2025/03/04 (火)

アナーバー日記の後始末。


一ヶ月もアナーバー日記を中断していたのは、2月いっぱいで上げなければいけない脚本があったため。で、脚本執筆中は、刺激を与えてくれる映像を脳が欲するようになる。しかも、年明け以来劇場で見た映画がミシガン・シアターでの我が「関ヶ原」のみ、というのでは映画の神々に叱責されてしまう。

それで、劇場では「セプテンバー5」、「ブルータリスト」、「アノーラ」を見てネットではドキュメンタリーの「SURVIVING BLACKHAWK DOWN」、コラリー・ファルジャの出世作「リベンジ」、リミテッド・シリーズの「阿修羅のごとく」、「ZERO DAY」と続けて見た。

そうやって2月は終わり、昨日はアカデミー賞。これが史上最悪のテレキャストで怒り心頭血圧高騰の4時間弱となった。NHKは何故多重音声にせず、同時通訳のみに頼ってしまったのか。不愉快極まりない。


こういったAクラスの授賞式は司会もプレゼンターも受賞者も、練りに練ったスピーチで武装する。同時通訳の機能は迅速に要約することであって、オリジナルのウィットや知性は置き去りにされる。そのポイントが全く理解できていない愚鈍な制作陣ゆえ、こういった破廉恥なライヴになってしまったのだろう。

去年までのWOWOWの同時通訳チームがどんなにお粗末だったとしても、WOWOWではオリジナルの声を聞くことができた。

NHKは四人だか五人だかの同時通訳チームにオリジナル音声に被せる猿芝居を強制していた。「関ヶ原」で役所さんが演じてくれた「激怒怒怒」を関係者全員にぶつけたい。


ここ二週間、我が窓から見下ろせる隅田川のユリカモメたちはほとんど姿を見せなかった。今日は、ユリカモメの群れが飛び回っている。気分が高揚する。
彼らは南から渡って来たのか、これから北へ渡るウォーミングアップをしているのか。

アナーバー日記の締めくくりとしては、「関ヶ原」上映の翌日1月24日、マーカスがセットアップしてくれた学生たちとのランチョンが実に楽しかった。参加した学生は8人。女生徒6人と男生徒2人。学生たちが自由に喋ることができるようにと教授陣は参加せず、私を入れて9人のみの昼食会は2時間に及んだ。彼らは全員「関ヶ原」を見ていたので、その撮影談や映画全般の話など質問が途切れることはなかった。夜はマーカスの家でのホーム・パーティ。ここでは教授陣との楽しい会話が夜遅くまで続いた。

翌25日はマーカスとピーターの案内でデトロイト探訪。この街が豊かであった頃築かれた巨大な建築物の数々に目を見張った。アート・ミュージアムにあるディエゴ・リヴェラの四面壁画にも唸ったが、復活したザ・ステーション、今も現役のフィッシャー・ビルディングなどなど古き佳きアメリカの巨神信仰に心を揺さぶられた。トランプの下品さを受け付けない叡智の巨きさの話だ。

デトロイト探索の締めは、EL BARZONのメキシコ料理だった。私の人生で最高のエンチラーダ・ロハスに出会うことができた。


2025/02/04 (火)

アナーバー日記。その2。


1月23日。木曜日。
ミシガン大学にはアナーバーのダウンタウンと渾然一体となったセントラル・キャンパスの他に、車で10分ほどの郊外の丘陵地帯に広がるノース・キャンパスがある。卒業生のアーサー・ミラーの業績を記念するモダンなアーサー・ミラー・シアターもここにはある。マーカスは、そこからさらに5分ほど走らせたノースキャンパスと森林地帯の境にある倉庫ビルに私を連れて行ってくれた。

雪景色の中で異彩を放つその巨大長方形の建物は、どこぞの惑星の銀色の砦に見える。マーカスはその建物をMAVERICK COLLECTIONと呼んだ。シャッターが降りた搬入口の脇にある通用口に、そのコレクションの管理を任されているフィルが現れ、我々を中に入れてくれた。

「エイリアン」と「スター・ウォーズ」と「シルクウッド」が合わさったビルにようこそ、と彼は言う。天井が高く広いメタリックな廊下が縦横に広がって各セクションが重いドアに仕切られた空間は宇宙船の内部のようでもある。だから最初の2作の引用はわかる。「シルクウッド」は、メリル・ストリープが演じたカレン・シルクウッドが働いていた核燃料工場のイメージで引用したのだろう。


フィルは坊主頭の巨漢。有能なライブラリアンだと、マーカスは言う。このビルには卒業生を中心に寄贈された膨大な量の書籍や資料が保管されている。映画関係だけでも、オーソン・ウェルズ、ロバート・アルトマン、ジョナサン・デミ、ローレンス・キャスダン、ジョン・セイルズの、それぞれの映画宇宙を彩る資料が収納されている。様々なプロップやポスター類もある。

オーソン・ウェルズの場合は「市民ケーン」で使用した黒い帽子も杖もあった。
様々なスケッチやアイデアが書かれたノートもあった。私が「関ヶ原」で参考にさせてもらった「フォルスタッフ」又は「CHIMES AT MIDNIGHT」のオリジナルの絵コンテもあった。これらは競売に出されたら7桁の値段がつくかもしれないレアものだ。フィルがウェルズの娘の知遇を得て寄贈されたのだと言う。

他の四人の監督の場合は、それぞれの部屋に100を越えるボックスが収納されている。彼らが携わった映画の詳細な資料やメモが詰まった宇宙だ。人間的には問題あるが、整理能力に優れているのはローレンス・キャスダンだ、とフィルは言う。寄贈された時点で、完璧な目録ができていたらしい。

私の映画人生はおそらくボックスにして20個あるかないかだろう。アメリカで映画を作ると言うことは、エージェントや弁護士、ステュディオ重役たちとのやり取りだけで膨大な量のメモが残る。その差は大きい。ストレスも巨大だ。

フィルは2時間かけて映画宝庫を案内してくれた。私はひたすら圧倒され、オーソン・ウェルズの黒い帽子を被って記念写真におさまった。


ディナーは夜の「関ヶ原」上映に備えて早めに食べた。アナーバーの人気レストランのひとつSAVA’S。ギリシャ系の店だ。私はギリシャ風サラダのハーフとフィッシュ&チップスを頼んだが、またしても大部分がテイクアウトだった。

前夜のディナーはCJSの三人の女性教授たちと超人気のMANI OSTERIAでのイタメシだった。そこでは時差ぼけもあって食欲もうつろで、女性陣のオーダーした品々を摘む程度だった。

この夜の場合は、マーカスの親友でもある音楽関係の仕事をしているピーターと男三人でのディナー。ピーターは大阪西成区の住民だったこともあり、完璧な大阪弁を話すインテリだ。数時間後に控えた「関ヶ原」Q &Aに備え英語感覚を養いたい私の気持ちを二人は察してくれて、会話は英語で通したけれど。

「関ヶ原」の冒頭挨拶を、次週、その次の週と続く日本の三大変革期のことを話すか、それとも、最近私が思うに至った三成、土方、阿南陸相という三人の主人公のアルベール・カミュ的生き方の共通項を話すべきか、と相談するとピーターは即座に、カミュ、と答えた。マーカスも、日本の三大変革期に関しては上映後の質疑応答で、自分が振ると提案してくれた。

カミュ的生き方というのは、不条理から逃れらないがニヒリズムに走ることがない生き方のことで、最近読み始めたカミュの諸作によって、カミュも、三成も、土方も、阿南陸相も、志半ばによる不条理な死を迎えたと考えるようになったためだ。


上映会はとてもいい雰囲気で始まり、上映後のトーク・イヴェントも1時間に及んだ。私も久しぶりに大画面で「関ヶ原」を鑑賞し、改めて、我がスタッフ、キャストの熱気を堪能した

「SHOGUN」の1話と2話を劇場で見た時、天皇制に一切触れてないゆえにオーセンティシティに著しく欠けていると思ったが、「関ヶ原」でも天皇を描くことは避けている。

が、二箇所、「天皇の権威」に触れているところを確認して安心した。「SHOGUN」のように逃げてしまったわけではない。製作費が足りないから描かなかっただけだ。


2025/02/04 (火)

アナーバー日記。その2。


1月23日。木曜日。
ミシガン大学にはアナーバーのダウンタウンと渾然一体となったセントラル・キャンパスの他に、車で10分ほどの郊外の丘陵地帯に広がるノース・キャンパスがある。卒業生のアーサー・ミラーの業績を記念するモダンなアーサー・ミラー・シアターもここにはある。マーカスは、そこからさらに5分ほど走らせたノースキャンパスと森林地帯の境にある倉庫ビルに私を連れて行ってくれた。

雪景色の中で異彩を放つその巨大長方形の建物は、どこぞの惑星の銀色の砦に見える。マーカスはその建物をMAVERICK COLLECTIONと呼んだ。シャッターが降りた搬入口の脇にある通用口に、そのコレクションの管理を任されているフィルが現れ、我々を中に入れてくれた。

「エイリアン」と「スター・ウォーズ」と「シルクウッド」が合わさったビルにようこそ、と彼は言う。天井が高く広いメタリックな廊下が縦横に広がって各セクションが重いドアに仕切られた空間は宇宙船の内部のようでもある。だから最初の2作の引用はわかる。「シルクウッド」は、メリル・ストリープが演じたカレン・シルクウッドが働いていた核燃料工場のイメージで引用したのだろう。


フィルは坊主頭の巨漢。有能なライブラリアンだと、マーカスは言う。このビルには卒業生を中心に寄贈された膨大な量の書籍や資料が保管されている。映画関係だけでも、オーソン・ウェルズ、ロバート・アルトマン、ジョナサン・デミ、ローレンス・キャスダン、ジョン・セイルズの、それぞれの映画宇宙を彩る資料が収納されている。様々なプロップやポスター類もある。

オーソン・ウェルズの場合は「市民ケーン」で使用した黒い帽子も杖もあった。
様々なスケッチやアイデアが書かれたノートもあった。私が「関ヶ原」で参考にさせてもらった「フォルスタッフ」又は「CHIMES AT MIDNIGHT」のオリジナルの絵コンテもあった。これらは競売に出されたら7桁の値段がつくかもしれないレアものだ。フィルがウェルズの娘の知遇を得て寄贈されたのだと言う。

他の四人の監督の場合は、それぞれの部屋に100を越えるボックスが収納されている。彼らが携わった映画の詳細な資料やメモが詰まった宇宙だ。人間的には問題あるが、整理能力に優れているのはローレンス・キャスダンだ、とフィルは言う。寄贈された時点で、完璧な目録ができていたらしい。

私の映画人生はおそらくボックスにして20個あるかないかだろう。アメリカで映画を作ると言うことは、エージェントや弁護士、ステュディオ重役たちとのやり取りだけで膨大な量のメモが残る。その差は大きい。ストレスも巨大だ。

フィルは2時間かけて映画宝庫を案内してくれた。私はひたすら圧倒され、オーソン・ウェルズの黒い帽子を被って記念写真におさまった。


ディナーは夜の「関ヶ原」上映に備えて早めに食べた。アナーバーの人気レストランのひとつSAVA’S。ギリシャ系の店だ。私はギリシャ風サラダのハーフとフィッシュ&チップスを頼んだが、またしても大部分がテイクアウトだった。

前夜のディナーはCJSの三人の女性教授たちと超人気のMANI OSTERIAでのイタメシだった。そこでは時差ぼけもあって食欲もうつろで、女性陣のオーダーした品々を摘む程度だった。

この夜の場合は、マーカスの親友でもある音楽関係の仕事をしているピーターと男三人でのディナー。ピーターは大阪西成区の住民だったこともあり、完璧な大阪弁を話すインテリだ。数時間後に控えた「関ヶ原」Q &Aに備え英語感覚を養いたい私の気持ちを二人は察してくれて、会話は英語で通したけれど。

「関ヶ原」の冒頭挨拶を、次週、その次の週と続く日本の三大変革期のことを話すか、それとも、最近私が思うに至った三成、土方、阿南陸相という三人の主人公のアルベール・カミュ的生き方の共通項を話すべきか、と相談するとピーターは即座に、カミュ、と答えた。マーカスも、日本の三大変革期に関しては上映後の質疑応答で、自分が振ると提案してくれた。

カミュ的生き方というのは、不条理から逃れらないがニヒリズムに走ることがない生き方のことで、最近読み始めたカミュの諸作によって、カミュも、三成も、土方も、阿南陸相も、志半ばによる不条理な死を迎えたと考えるようになったためだ。


上映会はとてもいい雰囲気で始まり、上映後のトーク・イヴェントも1時間に及んだ。私も久しぶりに大画面で「関ヶ原」を鑑賞し、改めて、我がスタッフ、キャストの熱気を堪能した

「SHOGUN」の1話と2話を劇場で見た時、天皇制に一切触れてないゆえにオーセンティシティに著しく欠けていると思ったが、「関ヶ原」でも天皇を描くことは避けている。

が、二箇所、「天皇の権威」に触れているところを確認して安心した。「SHOGUN」のように逃げてしまったわけではない。製作費が足りないから描かなかっただけだ。


 a-Nikki 1.02