を組んだ。先ず見たのは後で触れる愚作「ワスプ・ネットワーク」。おや、こんなつまらぬ役でレオ様が出ていたと驚き、その中途半端な消し方に欲求不満になって、NETFLIXでレオ作品を検索した。

色々出て来た中で最初に見たのが「空の沈黙」。たるたるたるーい心理スリラー。レオ様が主演していなければ見られたものではない。演出のマリオ・デュトラはアルゼンチン映画界期待の星らしいが、私の見る限り、才能なし。ただ撮影の色調はよかった。私が気に入った「ドント・ブリーズ」を撮ったペドロ・ルケ。評価はC。

次に見た「タイガー」はエズバラーリャが中年ボクサーを演ずるのだが、最初の5分の展開がタコで即リタイア。というわけで、いい映画でのエズバラーリャに飢えているときに出会った「ペイン&グローリー」なのだった。

「ワスプ・ネットワーク」はペネロペを筆頭にエドガー・ラミレス、ガエル・ガルシア・ベルナル、アナ・デ・アーマス、ウェグネル・マウラ、エズバラーリャというスペイン語圏のスターを並べたオリヴィエ・アサイアス作品。リミテッド・シリーズ「カルロス」が過大評価されたアサイアスが、おのれを弁えず取り組んだ「次のスペイン語圏犯罪実録映画」ということになる。



反カストロのキューバ人テロリスト・グループ「ワスプ・ネットワーク」のフロリダでの活動抑止のため、キューバから送り込まれた愛国者たちの行動を追っているのだが、アサイアスの漫然とした眼差に終始苛立つ。シーンを流す時にショットの積み重ねがあるものの会話シーンはすべて座った姿勢。つまり、単調単細胞。

名場面として記憶すべきやりとりもなければ、登場人物の葛藤も、事務的な処理。アサイアスの作品を見るたびに感じることではある。この人には映画監督の痛点は皆無で、事務処理の手続きしかない。名だたる名優たちがなすすべもなく右往左往している。

アナはキューバ出身ということもあって参加したのだろうが、いてもいなくてもいい役で哀れ。もっと悲惨なのがラミレスとマウラ。ペネロペは子供の扱いでポイントを稼ぐけれど、何もしどころのない役。評価はC-。



ついでだからお粗末な作品順に映像シャワーを漁って行くことにしよう。

次のC-は、やはりNETFLIXの映画。「ザ・ファイヴ・ブラッズ」。デルロイ・リンド以下の老人たちが半世紀ぶりにヴェトナムを訪れて、かつての戦場へ金塊と帰還できなかったリーダー(チャドウィック・ボースマン)の遺骨収集に赴く。そのプロットはいいとしても、ヴェトナム戦争のエピソードが「狂気の沙汰」になっている。

つまり、ボースマンと一緒に戦う部下の若者たちを演ずるのがデルロイ以下の老人たちなのだ。ニューズリール風の戦闘シーンは、機敏なボースマンの脇を鈍臭い老人たちがドサドサ動き回ることになる。スパイク・リーは壊れたのではないか。私は30分見てリタイア。それでも、今年最悪の一本として記録に残しておく。

続いては、TVの特番だが腹が立ったので評価Cを与えて書き記しておく。7月25日にNHKで見た「崖の上に街があった」。ロケ地の映像は一流。しかし、製作姿勢と演出センスが三流ゲスの極み。プロデューサーもディレクターも女性であるらしいのは残念だ。何が悪いか。岡田将生のナレーション言葉、あざとい吹替え、選曲、と耳に聞こえるすべてが幼稚と悪趣味の間でウロウロしている。デキの悪い「世界ふれあい街歩き」スペシャルを見ている感じだ。

この手のトラヴェローグでは、時々表現の稚拙さに首を傾げるものの、「イタリア小さな村の物語」の、じっくり人と風景を見据える感覚が好きだ。音楽セレクションもそつがない。「崖の上」は素晴らしいロケ地をムダに疾走し、わざわざナレーションで「急いで廻ろう」と言わせ、お粗末な字体のタイトルを連打している。繰り返す。製作姿勢と演出センスが三流ゲスの極み。



アマゾンで見たおばかSFスリラー「UPGRADE」。C+。リー・ワネルの脚本が雑。コロナ禍前に撮ったのだが、くしゃみから飛び出す悪玉ウィルスの殺しがそこそこに笑えた。役者では主役のローガン・マーシャル・グリーンとベティ・ガブリエルが評価できる。とはいえ、セリフはお粗末。ローガンの最愛の妻を演ずる女優はいつもニッカニカのひどい芝居。ワネルの演出センスのまずさがこういうところで露呈する。

次はNETFLIXで見た「マイル22」。B-。展開が「タイラー・レイク」とそっくり。両方とも東洋の大都市での脱出劇(腐った政権が街のすべてを牛耳っている)で、あちらはクリス・ヘムスワースにインドのランディープ・フーダーをからめ、こちらはマーク・ウォールバーグにインドネシアのアクション・スター、イコ・ウワイスをくっつけた。マークにはローレン・コーヘン以下のチームがいて、彼らのやりとりは、俳優出身監督のピーター・バーグらしく見せるし聞かせる。アクションも面白く、イコの演技も買える。しかし、プロットがコレだけ幼稚で終わり方に問題ありだと、どうにもならない。



クライテリオン版の「COME AND SEE」。邦題は「炎628」。評価はB+。戦争の悲惨さをもっとも誠実に後世に伝える作品として、近年、アメリカ中心に再評価が高まるロシアの映像作家エレム・クリモフのライフワークではある。

ベラルーシで9ヶ月かけ全篇を撮影し、主役少年の成長を記録したクリモフの作家性には脱帽。作品評価は、展開に難があって名作とは言いがたい。特典映像で、クリモフの眼光鋭い顔を眺め、その言葉を聞きながらの鑑賞がおすすめ。

やはり近年、一部で再評価される女性監督ラリッサ・シェプチコとクリモフは夫婦だった。私が知る限り、ラリッサはヨーロッパを代表する美人監督であったが、1979年41才で亡くなった。

クリモフもまた映画監督の痛点を記録し続けた監督かもしれない。彼の作品は苦悩苦痛の産物だ。よく分析すれば「炎628」にも亡き妻の才気への讃歌が伺えるかもしれない。



HBO作品「パターノ」。評価はA-。アル・パチーノの名演とバリー・レヴィンソン演出力に魅了される。「リチャード・ジュエル」などと違って、ここではメディアの暴走がしっかりと描かれている。

アマゾンで見た「EAT THE WORLD」。全6話。評価はA。エメレル・ラガッセの世界食紀行がエネルギッシュに描かれる。題材もいいし、案内料理人エメレルと各エピソードで登場する料理人たちとの連帯が素敵なリレーションシップ・ドラマになっている。料理番組はこうあるべき、というショット構成と人間味。私はエメレルの料理が好きで、一時期、彼のレストランへ行くためにラスヴェガス詣でをしていたこともある。絶品はスウェーデン編とキューバ編。



NETFLIXの新作「オールド・ガード」。評価はA。このレヴェルのアクション映画は大歓迎だ。情感がある。アクションの多彩さもある。シャリーズ・セロンの存在感がすごい。立ち姿がこれほどサマになる女優はいないのではないか。そして、その表情の演技。微妙なニュアンスの感情表現は女神のゴージャスな装い。彼女のエレガンスにふさわしいミレニアム・ウォリアの登場だ。

さらに共演者が、私の好きな役者ばかりを集めた感がある。

第二ヒロインが「ビール・ストリートの恋人たち」で主役を張ったキキ・レイン。以下、チュウィテル・エッジョフォー、マシアス・スーナールツ、イタリア産若手スターのルカ・マリネッリ、デンマークの成長株マーワン・ケンザリが主要ポジションを固め、仇役が「バスターのバラード」で怪演したイギリスの若手超演技派ハリー・メリング。それぞれがきちんと存在感を発揮できる役になっている。さらに、脇の脇で私が一時期ぞっこん惚れ込んだルーマニア産アナマリア・マリンカも出て来る。

黒人女性監督のジーナ・プリンス・バイザウッドががんばっている。彼女は伸びる。女性監督としても、グレタ・ガーウィグよりも才能がある。グレッグ・ルッカが自らのグラフィック・ノヴェルを脚色したホンもよかった。



お知らせ。

8月19日発売週刊新潮の掲示板コーナーに、私の探し物が掲載される。これを読めば、私が今どんな企画と格闘しているかわかる。

さらに、8月21日発売「映画秘宝」10月号では私の処女作「さらば映画の友よ」に関するインタヴューが載る。9月2日の「さらば映画の友よ」DVDリリースに合わせた企画だ。「さらば」は演出的には稚拙なパーツ満載の映画ではあるが、20代で撮った作品はこれ一本。駆け出し監督の痛点を見てもらえればありがたい。


 a-Nikki 1.02