2018/05/20 (日)

すごい!是枝監督おめでとう!


「万引き家族」がパルムドール!スパイク・リーがグランプリ。ナディーンが審査員賞。パヴェルが監督賞。アリーチェが脚本賞(タイ)。イ・チャンドンがまさかの無冠。賞に絡むと予想した6本のうち5本までは当たったが、金と銀はいい意味で予想外だった。

ナディーンもアリーチェも、技巧がまだまだという評価をケイトたち審査員が下したわけだ。それにしてもすごい。今度こそカンヌで評価された是枝作品はアカデミー賞外国映画部門の代表になるだろう。ならなきゃおかしい。確実にノミネートもされる。

ムービープラスがカンヌの授賞式をライヴで流してくれたのはありがたいが、スタジオトークで「気狂いピエロ」を「きぐるいピエロ」と連呼したのにはまいった。いくら「きちがい」が放送禁止用語だといっても、「きぐるい」に言い換えることはないだろ。事情を話して原題で統一すればよいのに。それとも、私の知らない間に邦題の読みが変更されてしまったのか。

ついでにいえば、是枝作品のカンヌ戦歴紹介パネルで「花よりもなほ」がカンヌコンペと書いてあったが、あれはサンセバスチャンのコンペ。「ある視点」に出た「空気人形」が抜けていた。恥ずかしいよね。

とにかく朝に成ったら樹木さんにおめでとうの電話をいれよう。



ベッドに入ったのは午前4時。なかなか寝付けなかった。それでも9時に起きて先ずドジャースのゲームをチェック。意外なことに、ダブルヘッダーの第一試合は4対1で勝っていた。相手はナショナルズ。しかし絶不調から立ち直ったかに見えたベリンジャーは3三振。第二試合も始まっていて初回にピーダーソン、マンシーの連打でシャーザーから一点をもぎとっている。4番のベリンジャーは三振。そこまで把握したところで樹木希林さんにTEL。久しぶりに声を聞く。大変に喜んでくれる。「万引き家族」のパルムドールは幼女を含む女たち4人の名演の勝利だ、と伝える。しばし歓談。



昨夜のカンヌ・ライヴでは最後の三つの賞発表の段階で会場に来ていた監督で残っていたのはナディーンとスパイクと是枝。イ・チャンドンの姿がまったく映っていなかったので彼の受賞はないのだとわかった。

一晩寝てはっきりしたのだが、ケイト以下の審査員は本当にフェアに女性映画人を称えたのだと思う。女性監督にパルムドールを取らせたい、という気持ちはあっただろう。しかし、審査員は映画人としての矜持がある。何がなんでも女性監督という「政治」には陥らず、作品のクォリティ・プラス女性の役割を考えてくれた。描かれる女性の魅力、それがイ・チャンドンにもヌリ・ビルゲ・ジェイランにも欠けていたのだろう。

とにかく「万引き家族」の三女優(安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林)は役どころも存在感も素晴らしい。それに加えて幼女を演じた佐々木みゆの天真爛漫の魅力。「万引き家族」は女優映画の王道をゆく名作なのだ。これにはスパイク・リーの年季と執念も勝てない。ナディーンの「カペナウム」に関して言えば、クリップ映像を見た限り、撮影トーンは「万引き家族」の豊穣な陰影に遠くおよばなかった。

是枝監督は本当に素晴らしい審査員たちとめぐりあえたと思う。それが心底うらやましい。日本の映画作りに携わる一員として、ケイト・ブランシェットに百万回の投げキッスを贈りたい。


2018/05/19 (土)

カンヌ2018の賞の行方は?


カンヌも大詰め。あと24時間のうちに受賞作が発表される。昨夜、ニール・ヤングのオッズをチェックして思わす歓声をあげてしまった。ナディーン・ラバキの「CAPERNAUM」がパルムドール受賞オッズのトップに躍り出たのだ。評価も大絶賛が多い。全米配給権はソニー・クラシックが買った。CAAがナディーンとエージェント契約をした。日本のメディアが大好きなスタンディング・オヴェーションの長さでいうと、「万引き家族」よりも6分長い15分だった。

この勢いでナディーンがパルムドールを取るのではないか、と私は勝手に興奮している。

まだ公式上映最終日の2本(セルゲイ・ドゥヴォルツェヴォイ作品とヌリ・ビルゲ・ジェイラン作品)の評価は出ていないが、私は、以下の6本が賞に絡みそのうちの2本がパルムドールとグランプリに輝くだろうと夢想する。

「COLD WAR」、「HAPPY AS LAZZARO」、「万引き家族」、「BURNING」、「BLACKKKLANSMAN」、「CAPERNAUM」だ。

批評家の評価という点では「ブラッKKKランズマン」が一番低いが、私には、黒人女性監督エヴァ・デュヴァネイを含むこの審査員たちが、スパイク・リーの円熟したメッセージ映画を評価しないわけがない、と思うのだ。

同時に、この6本は、既に見て感激した「万引き家族」を除けば、コンペの中で私がもっとも見たいと思う作品群である。

私が連単で買うとしたら1着ナディーン、2着イ・チャンドンかな。後はナディーンをアタマで他の5作品で流す。



何が選ばれるにせよ、この審査員たちなら正統派の名作を選んでくれると信頼している。去年のパルムドールは最悪だった。スウェーデンの「ザ・スクエア」。副題は、私に言わせれば、「思い上がりの聖域」。

監督脚本のルーベン・オズムンドは短編脳しかもっていない。人間の愚かさのヴィニェット集とでもいう作品。北欧家具のニートな陳列を2時間22分かけて眺めさせられた感覚。「愚かさ」のいくつかは使い古しのものや到底理解不可能な出来事が多く、オズムンドには愛想が尽きた。ペドロ・アルモドヴァルが審査委員長でなければ金メダルなど取れなかったと思う。そもそもコンペに入るのもおかしな凡作。映画祭ディレクターのティエリー・フレモーがリュミエール美術館の館長を務めているから主人公に共感してしまったのだろう。カンヌのコンペには、ベストの作品が選ばれるわけではない。


2018/05/16 (水)

「万引き家族」はカンヌで賞を穫るだろう。


金(パルム・ドール)か銀(グランプリ)も夢ではないが、おそらくは監督賞か脚本賞、+主演女優賞(安藤サクラ)。

もしも審査員たちに遊び心があるなら主演女優賞は三人(安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林)に行くかも。キャストのアンサンブルは申し分ないが、中でもこの三人の女優たちのアンサンブルが素晴らしい。是枝監督の最高傑作だし、安藤サクラの最高作でもある。

ただし、サクラは希林様とのシーンは何かやってやろうの意識丸出しでダメ。リリー相手のソーメン・セックスと城桧史少年相手のゲップ・トーク&ラスト・メッセージで大女優の貫禄を示している。

希林様絡みで一番いいのは松岡茉優。

私は、松岡の登場シーンすべてで、この23才の女優の豊かな感性に心打たれた。勿体なかったのは、この擬似家族の王国へ「なぜ彼女がオーストラリアへ行くことをやめて祖母のような他人の家に入り込んだのか」が曖昧にされてしまったことだ。これは描かれた人間関係の中でもっともつくりものっぽい要素だけにきちんと対処すべきではなかったか。殊に、松岡が素晴らしいのだから、終盤の、彼女のテスタメントの中にいくらでも盛り込めた筈だ。

とはいえ、松岡も希林様も存在自体が秀逸だからこれは不満というほどのものではない。



不満といえば、私は細野ミュージックに不満だった。絵を見て音を足した、まるでサイレント映画の音付けのプリミティヴな感覚がうるさく思えた。ところが見ているうちに、私が魅入ってしまうところに細野ミュージックがのっていないことに気付いた。細野もまた作品世界に魅入っているような気がして、終盤は心地よく、エンドテーマですっかり気持ちよくなってしまった。

映像は、これまでの是枝作品とは違って、明暗を意識したしっとりしたリアリティがある。撮影に近藤龍人を起用したのは大正解だった。小津作品を「いつもの厚田雄春」ではなく宮川一夫や中井朝一が手掛けたようなもので、是枝作品の深いところに触れたいというカメラマンの気持ちが出ている。熊切作品などの近藤を特にいいと思ったことはないが、これはいい。

コンペ参加の日本映画は二本ある。二作ともフランスの配給会社がついている(フランスの配給会社が絡んでいない日本映画はほぼコンペに選ばれない。これがカンヌの政治性)。前評判では濱口竜介の「寝ても覚めても」の方が、「ハッピー・アワー」効果で圧倒的によかったが、いざ上映してみると是枝作品が圧勝だった。といっても、私は「寝ても覚めても」はまだ見ていないわけで、欧米の映画批評家の評価を参考にしているに過ぎない。そして、カンヌのコンペの審査員は全員が現場の力学を知る映画人で、批評家はいない。当然、評価は異なる。



さらに分析するならカンヌ2018年は女性力をいつも以上に打ち出し、審査委員長にケイト・ブランシェットをもってきたばかりでなく、9人の審査員の5人が女性だ。つまり、これは、金でなければ最低でも銀に女性監督をいれてくださいね、という映画祭側のメッセージでもある。

コンペに名を連ねた女性監督は3人。2014年に銀を取ったイタリアのアリーチェ・ロルヴァケル、フランスのエヴァ・ユッソン、そしてヨルダンの我が友ナディーン・ラバキ(サンセバスチャン映画祭2008で審査員仲間だった)。この三人の誰かが金か銀を取ることはお約束かもしれない。

オッズではアリーチェが一番人気。が、アリーチェのファンタジー、今回の評判はダントツというほどでもない。エヴァはクルド人女兵士部隊の話をかなりメロドラマっぽく撮ってしまったらしい。評価はさらに落ちる。

カンヌレポートは東京国際映画祭コンペ部門ディレクターの矢田部吉彦さんのブログが気持ちよくて毎日楽しみにしているが、彼の評価がエヴァの「GIRLS OF THE SON」を的確に言い当てているように思える。



ナディーンの登場はまだ。女性陣ではトリを担っていて、察するにシュールなアリーチェ、コテコテのエヴァに続いてリアルなナディーンという位置づけではないか。つまり彼女の出世作「キャラメル」とは違う切実リアルな作品なのだと思う。

DAY8の時点でコレエダはパヴェル・パヴリコフスキー、アリーチェ、スパイク・リーと並んで受賞候補の先頭集団にいると思う。最後の6人は、イ・チャンドン、マッテオ・ガローネ、ナディーン、ヤン・ゴンザレス、セルゲイ・ドゥヴォルツェヴォイ、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン。新旧ごちゃまぜ。

今回の映画祭直前に逝去したカンヌの主でありアジア映画紹介のフランス人最高権威ピエール・リシアン。そんな彼が人生最後に見た傑作がイ・チャンドンの「BURNING」だという。

ピエールとは1970年代半ばにLAで初めて会い、その後も交流はあった。私が若い頃は作品を応援してくれたこともあったが、近年は会っても、お互いの趣味が違うことははっきりしているので作品論を戦わすこともなかった。

私はイ・チャンドンが好きである。彼は現役のアジアの監督の中では進化し続けている稀有な存在だとも思う。ピエールが絶賛したことが幾分不安だが、コンペのリストで私がいちばん見たい作品がこの韓国映画だ。

下世話な言い方をすれば、是枝作品がイ・チャンドンの上を行くか下になるか、ナディーンがどこまで支持を集めるか。2018年カンヌ映画祭の決着には非常に興味がある。


ナディーンはレバノンだよ、ダミー!なんでヨルダンなんて書いたのか。ボケだよね、ボケ。毎日一歩ボケていく。


GIRLS OF THE SUNをGIRLS OF THE SONだって。バカだねえ。本当にバカだ。これはきっとドジャースのせいだ。何をやってもダメな最悪のチームになってしまった。ベリンジャーは空振り王。テイラーは見逃し三振王。カーショーが怪我で抜けた先発はガタガタ。新人のビューラーだけが光り輝いているが、来季以降に備えてのイニング数制限という縛りがある。マエダ、ヒル、ウッドはまとめてお払い箱にしたいほど安定性に欠ける。ブルペンは両リーグ通じて最悪。オールスターまでは借金生活が続くだろう。後半戦で心もメンツも入れ替えたところでポストシーズン進出は無理。

ところで矢田部レポートのDAY8を読んだらアリーチェの「HAPPY AS LAZZARO」は大絶賛であった。基本的にヨーロッパ諸国の批評家はアリーチェに夢中で英語圏がややひかえめ。とりあえず、彼女の前二作のDVDはアマゾンでオーダーした。十中八九、金か銀はアリーチェに行くだろう。


2018/05/03 (木)

春の映画ジャーナル。


GWの気力を充実させるために、3月下旬から見た映画の何本かを整理して寸評してみる。劇場で見た作品もあればDVD、もしくはWOWOWなどTVで見たものもあるが特に区分けはしない。評価はA+からC−までの9段階。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」A−(主役のクラウディオ・サンタマリアと仇役のルカ・マリネッリの魅力で最後まで楽しめた。殊にルカは最高)。「ロスト・シティZ」C(たるい。ジェームス・グレイはいつもたるい)。「三度目の殺人」B−(リアルなのは福山雅治の弁護士だけ。犯罪が絵空事)。「ハイドリッヒを撃て」B(後半の銃撃戦に感心。でもね、つらい実話だからね。ルイス・ギルバート版よりも数等マシ)。「ハッピーエンド」C+(ハネケは何を作ったらいいのかわからなくなったんじゃないか)。「オー・ルーシー」B−(短編では桃井かおりが演じた役を寺島しのぶ。どう考えてもかおりの役だ。寺島のベタな台詞廻しにうんざり。忽那汐里とジョッシュ・ハートネットがナチュラルでよい)。「アサシン・クリード」C+(お話ひどし。映像すごし)。

「ラブレス」A−(メインの話は単純だが、捜索ヴォランティアの丹念な描写に気迫あり。そこから「社会の病巣」が見える。マルヤーナ・スピバクがすっぽんぽんの大熱演。日本の女優はこういう真実の「体当たり」演技ができない。ズビャギンチェフ印のまったりの間がそこかしこにある。なぜか、鑑賞直後のメモに、その「間」を評して「犬のしょんべんを連想」とある。意味不明。多分、見終わって気分がズビャギンチェフしてたのだろう)。



「トゥーム・レイダー」C(ヴィジュアルの進化に驚く。脚本は退化。アリシアはまずまずのヒロインぶりだが、ぶら下がりクリフハンガー多過ぎ。プロデューサーがバカなんだろう)。「ある決闘」C−(ウェスタンの断末魔。ウディもリーアムもこのお粗末な脚本でよく出る気になったな)。「ビリー・リンの永遠の一日」C−(アン・リーはテクノロジーの進化に興味を奪われ、基本の演出がおろそかになった。主演のジョー・アルウィン以外ひどい芝居。ひどい脚本)。

「密偵」A−(ソン・ガンホが絶品。日本語芝居の抑揚も素晴らしい。鶴見辰吾の日本語芝居を圧倒している。撮影もよい。コン・ユ以下の共演者もよい。展開がやや混乱。しかし、キム・ジウンは力のある監督だ)。

「アトミック・ブロンド」A−(シャリーズ・セロンが絶品。彼女がからむすべてのアクションが芸術品。三ヶ月かけて訓練した成果がありあり。アカデミー賞の主演女優賞はマクドーマンドよりも彼女にふさわしかった。脚本は杜撰。しかし、壁崩壊直前のベルリンの雰囲気はよく出ている)。



「淵に立つ」A−(よく出来た脚本だと思う。出演者のアンサンブルもいい。ただし、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を知るものには残念感が残る。二度目の右頬たたきは秀逸。二度目の「四人川の字」は無理がある。さらに言えば、セックスは一度受け入れたのち二度目で拒絶すれば「二度ベルを鳴らす」インパクトがリアルになった。そうできなかったのが深田晃司の若さだろう。もうひとつ。筒井真理子がマルヤーナ・スピバクのように肌をさらしていればカンヌでも「ある視点」部門ではなくコンペの審査員賞を取ったように思う)

イタリア映画祭では3作品を見た。「メイド・イン・イタリー」C(平板な話なのに盛り込みすぎ)。「フォルトゥナータ」B(ジャズミン・トリンカがソフィア・ローレン、アンナ・マニャーニ型の肝っ玉母さん芝居を熱演している以外、見どころなし)。

そして、ルカ・マリネッリ主演の「イタリアの父」。「ジーグ」の破廉恥なるワルぶりに魅せられて早くにティケットを予約したのだ。

マリネッリを初めて見たのは映画デビューの「素数たちの孤独」。サヴェリオ・コスタンツォの2010年度作品だ。殊に彼の演技を気に入ったわけではないが、上質な作品として記憶に残っている。「ジーグ」の怪演とはまったくむすびつかなかった。

ファビオ・モッロの「イタリアの父」で、ルカは繊細なゲイの青年パオロを演じている。その繊細の色合いとニュアンスが心地よく、最後の最後までルカの存在感に魅了される。相手役のミアを演ずるイザベラ・ラゴネーゼも素晴らしい。奔放なる嘘つき女。二流の歌手で妊婦。

パオロは彼女の人生に巻き込まれソウル・サーチの旅に出るというのがメインのプロット。トリノでふたりは出会い、ローマ、ナポリと旅をしてレッジョ・カラブリアに辿り着く。絵はがき的な旅ショットは一切排除して、ふたりの生きる時間の隙間に景色が見える。

ルカの演技力に強く打たれ、最後にはしみじみ泣けた。評価はA。

ただ最近のヨーロッパ映画にある特徴的な「飛ばし」もしくは「外し」の編集がこの作品には随所にある。説明を省いて、とんがった流れを作るという基本線はどこの国の監督も同じだが、その匙加減が国によって異なる。イタリア現代映画を3本続けて見て、イタリアに於ける「飛ばし」はかなり先鋭なものだと気付いた。

「イタリアの父」では終盤のミアの葛藤とそれを受け止めるパオロの姿に、愁嘆場を避け、時間を錯綜させた「飛ばし」がある。最後には、落ち着くべき所に落ち着くのだが、その一歩手前、パオロが元の恋人マリオと再会するくだりに私はとまどいを憶えた。それが、どの時間列に属するのか、わからなかったのだ。マリオはトリノへ戻ろうといい、車内で「どこかへ向かう」パオロの後ろ姿がインサートされる。それがパオロのリアルなのか幻想なのか。

そこまで積み上げて来たプロットで言えば、パオロがミアの産んだ子を残してトリノに戻るわけはないのだ。その束の間の困惑は、私には不快ではなかった。おそらくは、一度はトリノに帰る気持ちになったものの、車を降りて病院に戻って来たのだろう。それを順序だてて見せることが現代の映画文法ではない、とファビオが判断したのだろう、と私は勝手に解釈して映画を見終わった。

考えてみれば、パオロ・ソレンターノの大傑作「グレート・ビューティ追憶のローマ」にも、そういう大胆な、主人公の「意識の飛ばし」があった。だらだらとセンチメンタルな気分に浸るよりは、潔く、次のページに意識を飛ばすことが「イタリア式時の過ぎ行くままに」なのだろう。


2018/04/28 (土)

歴史的な一日の愚か者たち。


2018年4月27日。キム・ジョンウンが境界線を歩いて越えて朝鮮半島がひとつになる可能性が見えた。ゴールデン・ステート・キラーが40年を経て逮捕され、財務省が福田前次官のセクハラを認めた。山口達也の謝罪がTVで流され、ハリルが340人の報道陣の前で吠えた。私はキッチン南海で数年ぶりのカレー&生卵を食してのち優雅なるイタリア文化会館に駆けつけイタリア映画週間の到来を祝ったが落ち目のドジャースのゲームはなかった。

愚か者が名を残す一日だった。その筆頭は、72才のジョセフ・ジェームス・ディアンジェロである。鬼気迫る愚か者だ。

LAタイムスのフロントページトップは12人を殺し46人以上をレイプした殺人鬼の逮捕だった。南北首脳会談ではない。ゴールデン・ステート・キラーの活動は、1970年代から1986年までだったから、私のLAライフと重なる。鬼畜の所業も当時の新聞で読み戦慄をおぼえた記憶がある。

殺人を犯してからその家の冷蔵庫を開け飲み食いしたケースは、日本では世田谷一家殺人事件が有名だが、私の場合はゴールデン・ステート・キラーが最初だった。「タフ」のエピソードで殺人狂(豊川悦司)が冷蔵庫を開けトマトをつぶすのは、この一連の事件の影響だった。



40年を経ての逮捕はDNA捜査の進展によるものだった。ファミリー・ツリーの系図ウェブサイトに、ディアンジェロの近親者のだれかがアクセスして残っていたDNAと犯人のDNAが一致したらしい。近親者といっても、伴侶ではだめで、親か子が最大の情報源となるというからここには「大河ドラマ」の要素が匂う。

つまり、殺人鬼が犯行を繰り返したのち家族を作り、子供が出来て成長し、その子がファミリー・ツリーに興味をもって系図ウェブサイトに自分の唾液を送ると、犯人が割り出されるというセオリーだ。ディアンジェロのケースは、これに近いようだ。

もっとも、犯人のDNAが直接ひとつのファミリーを特定したわけではなく、時間をかけて容疑ファミリーの系図をあたり、様々な条件と照合してディアンジェロ家に行き着き、彼のDNAを取得。それが犯人のものと一致したわけだ。この作業には人権侵害といった要素も見え隠れするから人権派弁護士が登場して捜査の問題点を糾弾する声もあがるかもしれない。



ディアンジェロに比べると、他の愚か者はバカの度合いも所業も小さく惨めだ。山口達也と福田前次官とハリル。私にはこの三人が同レベルの愚か者に見える。

山口と福田の愚かさはメディアに書かれた通りだが、ハリルの愚かさはちょっと違う。吠えることで恥の上塗りをしている。会見の内容から、彼の「電撃解任」が妥当であったことが明快に証明されたとも言える。私は、ワールドカップまで二ヶ月を切ったこの時期の解任を批判するセルジオ越後や元代表の城の考え方にも首を傾げる。

私のようなサッカーのシロウトは、単純に、数十年見聞きして来たMLBの監督解任劇をベースに考える。監督解任は電撃であろうとなかろうと理に叶った目的はひとつしかない。チームの活性化だ。ハリルは会見で自分には落ち度がないと言い続けた。チームの活性化という原則をすっかり忘れて被害者意識を丸出しにした。実に下品な会見だった。

ハリル・ジャパンの活動を見て来て、3月の欧州遠征の選手の不甲斐なさには驚愕すら憶えた。中島以外、機能している選手が少なかった。ポテンシャルの高い選手がのきなみ「不審」だった。これを活性化するのは監督解任しかない、と私は思い、ハリル解任を熱望した。だから協会の勇断に拍手する。

映画の現場でもそう。ポテンシャルの高い演技者が初回ラッシュですべて機能していない、となったら役者を更迭するよりは監督解任に向かう。これが常識。ハリル・ジャパンの場合は、「独裁者」ハリルの言いつけを守る「よい子」をそつなく演ずる何人かにも嫌悪感を憶えた。もしも本田や香川を「悪い子」というならば、本田や香川が正しいと私は思う。



ネットでは解任の時期はいくつかあったのに、この段階での電撃解任は最悪だというのもある。私は、「この段階」こそ唯一のチーム活性化の機会だったと断言する。つまり、チームの不協和音を見て来て、どこを修復すればチーム活性化につながるかわかる人材に有無を言わさずゲタを預けることができるからだ。半年もしくは一年前ならば、後任監督探しでムダな時間と経費をかけることになり、選手と協会側の不協和音を演出することになったと思う。

ハリル・ジャパンならば、間違いなくワールドカップは全敗で終わった。西野新監督のもとでは全敗に終わったとしても、選手は完全燃焼する。間違いなくわくわくするゲームをやってくれる。

キム・ジョンウンは歴史的キュートな笑顔をふりまいた。あとはただ彼が愚か者の列に後戻りしないことを願うのみだ。


 a-Nikki 1.02