2021/01/13 (水)

「燃えよ剣」を見てもらいたかった・・・。


またも訃報。今度は「日本のいちばん長い日」でお世話になった半藤一利さん。本棚には半藤さんの「幕末史」もある。「燃えよ剣」の脚本執筆のときは、この著書でも勉強させてもらった。映画化作品も見ていただきたかったがコロナに妨害された。ご冥福をお祈りします。

前回訃報を書いた福本清三さんも、実は「日本のいちばん長い日」に出演していただいている。山ア努さんが素晴らしい演技を披露してむれた鈴木貫太郎首相の親族の役だった。福本さんにも「燃えよ剣」を見てもらいたかった。スクリーンの剣技に生きた人として。


2021/01/09 (土)

牛が走る年。


再会星の私にはラッキー・イヤーの再会/再開の丑年となる。同志諸君と再び会して映画の企みが始まる。やがて「燃えよ剣」の宣伝や試写も再開される。

という書き出しで元旦にアップしようと思ったのだが、丑年男の牛突猛進モードに入ったのか、脚本書きに没頭。気付いてみれば、年賀状もたまり、訃報も重なっていた。

12月には東映の岡田裕介会長が急逝し、先日は「ラスト・サムライ」同志の福本清三さんまで逝ってしまわれた。おふたりは共に、七十代。早過ぎる死だった。慎んでご冥福を祈ります。



その祈りが続いている最中に、今度は、我がドジャースの導師トミー・ラソーダが93才の人生を閉じた。

私は、ラソーダのドジャースでMLBの醍醐味にめざめ、BSNHKのMLBカラー・コメンテイターを努めていたときにはラソーダの球団オフィスにも行った。そのときに、ラソーダの自伝映画化に名乗りをあげた憶えもある。

あのころは、AMERICAN PASTIMEである野球映画トリロジーの夢に燃えていた。その小さな一歩すら踏み出せぬうちに、この訃報。でも、ラソーダの88年シーズン以来の、ドジャース・ワールド・シリーズ制覇の高揚を目撃しての人生の幕引きだったのだから、形は悪くなかった。

あとは、私がラソーダの若かりし日のフィールド・オヴ・ドリームスを追いかけるだけ。合掌。


2020/12/31 (木)

隅田川流れを眺め年がゆく。


静かな年末で、さらに静かな年始が控えている。銀座三越の地下食品売り場はぐっちゃぐちゃの人だかりだったが。

まさに乱気というべき2020年がやっと終わる。

しんどいことも多かったが、わずかな愉悦もあった。そのひとつがドジャースの1988年以来のワールドシリーズ制覇であり、打倒トランプの合言葉に燃えた大統領選でもあった。

トランプの戯れ言や悪あがきにインスピレーションを得て10年前の脚本を、新しいアングルから改稿する作業も始めた。歓び指数よりも怒りの指数の方が、創作意欲を激増させる。とにかく、この一年は脚本をよく書いた。

そういう作業の合間、書斎のパソコンごしに見下ろす隅田川を眺める時間が増え、ふと気付いた。川波の表情が毎日異なった風情を醸し出す。ああ、江戸の手拭のデザインだ、と改めて思った。江戸情緒とは隅田川の表情でもある。



というわけで、リミテッドシリーズと付き合う時間が、去年よりも大幅に削減された。「ザ・クラウン」シーズン4はエピソード3で止まったままだし、「オザークへようこそ」となると、シーズン4まであるのにシーズン2のエピソード2から先になかなか進めない。よく出来ているし面白いし出演者も魅力があるのに、である。

唯一の例外は「クィーンズ・ギャンビット」で、これはここでも書き記したように約7時間、大感動大昂奮のほぼ一気見だった。

別の意味でほぼ一気見したのはNETFLIX国産品の「今際の国のアリス」。

基本的に、リチャード・マシソンが書いた「アイ・アム・ア・レジェンド」を開祖とする「地球最後の生物」系もしくは「パラレル・ワールド」系エピックが、私は好きなのだ。

だから、グーフィーな作品であるのがわかっていても「メイズ・ランナー」なども劇場で見た。「ザ・ロード」はコーマック・マッカーシーの原作にのめりこんだし、「ウォーリー」もこのジャンルに入れていい。最近見た作品では「孤独なふりをした世界で」や「バード・ボックス」がこっちの世界のスリラーだった。そしていつも共通する失望感は、後半、登場人物が増えるにつれて面白くなくなるということだった。



「今際の国のアリス」もそこは例外ではなかった。というか、終盤、エキストラの数を増やしたせいで、異形の世界観が絶望的に消滅している。地球最後の生物系ドラマはあくまで演技者集団の緊張感がなくてはいけない。そこをうまく押さえたとしても、トラック競技と同様、後半の失速は避けられないものだ。

渋谷ハチ公前の交差点の雑踏と誰もいない空間という出だしには、こういう世界が作りたいのだという「地球最後の生物系」マインドを刺激されたが、出だしから玉石混淆のキャストに驚き(ヘタな役者は限りなくヘタ)、次第に脚本(5分に一回のおうむ返し!)、演出のお粗末さに呆れ、それでも前進か死かの気力で進み、6時間半ぐらいのシーズン1を早回し導入で、2時間強で見通した。

作品には落胆したが、役者には、新発見の才能が何人かいた。山崎賢人は一作毎によくなっていくし、虹郎は「燃えよ剣」で実力は十分わかっていたので、今さら驚かなかったが、町田啓太、青柳翔、朝比奈彩の三人は鮮度抜群の新発見だった。この三人も、賢人も三吉彩花も、いいセリフがあれば、演出がタコで脚を引っ張っても圧倒的な輝きを放つに違いない。



圧倒的な輝きを放つ演技には、その直後に、遭遇した。

今年屈指の、神の領域の演技合戦だ。

対戦カードは、ヴァイオラ・デイヴィス対故チャドウィック・ボーズマン。

作品は、これまたNETFLIXの「マ・レイニーのブラック・ボトム」。

オーガスト・ウィルソンの舞台劇をデンゼル・ワシントンがプロデュースして映画化した一本。監督は、やはり黒人のジョージ・ウルフ。演出もうまいが、ダイアローグが素晴らしく、さらには演技はDIVINE/神々しいとしか称えようがない。

同じウィルソン戯曲を映画化した「フェンス」ではデンゼルとヴァイオラが競演し高い評価を受けたが、この競演はレヴェルが違う。アカデミー賞のBEST ACTORSも、ヴァイオラとチャドウィックが持って行くのではないか。



ヴァイオラは伝説のブルースシンガー、マ・レイニーを演じている。1927年シカゴでの、彼女の歴史的なレコード録音がメインの戦場だ。だから歌う。吹替えだとしても、ヴァイオラが歌っている形は神々しい。

グリーシーなメーキャップもすごいが、ぶるるんぶるるんの戦車体型とその動きのぶるるんぶるるんがポエティックにすごい。一言発する前から、とんでもない存在感を発揮している。ヴァイオラの名演技は数多あれど、これはその最高峰。

対するチャドウィック。

げっそり痩せて痛々しい。闘病生活の後期、すぐそこに迫った死と駆け引きをしながらの撮影だったに違いない。1920年代の夢を追う黒人ペッターを、すべての指の動きをマスターして、完璧に演じている。

そこにある怒りも悲しみも歓びも、最高級の輝きに満ちている。

これほどうまい役者であったのか、と私は改めて感懐し、決死の名演に涙をこらえることはできなかった。

一切の憐憫を排他して、その、時代の弱者を徹底的に嫌う、いわば、ヒールとしてのヴァイオラの立ち位置が、この競演の醍醐味だ。グリン・ターマン以下脇を固める面々も、文句なしに素晴らしい。

というわけで、今回は、コース料理(シリーズもの)の順位はなし。アラカルト(単品)のトップ10を書き連ねて今年のシメとする。



今年のシメのトップ10は

1「マンク」A+
2「シカゴ7裁判」A+
3「フォードvフェラーリ」A
4「マ・レイニーのブラックボトム」A
5「ナイブス・アウト」A
6「ペイン・アンド・グローリー」A
7「ドクター・スリープ」A
8「オールド・ガード」A
9「レ・ミゼラブル」A
10「ザ・レポート」A 
10「シチリアーノ裏切りの美学」A
10「ブラスラウの凶禍」A
10「パターソン」A


では、よいお年を。段違いによいお年を。


2020/12/31 (木)

隅田川流れを眺め年がゆく。


静かな年末で、さらに静かな年始が控えている。銀座三越の地下食品売り場はぐっちゃぐちゃの人だかりだったが。

まさに乱気というべき2020年がやっと終わる。

しんどいことも多かったが、わずかな愉悦もあった。そのひとつがドジャースの1988年以来のワールドシリーズ制覇であり、打倒トランプの合言葉に燃えた大統領選でもあった。

トランプの戯れ言や悪あがきにインスピレーションを得て10年前の脚本を、新しいアングルから改稿する作業も始めた。歓び指数よりも怒りの指数の方が、創作意欲を激増させる。とにかく、この一年は脚本をよく書いた。

そういう作業の合間、書斎のパソコンごしに見下ろす隅田川を眺める時間が増え、ふと気付いた。川波の表情が毎日異なった風情を醸し出す。ああ、江戸の手拭のデザインだ、と改めて思った。江戸情緒とは隅田川の表情でもある。



というわけで、リミテッドシリーズと付き合う時間が、去年よりも大幅に削減された。「ザ・クラウン」シーズン4はエピソード3で止まったままだし、「オザークへようこそ」となると、シーズン4まであるのにシーズン2のエピソード2から先になかなか進めない。よく出来ているし面白いし出演者も魅力があるのに、である。

唯一の例外は「クィーンズ・ギャンビット」で、これはここでも書き記したように約7時間、大感動大昂奮のほぼ一気見だった。

別の意味でほぼ一気見したのはNETFLIX国産品の「今際の国のアリス」。

基本的に、リチャード・マシソンが書いた「アイ・アム・ア・レジェンド」を開祖とする「地球最後の生物」系もしくは「パラレル・ワールド」系エピックが、私は好きなのだ。

だから、グーフィーな作品であるのがわかっていても「メイズ・ランナー」なども劇場で見た。「ザ・ロード」はコーマック・マッカーシーの原作にのめりこんだし、「ウォーリー」もこのジャンルに入れていい。最近見た作品では「孤独なふりをした世界で」や「バード・ボックス」がこっちの世界のスリラーだった。そしていつも共通する失望感は、後半、登場人物が増えるにつれて面白くなくなるということだった。



「今際の国のアリス」もそこは例外ではなかった。というか、終盤、エキストラの数を増やしたせいで、異形の世界観が絶望的に消滅している。地球最後の生物系ドラマはあくまで演技者集団の緊張感がなくてはいけない。そこをうまく押さえたとしても、トラック競技と同様、後半の失速は避けられないものだ。

渋谷ハチ公前の交差点の雑踏と誰もいない空間という出だしには、こういう世界が作りたいのだという「地球最後の生物系」マインドを刺激されたが、出だしから玉石混淆のキャストに驚き(ヘタな役者は限りなくヘタ)、次第に脚本(5分に一回のおうむ返し!)、演出のお粗末さに呆れ、それでも前進か死かの気力で進み、6時間半ぐらいのシーズン1を早回し導入で、2時間強で見通した。

作品には落胆したが、役者には、新発見の才能が何人かいた。山崎賢人は一作毎によくなっていくし、虹郎は「燃えよ剣」で実力は十分わかっていたので、今さら驚かなかったが、町田啓太、青柳翔、朝比奈彩の三人は鮮度抜群の新発見だった。この三人も、賢人も三吉彩花も、いいセリフがあれば、演出がタコで脚を引っ張っても圧倒的な輝きを放つに違いない。



圧倒的な輝きを放つ演技には、その直後に、遭遇した。

今年屈指の、神の領域の演技合戦だ。

対戦カードは、ヴァイオラ・デイヴィス対故チャドウィック・ボーズマン。

作品は、これまたNETFLIXの「マ・レイニーのブラック・ボトム」。

オーガスト・ウィルソンの舞台劇をデンゼル・ワシントンがプロデュースして映画化した一本。監督は、やはり黒人のジョージ・ウルフ。演出もうまいが、ダイアローグが素晴らしく、さらには演技はDIVINE/神々しいとしか称えようがない。

同じウィルソン戯曲を映画化した「フェンス」ではデンゼルとヴァイオラが競演し高い評価を受けたが、この競演はレヴェルが違う。アカデミー賞のBEST ACTORSも、ヴァイオラとチャドウィックが持って行くのではないか。



ヴァイオラは伝説のブルースシンガー、マ・レイニーを演じている。1927年シカゴでの、彼女の歴史的なレコード録音がメインの戦場だ。だから歌う。吹替えだとしても、ヴァイオラが歌っている形は神々しい。

グリーシーなメーキャップもすごいが、ぶるるんぶるるんの戦車体型とその動きのぶるるんぶるるんがポエティックにすごい。一言発する前から、とんでもない存在感を発揮している。ヴァイオラの名演技は数多あれど、これはその最高峰。

対するチャドウィック。

げっそり痩せて痛々しい。闘病生活の後期、すぐそこに迫った死と駆け引きをしながらの撮影だったに違いない。1920年代の夢を追う黒人ペッターを、すべての指の動きをマスターして、完璧に演じている。

そこにある怒りも悲しみも歓びも、最高級の輝きに満ちている。

これほどうまい役者であったのか、と私は改めて感懐し、決死の名演に涙をこらえることはできなかった。

一切の憐憫を排他して、その、時代の弱者を徹底的に嫌う、いわば、ヒールとしてのヴァイオラの立ち位置が、この競演の醍醐味だ。グリン・ターマン以下脇を固める面々も、文句なしに素晴らしい。

というわけで、今回は、コース料理(シリーズもの)の順位はなし。アラカルト(単品)のトップ10を書き連ねて今年のシメとする。



今年のシメのトップ10は

1「マンク」A+
2「シカゴ7裁判」A+
3「フォードvフェラーリ」A
4「マ・レイニーのブラックボトム」A
5「ナイブス・アウト」A
6「ペイン・アンド・グローリー」A
7「ドクター・スリープ」A
8「オールド・ガード」A
9「レ・ミゼラブル」A
10「ザ・レポート」A 
10「シチリアーノ裏切りの美学」A
10「ブラスラウの凶禍」A
10「パターソン」A


では、よいお年を。段違いによいお年を。


2020/12/14 (月)

ビルドゥングスロマン。


随分久しぶりにこのフレーズを使う。ビルドゥングスロマン。自己形成小説。

COMING-OF-AGEものというと基本は少年少女の通過儀礼を扱っている作品だが、ビルドゥングスロマンとなると、もっと広域年代の成長物語ということになる。私の作品でいえば、「栄光と狂気」がど真ん中のそれ。

でも基本的に、殆どすべての原田映画にそれはある。「燃えよ剣」も基本はそこだ。司馬遼太郎作品に私が惹かれるのも、そこにある。



集英社発行の季刊誌「KOTOBA」の2021年冬の号は「司馬遼太郎解体新書」と銘打っている。三部構成17人のKOTOBAによる司馬遼太郎解体作業が実に面白い。その一人に私も加えて戴いたので「燃えよ剣」映画化の思いを語った。

中でも興味深かったのは歴史家清水克行氏の「司馬のエロス」分析だ。清水氏は「とくに司馬作品の主人公たちは、かなりの確率で好色かつ精力絶倫の性豪であり、物語の前半部で、きまって女性と情交を演じるという特徴がある。」として、司馬作品12の中・長篇のなかで「性的な記述が、どのあたりの箇所で出現するかを計測した」表まで掲載してくれている。

確かにそのとおりで、この12作には入っていないが、私が10代のころ読んだ「戦雲の夢」も「尻啖え孫市」もそうだった。



ただし「生真面目な人が無理してエロチックな描写をしようとしているようで、どうしても違和感がぬぐえない。」とか、「ストーリー上も、“濡れ場”シーンはほぼ無意味であり」と書かれると、おいおいおい何か誤解してないか、と文句をつけたくなる。

清水氏は私よりも遥かに濃密に司馬作品を研究分析されているので、そこに噛みつく意識は毛頭ない。が、彼は私よりも22才年下の歴史家だ。ゆえに、年長者として、あるいは歴史家に対する映画監督としての単純な文句をつける。

「濡れ場」に関して、私はムダだとは微塵も思わないし、司馬先生が編集者の注文で「不本意ながら行っていた読者サービス」とも思わない。

なぜならば、前半に性描写のある司馬作品のほとんどすべてはビルドゥングスロマンもしくはその体裁を持っている。ビルドゥングスロマンに不可欠なのは、人生前半の、殊に10代における性体験という通過儀礼だ。



だから、司馬作品の主人公たちは、その後の人生では「伏線回収もされないまま放置され」る異性(稀に同性)と束の間出会うのであって、これは決してムダではないし、不本意な読者サーヴィスでもない。それが主人公にとっての初体験でなくとも、読者にとっては主人公の性行為を小説前半部で「体験する」メタフォアとしての初体験となっている。

その顕著な例は、司馬遼太郎後期最高傑作の一本でありながら、なぜか同誌の「今だから読みたい!司馬遼太郎厳選42作品解説」でも無視されてしまう「義経」にある。義経の初体験のヴィヴィッドな描写、人物の配置、すべてがマエストロの絶妙なオーケストレーション・・・。

と、ここまでが前フリ。

書きたいのは、ビルドゥングスロマンの王道を行くマスターピース「クィーンズ・ギャンビット」のことだ。



NETFLIX2020年度最大のヒット作となったミニ・シリーズだ。タイトルが示すように、チェス・プレイヤーの世界を描いた作品だ。時代背景は主に1960年代。孤児の少女が、施設の用務員からチェスを学び、天性の素質に磨きをかけ、ケンタッキー州のチャンピオンになり、全米チャンピオンにも輝き、ついにはチェスの聖地モスクワに乗り込み、自己の尊厳をかけて伝説のチェス・プレイヤーと雌雄を決する物語だ。

と書くと、スポコン根性もの系かと思われがちだが、主人公には薬物中毒やアルコール依存症といった負の試練がリアルに与えられている。そこを乗り越えていく手助けをするのが、盤上のポーンやナイトやビショップなどに例えられる、彼女の人生を彩る人々なのだ。

こういった脇役それぞれの描き込みも見事だが、なんといっても、15才から20才までのヒロイン、ベス・ハーモンを演じたアニャ・テイラー・ジョイの神懸かりの存在感、眼光に魅了される。

評価としては、エピソード1、2、5、7がA+。3、4がAでベスがロック・ボトムに堕ちて行く6がA-。総合評価は最終話の大興奮盛り上がりゆえA+。



脚本・演出のスコット・フランクが素晴らしい。撮影のスティーヴ・メイズラーが素晴らしい。60年代のファッションが素晴らしい。アニャ以下のキャストが、端役の端っこに至るまで完璧に60年代の顔を並べて素晴らしい。

女王にチェスの最初の手ほどきをする用務員を演ずるビル・キャンプは、私が今まで見て来たすべてのビル・キャンプの最高峰だ。ベスを養女に迎える義母のマリエル・ヘラー(彼女は監督としてもめきめき頭角を現している)にも唸った。

「バスターのバラード」と「オールド・ガード」で私を虜にしたハリー・メリング(アニャは「ハリー・ポッター」の彼に心ウキウキだったらしい)、「ゴッドレス」では簡単に殺されたトーマス・ブロディ・サングレン、ベスのソウルメイトのジョリーンを演じたモーゼス・イングラム、そしてチェスの支配者ボルゴフを演じたポーランドのスター、マルチン・ドロチンスキー。適材適所の完璧なキャスティングだ。

スコットとメイズラーは2017年の「ゴッドレス」でも組んで、いい仕事を残している。「ゴッドレス」は以前ここでも書いた正統派ウェスタンのミニ・シリーズだ。今回の映像は、軽々と前作シリーズをしのいでいる。(メイズラーは長いこと、スピールバーグ組でヤヌス・カミンスキーの撮影助手として活躍していた。)



私は、途中まで、ベス・ハーモンのモデルは誰なのだろうと考えながら見ていた。それほど、チェス・マッチのすべてがディテール細かくリアルなのだ。

とはいっても、基本は、チェスのルールを知らないものでも引き込まれる演技のニュアンスがボード上の動きより優先されている。

しかも、描かれるすべてのチェス・マッチを、すべて異なった映像コンセプトで撮っている。これは、見事だ。

話が進むにつれ、ベスは完全にフィクショナルなキャラクターであることが納得できるのだが、そうなってくると、別の疑問がアタマを持ち上げて来る。

この、天才のかかえたアンビヴァレンスと負のスパイラル、絶望の淵から這い上がるその這い上がり係数と犠牲者、といった構造に、二番煎じなどというレヴェルではない、もっと高貴なデジャヴ感を覚えたのだ。



夢中になって7話まで見終えて、改めて、原作クレジットに目が行った。ウォルター・テヴィス。どこかで目にしたぞ。

私の記憶力も劣化しつつある。IMDBでチェックするまでウォルター・テヴィスの名前を忘れていたとは・・・。

テヴィスはビルドゥングスロマンの名作中の名作「ハスラー」(1961)の原作者だ。「クィーンズ・ギャンビット」はハスラーたちのプール・テーブルを、チェス・ボードに変化させたテヴィス晩年の傑作なのだ。これだけの作品が邦訳されなかったのは、日本の出版関係者のチェスへの無理解が原因だろう。

テヴィスは1928年生まれで1959年に発表した「ハスラー」で人気作家となり、1983年に「クィーンズ・ギャンビット」を残して翌年逝った。

映画「ハスラー」はロバート・ロッセンの最高傑作であり、ポール・ニューマンの最高傑作の一本であり、ジャッキー・グリーソンもジョージ・C・スコットもパイパー・ローリーも、完璧なアンサンブル・キャストだった。私は見直す度に、その世界観に魅了されている。

「クィーンズ・ギャンビット」も、そういった神々の映画の列に加わった。


 a-Nikki 1.02