2021/05/16 (日)

素晴らしき哉!


514、「XXX」はついにクランクアップ。コロナ禍での撮影は色々な意味でシンドかった。衛生班を備えての撮影は慣れてみると、至極当然のプロセスとして受け入れることができた。監督としての立場から、すべての撮影現場に自分で車を運転して通勤したのが、後半、多少の負担にはなった。

とはいえ、スタッフ、キャストの心意気に支えられ、ひとりの感染者も脱落者もなく乗り切れたことがなによりも嬉しい。土肥チーフのスケジューリングも絶妙に天候と折り合いをつけていた。皆のやる気が天の気運も動かしたのかもしれない。

出演者の名前はまだ明かせないが、某人気俳優Aさんは素晴らしかった。今回もまた、彼の本気度と才気が現場を牽引する大きな大きな力となった。主演として、闘技デザインとして。(闘技デザインというのは美術部門を英語で呼ぶ場合のPRODUCTION DESIGNを参考にしている。英語表記は多分、FIGHTING DESIGN)

去年6月のクランクイン予定が大幅に延びても、この作品に注入した彼の情熱に少しの翳りもなかった。役作りでも、アクションの形作りでも、映画として残されるすべての瞬間に彼の気迫が脈打つことになるだろう。



キャストのひとりひとりも見事だった。原田組初陣の顔ぶれも、原田組常連も。

ここで名前を挙げて絶賛できないのが残念。素晴らしいアンサンブルを形作ってくれた。

編集作業が直に始まり、そこでまた彼らの芸の昂りと再会できる。そこで生まれる映画の桃源郷感覚が映画作りの原動力でもある。

スタッフもキャストも、映画の灯を継続させるべく、精一杯戦ったと思う。災厄は災厄。それを受け入れ、安全対策を実施して映画の撮影は続行できることを、我々は証明した。

どんな災厄が襲っても現場を動かし守る気運は不可欠だ。

撮影が終わってみると、政府と都知事の理不尽な「制限」の数々に怒りがふつふつと煮えたぎっている。緊急事態宣言下で演劇の公演を、基本的に許可したのは英断だ。しかし、なにゆえ、映画館と美術館を閉じたのか。映画館でも美術館でもツバは飛ばない。

この一貫性のない、あいまいな規制の決定者たちが災厄の中でも、高給を受け取っているという事実を考えると、うんざりする。その混沌を利用しての憲法改正の動きなど常軌を逸している。入管法の改悪も狂気の沙汰だ。自民党はどこまで堕ちていくのだろう。与党内の自浄効果など何も期待できない。

それでも夜は明け、映画は生まれる。

5ヶ月後には「燃えよ剣」が公開され、次回作の撮影も始まる。腐り切った政権への怒りが創作エネルギーの初期化にそこそこ貢献するかもしれない。



ところで。

私の1996年度作品「栄光と狂気」(英語タイトルROWING THROUGH)は、日本ではDVDが発売されていない。奥山政権下の松竹で製作されたため、作品が鬼っ子になってしまったためかもしれない。

DVDは、日本とカナダの共同製作作品であったため、カナダ側の製作会社が出したヴァージョンのみ存在する。これは発売当初に見て、カラー・グレイディングが私の好みとは違っていたために、どこかにうっちゃってしまった。最近、見直し願望が強まって、色彩調整が間違っていてもいいからと、探したのだが見つからない。

結局、アマゾンで注文した。そのDVDが届いたのが「XXX」クランクアップの翌日。つまり昨日。ちょっと見始めたら、止まらない。最後まで鋭意鑑賞してしまった。

つまり、四半世紀を経た今見ても、この作品の演技アンサンブルの見事さは少しも古臭くない。それどころか、手前味噌もへったくれもなく、これ以上の演技アンサンブルの傑作は、近年でもレアだと思う。

ロケ地選びはハーヴァードのボートハウスでの撮影も含め、完璧だった。100%満足のゆくロケ地選びは、日本映画では無理だ。



作品的には、チャプター・タイトルの入れ方が唐突なところがいくつかあり、それ以外、俳優たちのローイング・スキルであるとか、レース・コースのブイがスタートとゴール地点にしかないといった「ささいな」要素に残念感はある。が、そこを指摘されても私はなんの負い目も感じない。要は、「ささいな」ミスは、現代ならばいくらでも修正ができるところなのだ。

俳優たちのローイング・スキルに関しては、無論、専門的には一流の漕ぎ方ではない。が、ベースは出来ている。スプラッシュの部分をVFXで削ればいくらでも一流に修正可能だ。レース・コースもしかり。重要なことは、本物の漕ぎ手は演技ができないということ。それを役者たちが本物の選手に近いところまで到達しているという事実だ。

ティフを演じたコリン・ファーガソンを筆頭にジェームス・ハインドマン、ピーター・マーニック、クリストファ・ジェイコブス、1984年オリンピックのダブル・スカルで金メダルに輝いたポール・リンクィストを演じたクリス・ハイアーダール以下、選手を演じた役者たちが全員、ナチュラルな演技で、あの時代の「ジ・アマチュアズ」を演じ切っている。

語り部となるキャットのレズリー・ホープも、スリム役のヘレン・シェイヴァーも、伝説的なコーチ、ハリー・パーカー役のケネス・ウォルシュも、皆、第一級の演技を残している。実物のティフ、ビグロー、パーカーのゲスト出演も私にとっての勲章だ。長い間、原田作品を手掛けてくれた川崎さんのMも文句なし。

私もカナダ人スタッフも、この作品がコリンをスターにすると確信していたが、そうはならなかった。作品もアメリカで陽の目を見ることがなかった。コリンの場合は、名前が殺人鬼と同姓同名だったことも影響しているのかもしれない。

レスリーは当時そこそこに知名度のある女優で「24」の初期シーズンに出ていたが、それ以上、人気が出ることはなかった。この作品での演技が評価されなかったのは不運としか言いようがない。ベッドシーンや下半身丸出しの演技でも、他の女優にはできない要求を見事にこなしている。

25年を経て、コリンもピーターもクリスも渋いバイプレイヤーとして、そこそこには活動しているようだ。私の次の英語映画がいつになるかわからないが、実現すれば、コリンやクリスには声をかけたいと思っている。


2021/05/16 (日)

素晴らしき哉!


514、「XXX」はついにクランクアップ。コロナ禍での撮影は色々な意味でシンドかった。衛生班を備えての撮影は慣れてみると、至極当然のプロセスとして受け入れることができた。監督としての立場から、すべての撮影現場に自分で車を運転して通勤したのが、後半、多少の負担にはなった。

とはいえ、スタッフ、キャストの心意気に支えられ、ひとりの感染者も脱落者もなく乗り切れたことがなによりも嬉しい。土肥チーフのスケジューリングも絶妙に天候と折り合いをつけていた。皆のやる気が天の気運も動かしたのかもしれない。

出演者の名前はまだ明かせないが、某人気俳優Aさんは素晴らしかった。今回もまた、彼の本気度と才気が現場を牽引する大きな大きな力となった。主演として、闘技デザインとして。(闘技デザインというのは美術部門を英語で呼ぶ場合のPRODUCTION DESIGNを参考にしている。英語表記は多分、FIGHTING DESIGN)

去年6月のクランクイン予定が大幅に延びても、この作品に注入した彼の情熱に少しの翳りもなかった。役作りでも、アクションの形作りでも、映画として残されるすべての瞬間に彼の気迫が脈打つことになるだろう。



キャストのひとりひとりも見事だった。原田組初陣の顔ぶれも、原田組常連も。

ここで名前を挙げて絶賛できないのが残念。素晴らしいアンサンブルを形作ってくれた。

編集作業が直に始まり、そこでまた彼らの芸の昂りと再会できる。そこで生まれる映画の桃源郷感覚が映画作りの原動力でもある。

スタッフもキャストも、映画の灯を継続させるべく、精一杯戦ったと思う。災厄は災厄。それを受け入れ、安全対策を実施して映画の撮影は続行できることを、我々は証明した。

どんな災厄が襲っても現場を動かし守る気運は不可欠だ。

撮影が終わってみると、政府と都知事の理不尽な「制限」の数々に怒りがふつふつと煮えたぎっている。緊急事態宣言下で演劇の公演を、基本的に許可したのは英断だ。しかし、なにゆえ、映画館と美術館を閉じたのか。映画館でも美術館でもツバは飛ばない。

この一貫性のない、あいまいな規制の決定者たちが災厄の中でも、高給を受け取っているという事実を考えると、うんざりする。その混沌を利用しての憲法改正の動きなど常軌を逸している。入管法の改悪も狂気の沙汰だ。自民党はどこまで堕ちていくのだろう。与党内の自浄効果など何も期待できない。

それでも夜は明け、映画は生まれる。

5ヶ月後には「燃えよ剣」が公開され、次回作の撮影も始まる。腐り切った政権への怒りが創作エネルギーの初期化にそこそこ貢献するかもしれない。



ところで。

私の1996年度作品「栄光と狂気」(英語タイトルROWING THROUGH)は、日本ではDVDが発売されていない。奥山政権下の松竹で製作されたため、作品が鬼っ子になってしまったためかもしれない。

DVDは、日本とカナダの共同製作作品であったため、カナダ側の製作会社が出したヴァージョンのみ存在する。これは発売当初に見て、カラー・グレイディングが私の好みとは違っていたために、どこかにうっちゃってしまった。最近、見直し願望が強まって、色彩調整が間違っていてもいいからと、探したのだが見つからない。

結局、アマゾンで注文した。そのDVDが届いたのが「XXX」クランクアップの翌日。つまり昨日。ちょっと見始めたら、止まらない。最後まで鋭意鑑賞してしまった。

つまり、四半世紀を経た今見ても、この作品の演技アンサンブルの見事さは少しも古臭くない。それどころか、手前味噌もへったくれもなく、これ以上の演技アンサンブルの傑作は、近年でもレアだと思う。

ロケ地選びはハーヴァードのボートハウスでの撮影も含め、完璧だった。100%満足のゆくロケ地選びは、日本映画では無理だ。



作品的には、チャプター・タイトルの入れ方が唐突なところがいくつかあり、それ以外、俳優たちのローイング・スキルであるとか、レース・コースのブイがスタートとゴール地点にしかないといった「ささいな」要素に残念感はある。が、そこを指摘されても私はなんの負い目も感じない。要は、「ささいな」ミスは、現代ならばいくらでも修正ができるところなのだ。

俳優たちのローイング・スキルに関しては、無論、専門的には一流の漕ぎ方ではない。が、ベースは出来ている。スプラッシュの部分をVFXで削ればいくらでも一流に修正可能だ。レース・コースもしかり。重要なことは、本物の漕ぎ手は演技ができないということ。それを役者たちが本物の選手に近いところまで到達しているという事実だ。

ティフを演じたコリン・ファーガソンを筆頭にジェームス・ハインドマン、ピーター・マーニック、クリストファ・ジェイコブス、1984年オリンピックのダブル・スカルで金メダルに輝いたポール・リンクィストを演じたクリス・ハイアーダール以下、選手を演じた役者たちが全員、ナチュラルな演技で、あの時代の「ジ・アマチュアズ」を演じ切っている。

語り部となるキャットのレズリー・ホープも、スリム役のヘレン・シェイヴァーも、伝説的なコーチ、ハリー・パーカー役のケネス・ウォルシュも、皆、第一級の演技を残している。実物のティフ、ビグロー、パーカーのゲスト出演も私にとっての勲章だ。長い間、原田作品を手掛けてくれた川崎さんのMも文句なし。

私もカナダ人スタッフも、この作品がコリンをスターにすると確信していたが、そうはならなかった。作品もアメリカで陽の目を見ることがなかった。コリンの場合は、名前が殺人鬼と同姓同名だったことも影響しているのかもしれない。

レスリーは当時そこそこに知名度のある女優で「24」の初期シーズンに出ていたが、それ以上、人気が出ることはなかった。この作品での演技が評価されなかったのは不運としか言いようがない。ベッドシーンや下半身丸出しの演技でも、他の女優にはできない要求を見事にこなしている。

25年を経て、コリンもピーターもクリスも渋いバイプレイヤーとして、そこそこには活動しているようだ。私の次の英語映画がいつになるかわからないが、実現すれば、コリンやクリスには声をかけたいと思っている。


 a-Nikki 1.02