2025/04/11 (金)

「教皇選挙」と「エミリア・ペレス」


「同志少女よ、敵を撃て」と「最強の女性狙撃手」の比較讃歌の前に、頭を使わないで書ける「教皇選挙」と「エミリア・ペレス」のことに触れておく。

見る前の感覚では私は「教皇選挙」に圧倒され、「エミリア・ペレス」にイマイチ感を抱くであろうと思っていた。結果は真逆だった。


「教皇選挙」は期待以下だった。そつなくまとまっている「いい映画」ではある。が、私のエドワード・ベルガーへの期待値はずっとずっと高かった。彼の前作「西部戦線異状なし」に心底惚れ込んだためだ。

要は、西部戦線にはエリートも知能指数が低い者も異常な者も気弱な者も勇敢な者もいた。だからベルガーのドイツ人的律儀さが生きた。「教皇選挙」は全員聖職者で、枢機卿で、同じ装束である。ベルガーの律儀さが邪魔になってニートではあるが、「弾ける」要素が一つもないつるんとした映画になってしまった。

誰が新教皇になるのかはその人の登場の瞬間に想像もできる。彼が「異端」のルックスと特徴ある繊細な声を持っているから。票が一気に彼に流れ込むスピーチも、当たり前のことを優しく素直に言っているだけだ。脚色賞オスカーを受賞したが、この脚本家を私は評価しない。

ローマ教皇を描いたフェルナンド・メイレレスの傑作「2人のローマ教皇」にはすべての点で遠く及ばなかった。


「エミリア・ペレス」のジャック・オーディアールにはひれ伏した。これは勇気ある傑作だ。

カンヌでは4人の女優が主演女優賞を取った。作品的には、大相撲で言えば技能賞といった審査員賞だった。パルムドールが「アノーラ」に行ってしまったのは審査委員長が凡俗女性監督のグレタ・ガーウィグだったからだと私は信ずる。

オスカー・レースではゾーイ・サルダナの助演女優賞と歌曲賞だけだったが、これもおかしな話だ。ゾーイは間違いなく「エミリア・ペレス」の主演女優だ。
カルラ・ソフィア・ガスコンはビリングでも二番手だし、作品での貢献度もゾーイに劣る。トランスジェンダーとしての存在感が輝いているからといって主従を逆転させてはいけない。

配給会社が、カルラを主演女優部門、ゾーイを助演女優部門で売ってしまったのは致命的なミスだった。最終的には、カルラの過去の「差別発言」が問題になり、カルラのみならず作品にも傷がついた。


ジャック・オーディアールの凄さは、登場人物の心理状況や退屈だけど必要な説明台詞(例えば性転換手術の件)といった映画的には弱いシーンをミュージカル・ナンバーに転化して、攻撃的でパワフルなシーンに昇華させていることだ。そこで最も魅力的なのがゾーイ・サルダナだ。

2024年度作品のアカデミー賞は、私なら作品賞は「名もなき者」、監督賞はジャック・オーディアール、主演男優賞はティモシー・シャラメ、主演女優賞はゾーイ・サルダナ、助演男優賞はジョン・マガロ(「セプテンバー5」)、助演女優賞はジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロを選ぶ。


2025/03/30 (日)

愉しい連鎖。


MLB2025シーズンはドジャースとヤンキースの応援でかなり忙しくなりそうだ。昨日はドジャースがヤマモトとベッツの活躍で劇的逆転勝利を収めた。今日はヤンキースの打撃陣が歴史を創った。

初めてリードオフに抜擢されたポール・ゴールドシュミットがブリュワーズ先発ネスター・コルテスの初球を415フィートのホームランにすると、2番コディ・ベリンジャーも初球を叩いて451フィート飛ばした。続くアーロン・ジャッジも初球を叩いてこれは468フィート飛んだ。

MLB史上初の初回3者連続初球打ちホームランだ。

この回はオースティン・ウェルズにもホームランが出た。ウェルズは、一昨日の開幕戦でキャッチャーとして球団史上初のリードオフ・ホーマーを記録している。無論、初回4ホーマーも球団史上初めての快挙だ。

ジャッジはこのゲームを6打数4安打3ホーマー8打点で締めくくり、私が熱烈に応援するベリンジャーも、5打数3安打4打点の好成績を残した。

ヤンキースは開幕戦では、1番ウェルズ、2番ジャッジ、3番ベリンジャー、4番ゴールドシュミットだったが、今日はゴールドシュミット、ベリンジャー、ジャッジの上位トリオが機能した。20対9の狂宴だった。が、先発のマックス・フリードが乱調で5回持たず、エラー5つという課題も残した。


「同志少女よ、敵を撃て」を読んで実在の女性狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが気になり、AMAZON PRIMEで、彼女の戦いを映画化した2015年のロシア映画「ロシアン・スナイパー」(原題は「セヴァストポリの戦い」)を見た。リュダ役のユリア・ペレシルドの演技と撮影のトーンには感心しながらも脚本・演出の凡庸さにがっくりした。

1942年8月、リュダは4回目の負傷後、最前線を放れ、ロシア派遣団の一員として訪米した。アメリカの参戦を促すキャンペーンだ。この派遣団のスターが美貌の狙撃手であるリュダであり、エレノア・ローズヴェルトとも親しくなった。

セルゲイ・モクリツキーの映画「ロシアン・スナイパー」は、エレノアによる1942年夏のリュドミラ・パヴリチェンコの回想と、リュダの戦場体験が交互に語られて行く。

もっとも大きな問題は、英語のセリフおよびキャストがお粗末なアメリカでのエピソードだ。エレノアの役はイギリスの女優ジョーン・ブラックハムが演じている。彼女はTVを中心に端役をこなしていたようだが(2020年没)、178センチの長身だったので大女エレノアに抜擢されたのだろう。演技力はしっかりしており、ファースト・レディの雰囲気もあった。記者会見シーンなどで出てくるアメリカ人記者たちは無惨だった。「英会話できる程度の」ロシアの俳優たちなのだろう。

「名もなき者」とのリンクとなるウディ・ガスリーも登場する。

彼がリュダのために歌を捧げたのは事実だが、映画ではウクライナの役者が演じている。学生演劇のレヴェルだ。


戦闘シーンは、彼女を愛した3人の男たちが次々死んでいくというメロドラマに片足突っ込んだ流れに堕して狙撃のディテールに乏しい。

ひょっとすると、メロドラマに逃げざるをえなかったのかもしれない。

なぜなら、リュドミラ・パヴリチェンコはキーウ大学に通っていた正真正銘のウクライナ人であり、ウクライナの英雄だから。

映画の原題も、彼女の名を冠することができず「セヴァストポリの戦い」に逃げたのかもしれない。映画が出来た2015年は今も続くロシアのウクライナ侵攻以前だが、2014年にロシアは軍事侵攻によりクリミア半島をウクライナから奪い、セヴァストポリもロシアに組み込んでしまった。


そういうことならリュダの戦闘回顧録「最強の女性狙撃手」を読むしかあるまいと、ネットで龍和子訳のその本をオーダーした。

これは、面白かった。「同志少女よ、敵を撃て」よりも面白かった。翻訳文も素晴らしい超一流の回顧録だ。その魅力の全てを「同志少女よ」と比較しながら近々論じてみよう。




2025/03/30 (日)

愉しい連鎖。


MLB2025シーズンはドジャースとヤンキースの応援でかなり忙しくなりそうだ。昨日はドジャースがヤマモトとベッツの活躍で劇的逆転勝利を収めた。今日はヤンキースの打撃陣が歴史を創った。

初めてリードオフに抜擢されたポール・ゴールドシュミットがブリュワーズ先発ネスター・コルテスの初球を415フィートのホームランにすると、2番コディ・ベリンジャーも初球を叩いて451フィート飛ばした。続くアーロン・ジャッジも初球を叩いてこれは468フィート飛んだ。

MLB史上初の初回3者連続初球打ちホームランだ。

この回はオースティン・ウェルズにもホームランが出た。ウェルズは、一昨日の開幕戦でキャッチャーとして球団史上初のリードオフ・ホーマーを記録している。無論、初回4ホーマーも球団史上初めての快挙だ。

ジャッジはこのゲームを6打数4安打3ホーマー8打点で締めくくり、私が熱烈に応援するベリンジャーも、5打数3安打4打点の好成績を残した。

ヤンキースは開幕戦では、1番ウェルズ、2番ジャッジ、3番ベリンジャー、4番ゴールドシュミットだったが、今日はゴールドシュミット、ベリンジャー、ジャッジの上位トリオが機能した。20対9の狂宴だった。が、先発のマックス・フリードが乱調で5回持たず、エラー5つという課題も残した。


「同志少女よ、敵を撃て」を読んで実在の女性狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが気になり、AMAZON PRIMEで、彼女の戦いを映画化した2015年のロシア映画「ロシアン・スナイパー」(原題は「セヴァストポリの戦い」)を見た。リュダ役のユリア・ペレシルドの演技と撮影のトーンには感心しながらも脚本・演出の凡庸さにがっくりした。

1942年8月、リュダは4回目の負傷後、最前線を放れ、ロシア派遣団の一員として訪米した。アメリカの参戦を促すキャンペーンだ。この派遣団のスターが美貌の狙撃手であるリュダであり、エレノア・ローズヴェルトとも親しくなった。

セルゲイ・モクリツキーの映画「ロシアン・スナイパー」は、エレノアによる1942年夏のリュドミラ・パヴリチェンコの回想と、リュダの戦場体験が交互に語られて行く。

もっとも大きな問題は、英語のセリフおよびキャストがお粗末なアメリカでのエピソードだ。エレノアの役はイギリスの女優ジョーン・ブラックハムが演じている。彼女はTVを中心に端役をこなしていたようだが(2020年没)、178センチの長身だったので大女エレノアに抜擢されたのだろう。演技力はしっかりしており、ファースト・レディの雰囲気もあった。記者会見シーンなどで出てくるアメリカ人記者たちは無惨だった。「英会話できる程度の」ロシアの俳優たちなのだろう。

「名もなき者」とのリンクとなるウディ・ガスリーも登場する。

彼がリュダのために歌を捧げたのは事実だが、映画ではウクライナの役者が演じている。学生演劇のレヴェルだ。


戦闘シーンは、彼女を愛した3人の男たちが次々死んでいくというメロドラマに片足突っ込んだ流れに堕して狙撃のディテールに乏しい。

ひょっとすると、メロドラマに逃げざるをえなかったのかもしれない。

なぜなら、リュドミラ・パヴリチェンコはキーウ大学に通っていた正真正銘のウクライナ人であり、ウクライナの英雄だから。

映画の原題も、彼女の名を冠することができず「セヴァストポリの戦い」に逃げたのかもしれない。映画が出来た2015年は今も続くロシアのウクライナ侵攻以前だが、2014年にロシアは軍事侵攻によりクリミア半島をウクライナから奪い、セヴァストポリもロシアに組み込んでしまった。


そういうことならリュダの戦闘回顧録「最強の女性狙撃手」を読むしかあるまいと、ネットで龍和子訳のその本をオーダーした。

これは、面白かった。「同志少女よ、敵を撃て」よりも面白かった。翻訳文も素晴らしい超一流の回顧録だ。その魅力の全てを「同志少女よ」と比較しながら近々論じてみよう。




2025/03/24 (月)

時流に逆らっているのかな。


本年度の米アカデミー賞で脚光を浴びたのは、私にはインパクトの弱い作品ばかりだった。

「アノーラ」はよくまとまっているドタバタ喜劇というだけで、取り立てて優れたところは一つも見出せなかった。セックス・ワーカーのアノーラが娼婦呼ばわりされて怒るバカさ加減にはただただ呆れた。

近年の作品賞受賞作「エブエブ」や「CODAあいのうた」に比べればマシという程度であって歴史に残る映画ではなかった。

要は、ハリウッドのビロウ・ザ・ライン労働者たちがこういう製作費600万ドル程度のNICHE PICTURESをもっと作ろうよというメッセージが込められた受賞だろう。昔々、「アニー・ホール」が受賞した年にも、それは言われたことだ。


「ブルータリスト」はおしゃれなインターミッションの後、展開が冗漫になり理不尽な終盤に流れこんでしまった。9割大傑作で最後の15分ほどで音を立てて崩壊した「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」と同じ不快さを味わった。

ポール・トーマス・アンダーソンはその後「ファントム・スレッド」のような傑作を放っているが(「リコリス・ピザ」のような醜悪な駄作もある)、このブレイディ・コルベ(ブラディ・コルベットとは発音しない)はどうだろう。


架空のハンガリー人建築家を創り上げる作業に途中までは成功した。架空であるゆえ事実もしくは歴史のガイドラインがなく、映画の着地点を見失って自爆した。言ってみれば高い理想を求める建築家の栄光と破壊を描いたアイン・ランドの「水源」(映画版はゲイリー・クーパー主演の「摩天楼」)に近づこうとしたのか。

着地大失敗を指摘する声よりも、「勇気ある作家性」を讃えるアメリカの批評家たちの合唱に支えられ、傲慢な映画作家のキャリアを築く可能性は高い。

エイドリアン・ブロディはハンガリー人建築家を演じて二度目の主演男優賞を手にしたわけだが、私はこれにも不満だ。彼の演技は秀逸ではある。が、この役はイタリアで「強姦された」とされるサード・アクトの後半以降、演技の見せ場はない。将来、エイドリアンが主役として機能する傑作映画が生まれる可能性も極めて低い。

「戦場のピアニスト」でアカデミー賞主演男優賞を受賞した以降のキャリアでブロディがその才能を発揮したのは脇役のみだ。私が唸ったのは「ピーキー・ブラインダース」のアメリカン・マフィアぐらいだ。その役にしてもマシンガンの扱いがみっともなかった。


現時点で私がおそらく大絶賛するであろうエドワード・ベルガーの「教皇選挙」とかつて大傑作を連打したジャック・オーディアールの「エミリア・ペレス」は見ていない。そのことを前提に言えば、作品賞は「名もなき者」に行くべきだったし、主演男優賞はティモシー・シャラメが勝ち取るべきだった。監督賞はジェームス・マンゴールドだ。

助演男優賞はキーラン・カルキンよりもピート・シーガーを演じ切ったエドワード・ノートンがふさわしかった。さらに言うなら、ノミネートもされなかった「セプテンバー5」のジョン・マガロが受賞すべきだった。

とにかく、シャラメのボブ・ディランは絶品だった。あの時代を知る私としては何度も目頭が熱くなった。モニカ・バルバロ演ずるジョーン・バエズとシャラメのデュオには魂の慟哭すら覚えた。ジョニー・キャッシュのボイド・ホルブルックも、ウディ・ガスリーのスクート・マクネイリーも素晴らしかった。彼らのパフォーマンスにワクワクした。キューバ危機の夜、逃げ回ってボブ・ディランにたどり着くジョーン・バエズの扱いに圧倒された。




ところで、私は2022年に出版された時から気になっていた「同志少女よ、敵を撃て」の文庫本をやっと手に取り、ほぼ一気読みしたわけだが、まさかこれが「名もなき者」体験とリンクするとは思ってもいなかった。

その(私にとっては)驚愕の連鎖については次回触れようと思う。


2025/03/24 (月)

時流に逆らっているのかな。


本年度の米アカデミー賞で脚光を浴びたのは、私にはインパクトの弱い作品ばかりだった。

「アノーラ」はよくまとまっているドタバタ喜劇というだけで、取り立てて優れたところは一つも見出せなかった。セックス・ワーカーのアノーラが娼婦呼ばわりされて怒るバカさ加減にはただただ呆れた。

近年の作品賞受賞作「エブエブ」や「CODAあいのうた」に比べればマシという程度であって歴史に残る映画ではなかった。

要は、ハリウッドのビロウ・ザ・ライン労働者たちがこういう製作費600万ドル程度のNICHE PICTURESをもっと作ろうよというメッセージが込められた受賞だろう。昔々、「アニー・ホール」が受賞した年にも、それは言われたことだ。


「ブルータリスト」はおしゃれなインターミッションの後、展開が冗漫になり理不尽な終盤に流れこんでしまった。9割大傑作で最後の15分ほどで音を立てて崩壊した「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」と同じ不快さを味わった。

ポール・トーマス・アンダーソンはその後「ファントム・スレッド」のような傑作を放っているが(「リコリス・ピザ」のような醜悪な駄作もある)、このブレイディ・コルベ(ブラディ・コルベットとは発音しない)はどうだろう。


架空のハンガリー人建築家を創り上げる作業に途中までは成功した。架空であるゆえ事実もしくは歴史のガイドラインがなく、映画の着地点を見失って自爆した。言ってみれば高い理想を求める建築家の栄光と破壊を描いたアイン・ランドの「水源」(映画版はゲイリー・クーパー主演の「摩天楼」)に近づこうとしたのか。

着地大失敗を指摘する声よりも、「勇気ある作家性」を讃えるアメリカの批評家たちの合唱に支えられ、傲慢な映画作家のキャリアを築く可能性は高い。

エイドリアン・ブロディはハンガリー人建築家を演じて二度目の主演男優賞を手にしたわけだが、私はこれにも不満だ。彼の演技は秀逸ではある。が、この役はイタリアで「強姦された」とされるサード・アクトの後半以降、演技の見せ場はない。将来、エイドリアンが主役として機能する傑作映画が生まれる可能性も極めて低い。

「戦場のピアニスト」でアカデミー賞主演男優賞を受賞した以降のキャリアでブロディがその才能を発揮したのは脇役のみだ。私が唸ったのは「ピーキー・ブラインダース」のアメリカン・マフィアぐらいだ。その役にしてもマシンガンの扱いがみっともなかった。


現時点で私がおそらく大絶賛するであろうエドワード・ベルガーの「教皇選挙」とかつて大傑作を連打したジャック・オーディアールの「エミリア・ペレス」は見ていない。そのことを前提に言えば、作品賞は「名もなき者」に行くべきだったし、主演男優賞はティモシー・シャラメが勝ち取るべきだった。監督賞はジェームス・マンゴールドだ。

助演男優賞はキーラン・カルキンよりもピート・シーガーを演じ切ったエドワード・ノートンがふさわしかった。さらに言うなら、ノミネートもされなかった「セプテンバー5」のジョン・マガロが受賞すべきだった。

とにかく、シャラメのボブ・ディランは絶品だった。あの時代を知る私としては何度も目頭が熱くなった。モニカ・バルバロ演ずるジョーン・バエズとシャラメのデュオには魂の慟哭すら覚えた。ジョニー・キャッシュのボイド・ホルブルックも、ウディ・ガスリーのスクート・マクネイリーも素晴らしかった。彼らのパフォーマンスにワクワクした。キューバ危機の夜、逃げ回ってボブ・ディランにたどり着くジョーン・バエズの扱いに圧倒された。




ところで、私は2022年に出版された時から気になっていた「同志少女よ、敵を撃て」の文庫本をやっと手に取り、ほぼ一気読みしたわけだが、まさかこれが「名もなき者」体験とリンクするとは思ってもいなかった。

その(私にとっては)驚愕の連鎖については次回触れようと思う。


 a-Nikki 1.02