2022/11/23 (水)

ピーキー・ブラインダース・サーガ PART 2。


この稿を書き進めている最中に、2022 WORLD CUPイングランドの初戦を見た。絶妙の連係プレイに大興奮だった。5分に一回、うまっ!すげっ!と叫んでいた。ヴェテラン・スーパー・スター、ハリー・ケインの周りで華麗にプレイするベリンガム、サカ、ラッシュフォードらの若手スーパースター。このイングランドは優勝候補の筆頭ではないか。「ピーキー・ブラインダース」の興奮をそのまま、私はサウンスゲート・イングランドに繋げようと思う。日本代表が散った後は、イングランド一本押し!


私の見るところ、2013年から2022年まで6シーズンに渡って人気を博した「ピーキー・ブラインダース」のベスト・シーズンは、コルム・マッカーシーが全6話を演出したシーズン2とアンソニー・バーンが演出したシーズン5である。

単一エピソードの最高峰は、トム・ハーディが登場するシーズン2の第2エピソードであるとも断言出来る。

このエピソードでは、トミーとアーサーの絶妙な演技合戦もある。連れ去られた子どもたちへの想いを演じ切るポリーの名演もある。そしてトミーとポリーの連帯を複雑にするマイケル・グレイ(フィン・コール)がファミリーに加わる。エイダもどんどん魅力的な存在に成長していく。トミーの新しいラヴ・インタレストのメイ(シャーロット・グレイ)も登場する。アーサーの伴侶である信心深いリンダ(ケイト・フィリップス)もファミリーの一員としてフィットしている。

キャンベルと同口径のワル、ダービー・サビーニ(ノア・テイラー)の「こいつを早いとこ片付けてくれよ、トミー」と懇願したくなる悪党ぶりもいい(殊に、2の4でのアルフィ対サビーニの火花散る会話が素晴らしい)。

グレースの再登場も嬉しい。が、トミーと彼女の再会の会話は短く通俗で、やや残念感が漂う。ちなみに、シャーロット・グレイはトム・ハーディの実生活のパートナーでもある演技派女優。


シーズン2の立役者コルム・マッカーシー監督はセンスに溢れた才人で、撮影のサイモン・デニスとのチームワークもよく、映像トーンはますます洗練されている。役者たちの演技の引き出し方、動かし方も文句のつけようがない。ただし、最終話2の6ではまたしても消化不良に陥る。

ダービーでの対決がテーマなのだが、レースは描かれない。そう、競走馬が走るシーンは一切ない。観客席、厩舎といったレース・トラック以外の場所での人の動きと暗殺行が描かれるだけだ。著しく臨場感に欠ける。製作費が足りなかったのだろうが、それにしても、である。無論、トミーが所有するレース・ホース、GRACE’S SECRETが何着だったのかもわからない。勝てない、と言われていたが、中途半端なのはレースだけではない。

キャンベルの始末の付け方はポリーに花を持たせているだけでスリルもサスペンスもない。カタルシスもない。ここはトミーがきっちり始末すべきなのだが、「色魔」キャンベルを強調するために投入したつまらない伏線の回収でポリーに「尊厳回復」の殺しを任せてしまう。ならば、ノア・テイラーが憎々しく演ずるサビーニへの制裁をトミーに託せばいいのだが、サビーニはサラリと退場してしまい決着はつかない。これらが最終話消化不良の原因だ。

ダービー・エピソードで唯一感心したのは元売春婦現トミー秘書のリジー(ナターシャ・オキーフ)が、暗殺の標的軍人を誘惑するくだり。組んだ足の靴底にチョークで「お値段」が書いてある。1920年代の娼婦道ここにあり!

とはいえ、シーズン2の総合スコアはシーズン5と並ぶA。


スティーヴン・ナイトは実在した仇役はサビーニにしろオズワルド・モスビーにしろトミーが鉄槌を下すには至らない。アンタッチャブルなのだ。そのくせ、実在した著名女性たち、後々登場する労働運動のリーダーだったジェシー・イーデン(チャーリー・マーフィ)、英国極右のカリスマ・レディ、ダイアナ・ミットフォード(アンバー・アンダーソン)はトミーとの情事に誘う。そのすみわけが私には理解できない。

JESSIE EDENに関して一言付け加えておくと、日本語ウィキペディアではイーデンと表記すべきところを「エデン」にしており、日本語字幕もこれに準じているようだ。明らかな間違いである。イギリスの首相ANTHONY EDENは「アンソニー・イーデン」という表記が定着しているのに、である。政府首脳はイーデンで、反政府活動家がエデン?バカバカしい「差別」だ。


シーズン3は全6話をティム・ミーランツが演出している。後々ピーキー・ブラインダースのトレードマークとなる両腕だらりのゴリラ系無頼漢ウォークは、3の2から明確になって来る。カリスマ・キャラを演じ切るキリアン・マーフィが工夫したのだろう。

シーズン1のジョージ・スティール、シーズン2のサイモン・デニスはスグレモノの撮影監督だった。シーズン3は撮影でも物語の流れでもBクラスだ。仇役のパディ・コンシダインも良くない。亡命ロシア貴族の絡みも面白くない。唯一のハイライトは、グレースの退場。シーズン5、6から見始めたゆえ、グレースが3の2で消えることはわかってはいたのだが、この訣別には涙した。

いずれにせよ、私にとってシーズン3の不発は、出だしが全てだった。3の1は「ゴッドファーザー」へのオマージュであるかのようにトミーとグレースの結婚式から始まる。ここでシーズンの暗雲を担う人々やエピソードの萌芽が紹介されていくのだが、脚本も演出も力不足。おまけに撮影も凡庸。その思いがシーズンを通じてつきまとう。よかったのはタチアナを演ずるオランダ女優ガイテ・ヤンセンの脱ぎっぷりだけ。シーズン3の総合スコアはB +。


シーズン4は全6話をデーヴィッド・キャフリーが監督している。復讐に燃えるルカ・シャングレッタ(エイドリアン・ブロディ)とトミー・シェルビー(キリアン・マーフィ)の最初の接近遭遇におけるやりとりが白眉。

しかし、エピソードが進むに連れ、「アメリカン・マフィアとの全面戦争」といったセールスポイントが弱体化する。

ファミリーには魅力的な「処理屋」が新加入する。ジプシーのアベラマ・ゴールド(エイダン・ギレン)とボクサーの息子ボニー(ジャック・ローワン)だ。アベラマは後にポリーと恋に落ち、ボニーはシーズン5でショッキングな死に様を見せることになる。

この殺戮を担うジミー・マッカヴァーンを演じているのはブライアン・グリーソン。名優ブレンダン・グリーソンの息子でドーナルの兄ちゃんならではの絶賛悪党ぶりなのだが、アベラマの復讐は叶うことなく、ジミーの出番はシーズン5で終わる。スケジュール調整がつかなかったことは明らかだ。

以前触れたシーズン5はアーニャ・テイラー・ジョイ中心で他のキャストへはあまり言及しなかったが、このシーズンにはアーニャ以外にも近未来のスーパースター候補が二人、出演している。2023年配信の「SHOGUN」で主役ジョン・ブラックソーンを演ずるコスモ・ジャーヴィスと「あの夜、マイアミで」で私がベタ惚れしたキングスリー・ベン・アディアだ。キングスリーはボブ・マーリーの伝記映画で主演に抜擢されている。


トミー対マフィア集団との銃撃戦はマンチェスターの歴史的建造物で展開してグラフィックな見せ場とはなっているが、ルカの襲撃計画もトミーの迎撃プランも杜撰で、盛り上がらない。おまけに、ブロディはマシンガンの扱いが下手で興醒めしてしまう。

その襲撃失敗に懲りて、ルカはトミーと薄氷の業務提携をしているロンドン・ギャング、アルフィー・ソロモンズ(トム・ハーディ)に接触する。このハーディとブロディの芝居はシリーズの大きな見せ場だ。実に愉快。ただし、日本語字幕を読んでいてはこの二人の名優の、ニュアンスの絶妙芝居を見過ごしてしまうかもしれない。吹替版など問題外だ。

そうやってビジネスで釣られたアルフィーがミニ裏切りに踏み込む。ボクシングの試合に自軍のセコンドとして、ルカの殺し屋二人を参加させることに同意するわけだ。この展開はいい。問題は、そのツメ。これがダメ。

セコンドに化けた殺し屋たちがどういうプランでトミーを殺そうとしているのか見えて来ないまま試合が進んで行く。ビルドアップのドライヴが効いていない。結局は、アーサー(ポール・アンダーソン)に怪しまれて、試合の最中、控え室でアーサーとの死闘になる。

ボクシング・マッチの収穫はリングサイドのピーキー・ブラインダース・レディースの存在感と群衆シーンの臨場感に尽きる。

試合前のアルフィーとトミーの会話も、それなりに味がある。


ただダークサイドのハイライトとして提示される「アーサーの死」は、通俗的な観客サーヴィス・レベルでいただけない。そもそもルカ一派のテーマがアーサーではなく、トミーの首を獲ることなのだから、葬式までして「アーサーの死」を吹聴する「トミーの策略」が空回りしている。視聴者、観客をミスリードしたいだけの安っぽいサプライズだ。

終盤のアルフィーとトミーの決斗は唐突でもあるし、ゆくゆくはアルフィーが元気に復活し、アーサーに次ぐ「死んだはずだよ、お富さん」になるわけでこれまた低俗。

さらにはそこから3ヶ月の流れで強引に終息させる展開が駆け足で味気ない。要は、シーズン6と同様、ビルドアップに欠けた最終話の稚拙さが顕著なシーズン4でありました。シリーズ全体評価:A –

という流れで、私は遅ればせながら「ピーキー・ブラインダース」をなんとか制覇した。


このシリーズの最大の功績は、キリアン・マーフィ、ヘレン・マクローリー、ポール・アンダーソンの3人を5シーズン確保できたことだ。

私は当初、キリアンが主役の英国版ゴッドファーザー・サーガには魅力を感じなかった。キリアンでは線が細いと思った。彼は小柄だし、足も短い。それが、シリーズを見て一転した。キリアンの魅力の虜になった。彼が主役を演ずるクリストファ・ノーランの「オッペンハイマー」が待ち遠しくてたまらないほどだ。

ポール・アンダーソンも、初めて見た時はオーヴァーな力みトークが気になった。腰を据えて接すると、それが味わいとして感じられ、時々、彼の口調をマネてHMMM PEAKY FUCKIN’ BLINDERSなどと吠えたりもする。素晴らしい役者だ。私がウェスタンを撮ることになったら、ポールをアイルランド移民の西部男役で主演に迎えたい。

そして、ヘレン・マクローリー。彼女の演技の見せ場には何度か圧倒された。その早すぎる死を知ってのち、こうやってシーズン1から4を見てみると、ポリー・グレイの所作全てが感動的で涙を誘うのだった。英国映画演劇界の壮大な喪失だ。

一世を風靡した「ピーキー・ブラインダース」の武勇伝は、女優ヘレン・マクローリーの死と共に終わったと痛感している。


2022/11/22 (火)

ピーキー・ブラインダース・サーガ。PART 1


シーズン5、6を見たせいで「PEAKY BLINDERS」のそこに至る展開が気になって仕事(脚本書き)に支障が生じ始めた。それでもシーズン1から見直すのを避けて、取り敢えずシーズン4を制覇することにした。シーズン4を見終わると、もっと落ち着かなくなった。キリアン・マーフィ、ヘレン・マクローリー、ポール・アンダーソンのトロイカ体制が心にガンガン響いてくるのだ。そこに、トム・ハーディのヘブライ語の音色を大事にした絶妙の節回しが加わって史上最強の弦楽四重奏を聴いている心地になる。この四人に酔いまくっている。

時を同じくして、2018年頃に購入し本棚の奥に眠っていたDVD(BBC販売の4シーズン・ボックス・セット)を見つけてしまった。無論、特典映像も付いている。ことここに至って覚悟を決め、1週間かけてシーズン1、2、3をDVDで見ることにした。シーズン5、6、4をその順番でNetflixで見た後に、である。なんとも摩訶不思議な展開だ。

こういうところは、その昔、沼津の映画小僧であった頃に、2本立て3本立て映画を途中から見て、ちゃんと繋がる所まであれこれ想像しながら観賞した習慣が役に立つ。かつて映画は始めから見るものではなく、行ける時間から見始めるものだった。


特典映像を見てわかったのは、クリエイターのスティーヴン・ナイトの両親がシリーズの舞台、英国中部バーミンガムのスモール・ヒースで生まれ育ち、小さい頃から実在のギャング団ピーキー・ブラインダースを知っていたという背景だ。

さらには主人公トミーの伯母ポリーには父方の叔母(ひょっとしたら伯母。父親の姉だか妹だか不明なので)のキャラが投影されているという。

ナイトにとって、これは家族の歴史ドラマであり、故郷に錦を飾る作品でもあるということがわかる。そこがこの作品の愛情深きコアで、私も、そういった根っこ部分に魅せられている。ファミリーの幹部会議で女衆が男衆と同格であるということにも心を揺さぶられる。

1919年から始まる一族団結のディテールは強固であり、そこがジプシーの血を引く主役グループの魅力の源泉でもある。

まだこのシリーズに未到達の人のために順を追って話そう。


シーズン1でシェルビー一族の核に君臨するのは、第一次大戦の地獄の最前線から生還したトミー(キリアン・マーフィ)と兄アーサー(ポール・アンダーソン)、弟ジョン(ジョー・コール)、妹エイダ(ソフィー・ランドル)、そして、ジプシーのライフスタイルを踏襲する伯母ポリー・グレイ(ヘレン・マクローリー)の5人だ。

トミーとアーサーは塹壕戦のトラウマを引きずっており、トミーはアヘンに逃避し、アーサーはコントロール不能の暴力に走る傾向がある。

主要脇役はこの5人の誰かと関連づけられて登場する。

後々トミーのヨメとなって数々の見せ場をこなすリジー・スターク(ナターシャ・オキーフ)は1の#4でジョンが熱を上げている娼婦として登場。実はトミーの性欲処理係でもあったというので、トミーが責任を持ってジョンとの仲を裂く設定。

その一方でトミーは敵対関係にあるジプシー、リー一族との政略結婚を画策する。リー家の末娘エスメ(エイミー・フィオン・エドワーズ)をジョンにめとらせ抗争を集結させる。この一連の流れは、ジョンを演ずるジョー・コールの個性を最大限に引き出し、結果として、ジョンは短いが(シーズン4の導入部で退場)幸福な結婚生活を送り、エスメもファミリーの重要メンバーとなる。

他にはトミーの親族としてチャーリー・ストロング(ネッド・デネヒー)、カーリー(イアン・ペック)、ジェレマイア(ベンジャミン・ゼファニア)、幼いフィン・シェルビー(アルフィ・エヴァンス・ミルズ)が配置されている。チャーリーとカーリーはシリーズ全体を通じて、大きな活躍をするわけではないが、組織のブルーカラー労働部門を管轄し、トミーへの変わらぬ忠誠心を見せる。この二人はいぶし銀の演技巧者でもある。


シーズン1のあだ花的主要脇役としては、トミーの戦友でエイダと結婚するコミュニストの闘士フレディー・ソーン(イドー・ゴールドバーグ)がいる。彼はファミリーの「醜いアヒルの子」的役割だが気の行かない描写に終始する不発キャラでもある。

混乱の極みは終盤のライヴァル・ギャングスター、ビリー・キンバー(チャーリー・クリード・マイルズ)との対決に強引に参加させた点。この対決自体が笹川の繁蔵対飯岡助五郎風の安っぽい「大喧嘩(おおでいり)」で、人数が多い割に数発の銃弾でカタがついてしまう。

敵方の死者はキンバーひとり。味方の死者は、トミーの戦友でトミー以上のPTSDに悩むダニー(サミュエル・エドワード・クック)だけ。このキャラの使い方も稚拙だし対決演出も愚直でお寒い。フレディーはこの「でいり」では生き残るが2年後設定のシーズン2は病死したフレディーの葬儀から始まる。これはおそらく、「スノーピアサー」などのレギュラーでもあるイドーのスケジュール調整ができなかったためだろう。

シーズン1のプロット展開は、シーズン6で断じたごとく、終盤でロジック欠如の無茶振りが目立つ。スティーヴン・ナイトの、ダイアローグに強くプロット構成に難がある習性はシーズン1から明らかだ。というか、シーズン1の最終章は全シーズンを通じて仰天最悪の出来となっている。


「PEAKY BLINDERS」シリーズは、その生い立ちから高貴・秀逸と低俗・拙劣のタペストリーで編まれている。

PEAKYとは「ツバの広い帽子」のことで、BLINDERSは20世紀初頭バーミンガムのスラングで「洒落者」。それゆえ、タイトルの心は、作品ルックそのままの「ハンチングの男伊達」ということになる。史実のピーキー・ブラインダースはハンチングにカミソリを仕込んでいたとかで、シーズン1ではその点が強調されるがシーズン2以降ではカミソリの出番はない。

シーズン1は前半3話がオットー・バサースト監督作。映像感覚も脚本も一流。高貴・秀逸の範疇だ。

後半3話は「イントゥ・ザ・スカイ」(2019)などのトム・ハーパー監督作でクオリティは一気に落ちる。低俗・拙劣。脚本も、ボンクラレヴェル。1の4はナイトとステファン・ラッセルの共作、1の5はナイトとトビー・フィンリーの共作となっている。共作といっても、実態は、別シリーズ立ち上げで忙しかったナイトが、ラッセル、フィンリーに書かせ、最終的に手を入れた程度のことだろう。

1の5ではアーサー・シニア(トミー・フラナガン)を登場させ、ファザコンの長男アーサーと、父親を嫌悪する次男トミーのコントラストをくっきり見せるが、エピソードもセリフも単調。セリフによる演技の見せ場は1の4も1の5も皆無ゆえ、どちらも凡作に堕している。最終話1の6はナイト単独クレジットだが、驚愕お粗末の展開に満ちている。評価的には、全6話の順にA A A B+ C C-となる。シーズン1の総合スコアはA-。


と、ここまで延々とシーズン1の美しさと醜悪さを書き連ねて来たが、まだ触れていない主要登場人物が二人いる。美女と野獣だ。

「美女」はトミーのミューズでありトミーをPTSDから解放するグレース・バージェス(アナベル・ウォリス)。

「馬と呼ばれた男」などの名優リチャード・ハリスの姪。なので、ハリスの息子の名優ジャレド・ハリス(「チェルノブイリ」、「ザ・クラウン シーズン1」など)のいとこということになる。

彼女はこのシーズン1で注目され、2017年にはトム・クルーズの相手役に抜擢されている。それが、近年のクルーズ作品で最悪の評価を得た「ザ・マミー」。

これ以外にも、「アローン」、「サイレンシング」のアナベルをチェックしたが、作品は3本全てROTTEN TOMATOESでは10%台の凡作駄作。いずれも、彼女は美しいが作品は酷かった、で終わってしまった。

現在、東京で公開中の「サイレント・ナイト」にも四番手でキャストされているがどうだろう。見ても同じ結果になるのではないだろうか。


アナベルの役柄はピーキー・ブラインダースの溜まり場パブ「ザ・ギャリソン」に、ある日舞い降りたアイルランドの歌姫バーメイド。どう考えてもウラがある美女なのだが、ピーキー・ファミリーの男たちは誰一人疑うわけでもない。そこは甘いと言えば甘い。が、アナベルのエレガンスがあまりに香華豊かなので私は惚れ込んでしまった。

問題は、サム・ニール演ずる「野獣」との確執だ。


「ピーキー・ブラインダース」には各シーズンに大物俳優が演ずるトミーの仇敵nemesisが配されている。

最初の2シーズンがサム・ニールのチェスター・キャンベル警部。シーズン2ではノア・テイラーのダービー・サビーニとトム・ハーディのアルフィ・ソロモンズというロンドンのギャングスター二人が加わる。

シーズン3がパディ・コンシダイン演ずる国粋主義者で悪魔のペドファイラー、ジョン・ヒューズ神父。

シーズン4はエイドリアン・ブロディ演ずるアメリカン・マフィアのルカ・シャングレッタ。

シーズン5&6がサム・クラフリン演ずる英国ファシスト党党首のオズワルド・モスビー。このうち実在の人物はサビーニ、ソロモンズ、モスビーの3人だ。

サム・ニールのキャンベル警部は1919年ロイド・ジョージ政権に於ける国務長官で当時45歳のウィンストン・チャーチル(アンディ・ナイマン)の特命を受け、紛失した武器捜索のためバーミンガムにやって来た傲慢タフの捜査官。

グレースはキャンベルの同僚である父親をIRAに殺されたため、そのアイルランド解放戦線の闘士たちへの復讐心から潜入捜査官になった女。

彼女のミッションは、ピーキー・ブラインダースが盗んだ武器がIRAに渡るのを防ぐ、あるいはその前に発見すること。で、当然ながらトミーと恋に落ちる。ここまでは許容範囲。

c


とんでもないことになるのは、キャンベル警部があろうことか、グレースにプロポーズし、彼女がトミーに思いを寄せていることがわかるや否や嫉妬の鬼と化すくだり。

エピローグでは、心に傷を抱え、バーミンガムを去ろうとするグレースを撃ち殺そうとする横恋慕男がキャンベルなのだ。

これは究極の情けない「殿ご乱心」設定だ。キャラクターを殺してしまっている。演技派ニールをここまで日活アクション・メロ世界の色ぼけ仇役に貶めるか、と私は呆れ果て大落胆した。それゆえ、シーズン・フィナーレは最低評価のC -なのだ。

嫉妬心はあっても、キャンベルには大人の対応をさせるべきであった。その方が役のスケール感も出る。名優サム・ニールをここまでブザマに落とした脚本も演出も下の下の下だと罵倒したい。

シーズン2以降は全エピソードの脚本をナイトが書いている。演出は全6話コルム・マッカーシーだ。シーズン1のアヘンはコカインに変化する。(以下、次回)


2022/10/29 (土)

アーニャとピーキー・ブラインダースに至る9月10月の映像シャワー。


「わたしは最悪。」はエピローグが最悪。昼メロなみのシメで薄っぺら。前半は面白かった。殊に気まぐれに紛れ込んだパーティでのアイヴァンとの出会いと徹夜の浮気寸前会話。ユリア役のレナーテは藤原紀香似でイマイチ乗れず。芝居はうまいが魅力を感じない。アイヴァンもアクセルも監督のオルターエゴだとしたらユリアに当たるかつてのガールフレンドへの未練たらたら映画ということになる。評価:B +


「モガディシュ・脱出までの14日間」
製作費20億円をかけただけあって暴動シーンは凄みあり。ソマリアの話だがケニアで撮影。問題は、韓国キャスト。キム・ユンソクとホ・ジュノの大使二人は手堅いが、第二主役の諜報員参事官役のチョ・インソン、これに対抗する北朝鮮参事官ク・ギョファンが酷く下手。大芝居だし、英語は何言っているのかわからない。韓国勢で良かったのは大使夫人のキム・ソジンだけ。しかし、役はつまらない。

対照的に、ソマリア人を演ずるケニア俳優たちはほぼ全員がうまい。役は小さくて発展性もないが、ワル警官のPeter Kawa、タクシー運転手のEdijoe Mwaniki、外務大臣のAlan Oyugiは印象に残る。(この三人はカワが監督し、ムワニキが脚本を書いたLOST IN TIMEで繋がっている。)

それと、多分Alex Kinuthiaだと思うが、チンピラ反乱分子役の若者も魅力的な役者だ。予告編を見た時に、彼の演技に魅了され、ソマリア側にいい役者を使っているなら、と見る気になった。無名の少年兵たちも表情豊かでいい。

問題は、エンタメ志向の過剰アクション。それゆえ、現実離れした「ソマリア騒乱秘話」に堕ちてしまった。言ってみれば、韓国大使館からイタリア大使館へ避難するだけの話。あの長々と続く銃撃カーチェイスには白ける。カーチェイス自体のクォリティは高いのだが、この状況にはフィットしない。リュ・スンワン監督の幼稚さが露出してしまった。評価:B


「アイヌモシリ」 
米留学の福永壮志監督作品。彼は伸びる。下倉幹人(カント)、秋辺デボらアマチュアの出演者が素晴らしい。ただラスト、サイズの違う子熊を使ってまで儀式にこだわる必要はなかった。カントの仲間もナチュラルで存在感抜群なのだから、この若い世代が連帯して儀式に反対する方が説得力を持てた。カントが仲間に相談しないことはとても不自然でもある。評価:A -

(IMDBを見るとこの監督は「SHOGUN」1エピソードの演出に抜擢されたということになっている。だとしたらアメリカ映画界特有の青田買い。そうやって潰れてしまった若手監督はかなりいる。だいじょうぶかね。)


「ブレット・トレイン」 センスなしの愚作。私は新横浜で途中下車。伊坂幸太郎小説の会話はナチュラルなニュアンスの微妙にズレた感覚が面白いわけで、ベタなコメディ向きではない。デーヴィッド・リーチはその辺が全くわかっていない。故に脳なしが作ったスクルーボール・コメディに堕してしまった。評価:C -


「THIRTEEN LIVES」 13人のタイ人少年サッカー・チームを洞窟から救出した実話をロン・ハワードが真摯に映画化。オープニング・アクトはよくできたタイ映画。そこにヴィーゴ・モーテンセン、コリン・ファレル、ジョエル・エドガートンら英国人洞窟探検プロたちが参加していくプロセスが秀逸。タイ人キャスト(特に子役)も適材適所でバランスよく共演している。評価:A


「MY GENERATION」 マイケル・ケインが案内人となり1960年代英国を偲ぶドキュメンタリー。「ズール戦争」、「国際諜報局」と続くケインの60年代出世作に魅せられた私としてはいくつかお宝映像があってウルウルだったが、現代部分の流れがお粗末。全体的な構成も混沌。評価:B -


「アテナ」 ヴェネツィアのコンペ部門で無冠も納得。タイトルまでの導入部はどう撮ったのかわからない素晴らしきCG活躍ワンテイク。しかし、こういうトリッキーな長回しを多用してムダな歩きが全編に散りばめられ次第に飽きてくる。

悪趣味の極みは三男カリムの死を嘆く次男アブデルの醜悪センチな長回し。それ以降、終盤はプロット展開がボロボロ。兄弟が4人というのは「カラマーゾフの兄弟」への媚びだろう。

60分前後で語れる話を人物の移動と感情発露に付き纏うことで水増ししている感がある。

監督はコスタ・ガヴラスの息子ロマン。父親が「奇襲戦隊」「Z」に於いて、60年代に於ける「度肝を抜くクィックカット」で一世を風靡したことに対抗しての長回しとしか思えない。役者は総じてよい。特にダリ・ベンサーラとサミ・スリマン。評価:B -


「ルー」 
アリソン・ジャネイがアクションものの立ち役を演ずることができるという証明のみ光り輝く駄作。終盤の「どんでん返し」にはただただ呆れた。評価:C


「JOHNNY GUITAR」 
近年再評価されているニコラス・レイの1954年度作品。英語版で鑑賞したので「大砂塵」という邦題は外す。この映画、70年代のLAで見た記憶がある。カウンティ・ミュージアム・オヴ・アートだったような気がするがはっきりしない。その時は、セットでの突っ立ち芝居に呆れて途中で出た。

今回、最後まで見て納得したのは、赤狩り批判のメッセージ部分。ダンシン・キッド(スコット・ブレイディ)のカラフルなギャングがコミュニスト、ジョーン・クロフォード演ずるヒロインと、彼女の元カレ、ジャニー・ギター(スターリング・ヘイドン)は赤狩りの波に巻き込まれるシンパ、メーセデス・マッケンブリッジとウォード・ボンド率いるポシが非米活動調査委員会という構図だ。政治風刺としては興味深い。

しかしながら、実生活でハードコアなレスビアンだったクロフォードはその本性赴くままに演じた雰囲気が濃厚。その上大袈裟ベタな舞台芝居で疲れる。ジャニー・ギターは、タイトルロールにも関わらず愚鈍の極み。メーセデスの「オズの魔法使い」型魔女が面白いだけ。評価:B +


「ハリガン氏の電話」 
ドナルド・サザーランドとジェイダン・マーテルの読書会はそこそこにいい。しかし、後半、ホラーにシフトすると単調。スティーヴン・キングの短編が原作だから仕方がないのだが、ホラーを捨てて、少年の通過儀礼映画にすれば評価できただろうに。ジョン・リー・ハンコック演出は手堅いが、脚色が凡庸。評価:B


「スティルウォーター」 
出だしはいい。マルセーユ・ロケもいい。しかし、偶然に頼りすぎのプロットに辟易。マット・デイモンのキャラも、不快。娘役も芝居はうまいが扱いと肢体が不快。トム・マッカーシーの演出はどんどん退化している。評価:B


「アナザー・ラウンド」 
マッツ・ミケルソンと3人の仲間うまい。トーマス・ヴィンターバーグのベストか。ドグマ95の気分はやや残して、悠々たる名匠ぶり。評価:A


「デリシュ!」 
フランス最初のレストランというコンセプトだけで押していけばもう少しマシだったと思う。我が「ペインテッド・デザート」の基本構造を借りたかのような暗殺プロットは蛇足。いずれにせよ演技陣に魅力がないのは致命的。評価:C


「アムステルダム」 
前半退屈。終盤40分の復員軍人会のおお見せ場が反トランプのリベラル映画人集合という感じで気持ち良い。アーニャ・テイラー・ジョイの輝ける美しさに拍手。評価:B


「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」 
ピーター&ゴードンの「愛なき世界」で始まるオープニングは最高。トマシーン・マッケンジーのTWIGGY(小枝のよう)な両腕を効果的に生かしたダンス振り付けも上出来だし、オードリーのモノマネもうまい。

アーニャ・テイラー・ジョイが登場して60年代が華麗に広がるくだりにも興奮する。キザチャラ男役のマット・スミスも「ザ・クラウン」のフィリップ殿下よりもハマり役で、私は彼を見直してしまった。アーニャとのダンスナンバーは前半のハイライトだし、その直後、リアルトのオーディションでアーニャが歌う「ダウンタウン」には涙が出るほど感動した。

それが・・・。

つまり前半は60年代ノスタルジー・リッチなA評価。しかし、後半は「リトル・ショップ・オヴ・ホラーズ」のオリジナル・ロジャー・コーマン版の下の下といった幼稚で一貫性にもロジックにも欠けたチープ・ホラーに化けてしまう。

エドガー・ライトの陳腐なストーリーでトマシーンも無惨。愚作。

60年代英国映画の波を引っ張ったリタ・トゥシンハムとテレンス・スタンプの老残無残な芝居も不快に見えてくる。ジジババ役者で唯一真っ当なのはボンド・ガールを演じたこともある前世紀の美人女優ダイアナ・リグだけだが、この役自体が監督の幼児性を背負わされているから落胆のため息しか出ない。呆れ果てホラー。評価:C


「ピーキー・ブラインダース SEASON 5」 
興味深かったにも拘らずシーズン1を途中でやめ、トム・ハーディが出ているというのでシーズン3に再度挑戦、これも面白かったけど完走せず。

今度はアーニャ・テイラー・ジョイが出ているというのでシーズン5を見始め、全6話を三日間で見る。

キリアン・マーフィ以下のアンサンブルの良さに拍手。

ヘレン・マクローリーがシーズン6撮影開始直後に乳がんで死亡。で、急遽6の導入部を撮り直したと聞いて驚く。残念。評価:A


「ピーキー・ブラインダース SEASON 6」 
シリーズ全体がレクイアムの鈍色嘆きに満ちている。鈍な重さがある。

クリエイターのスティーヴン・ナイトは脚本・監督作の「LOCKE」でも明らかなように、ダイアローグに強くプロット構成に弱い。トム・ハーディ主演のその作品は車を運転するハーディと通話する人々の声のみで構成された退屈作だった。

このシリーズも終盤に行くに従って、回収できない伏線が錯綜する。かと思えば頻繁にご都合主義の「内通」があったりなかったり。

疑り深いはずのトミーが、己の死病宣告に関しては宣告医者の身体検査も怠って、死ぬものとばかり信じ込んでしまい、自殺の引き金を引く瞬間に天国に召された娘ルビーの叫びで真実を探り当てるなどは安っぽさの極み。

マイケルとの対決も、ジョニー・ドッグスを先発させていたというエクスミューズだけで、起死回生の大逆転爆殺&処刑に持って行く恥ずかしい展開だ。

シーズン5で盛り上がったサム・クラフリン演ずる仇役ファシスト、オズワルド・モスビーも、実在の人物ゆえ殺すわけにも行かず、実に中途半端な退場となる。

もっと酷いのは、わがアーニャ様の扱い。

JFKのお父様ジョセフ・ケネディをモデルにしたと言われるアメリカのワル、ジャック・ネルソン(ジェームス・フレッシュヴィル)の退場も花がない。

Netflixはシーズン7はないと言っているのだから、きっちりオトシマエをつける最終シーズンとすべきだった。だらしがない。

演出はシーズン5&6はアンソニー・バーン。うまい監督だが、アクションシーンに波がある。クィックでキメるアクションには強いが、サスペンスフルな時間をかけた殺し合いは弱い。評価:B


2022/10/29 (土)

アーニャとピーキー・ブラインダースに至る9月10月の映像シャワー。


「わたしは最悪。」はエピローグが最悪。昼メロなみのシメで薄っぺら。前半は面白かった。殊に気まぐれに紛れ込んだパーティでのアイヴァンとの出会いと徹夜の浮気寸前会話。ユリア役のレナーテは藤原紀香似でイマイチ乗れず。芝居はうまいが魅力を感じない。アイヴァンもアクセルも監督のオルターエゴだとしたらユリアに当たるかつてのガールフレンドへの未練たらたら映画ということになる。評価:B +


「モガディシュ・脱出までの14日間」
製作費20億円をかけただけあって暴動シーンは凄みあり。ソマリアの話だがケニアで撮影。問題は、韓国キャスト。キム・ユンソクとホ・ジュノの大使二人は手堅いが、第二主役の諜報員参事官役のチョ・インソン、これに対抗する北朝鮮参事官ク・ギョファンが酷く下手。大芝居だし、英語は何言っているのかわからない。韓国勢で良かったのは大使夫人のキム・ソジンだけ。しかし、役はつまらない。

対照的に、ソマリア人を演ずるケニア俳優たちはほぼ全員がうまい。役は小さくて発展性もないが、ワル警官のPeter Kawa、タクシー運転手のEdijoe Mwaniki、外務大臣のAlan Oyugiは印象に残る。(この三人はカワが監督し、ムワニキが脚本を書いたLOST IN TIMEで繋がっている。)

それと、多分Alex Kinuthiaだと思うが、チンピラ反乱分子役の若者も魅力的な役者だ。予告編を見た時に、彼の演技に魅了され、ソマリア側にいい役者を使っているなら、と見る気になった。無名の少年兵たちも表情豊かでいい。

問題は、エンタメ志向の過剰アクション。それゆえ、現実離れした「ソマリア騒乱秘話」に堕ちてしまった。言ってみれば、韓国大使館からイタリア大使館へ避難するだけの話。あの長々と続く銃撃カーチェイスには白ける。カーチェイス自体のクォリティは高いのだが、この状況にはフィットしない。リュ・スンワン監督の幼稚さが露出してしまった。評価:B


「アイヌモシリ」 
米留学の福永壮志監督作品。彼は伸びる。下倉幹人(カント)、秋辺デボらアマチュアの出演者が素晴らしい。ただラスト、サイズの違う子熊を使ってまで儀式にこだわる必要はなかった。カントの仲間もナチュラルで存在感抜群なのだから、この若い世代が連帯して儀式に反対する方が説得力を持てた。カントが仲間に相談しないことはとても不自然でもある。評価:A -

(IMDBを見るとこの監督は「SHOGUN」1エピソードの演出に抜擢されたということになっている。だとしたらアメリカ映画界特有の青田買い。そうやって潰れてしまった若手監督はかなりいる。だいじょうぶかね。)


「ブレット・トレイン」 センスなしの愚作。私は新横浜で途中下車。伊坂幸太郎小説の会話はナチュラルなニュアンスの微妙にズレた感覚が面白いわけで、ベタなコメディ向きではない。デーヴィッド・リーチはその辺が全くわかっていない。故に脳なしが作ったスクルーボール・コメディに堕してしまった。評価:C -


「THIRTEEN LIVES」 13人のタイ人少年サッカー・チームを洞窟から救出した実話をロン・ハワードが真摯に映画化。オープニング・アクトはよくできたタイ映画。そこにヴィーゴ・モーテンセン、コリン・ファレル、ジョエル・エドガートンら英国人洞窟探検プロたちが参加していくプロセスが秀逸。タイ人キャスト(特に子役)も適材適所でバランスよく共演している。評価:A


「MY GENERATION」 マイケル・ケインが案内人となり1960年代英国を偲ぶドキュメンタリー。「ズール戦争」、「国際諜報局」と続くケインの60年代出世作に魅せられた私としてはいくつかお宝映像があってウルウルだったが、現代部分の流れがお粗末。全体的な構成も混沌。評価:B -


「アテナ」 ヴェネツィアのコンペ部門で無冠も納得。タイトルまでの導入部はどう撮ったのかわからない素晴らしきCG活躍ワンテイク。しかし、こういうトリッキーな長回しを多用してムダな歩きが全編に散りばめられ次第に飽きてくる。

悪趣味の極みは三男カリムの死を嘆く次男アブデルの醜悪センチな長回し。それ以降、終盤はプロット展開がボロボロ。兄弟が4人というのは「カラマーゾフの兄弟」への媚びだろう。

60分前後で語れる話を人物の移動と感情発露に付き纏うことで水増ししている感がある。

監督はコスタ・ガヴラスの息子ロマン。父親が「奇襲戦隊」「Z」に於いて、60年代に於ける「度肝を抜くクィックカット」で一世を風靡したことに対抗しての長回しとしか思えない。役者は総じてよい。特にダリ・ベンサーラとサミ・スリマン。評価:B -


「ルー」 
アリソン・ジャネイがアクションものの立ち役を演ずることができるという証明のみ光り輝く駄作。終盤の「どんでん返し」にはただただ呆れた。評価:C


「JOHNNY GUITAR」 
近年再評価されているニコラス・レイの1954年度作品。英語版で鑑賞したので「大砂塵」という邦題は外す。この映画、70年代のLAで見た記憶がある。カウンティ・ミュージアム・オヴ・アートだったような気がするがはっきりしない。その時は、セットでの突っ立ち芝居に呆れて途中で出た。

今回、最後まで見て納得したのは、赤狩り批判のメッセージ部分。ダンシン・キッド(スコット・ブレイディ)のカラフルなギャングがコミュニスト、ジョーン・クロフォード演ずるヒロインと、彼女の元カレ、ジャニー・ギター(スターリング・ヘイドン)は赤狩りの波に巻き込まれるシンパ、メーセデス・マッケンブリッジとウォード・ボンド率いるポシが非米活動調査委員会という構図だ。政治風刺としては興味深い。

しかしながら、実生活でハードコアなレスビアンだったクロフォードはその本性赴くままに演じた雰囲気が濃厚。その上大袈裟ベタな舞台芝居で疲れる。ジャニー・ギターは、タイトルロールにも関わらず愚鈍の極み。メーセデスの「オズの魔法使い」型魔女が面白いだけ。評価:B +


「ハリガン氏の電話」 
ドナルド・サザーランドとジェイダン・マーテルの読書会はそこそこにいい。しかし、後半、ホラーにシフトすると単調。スティーヴン・キングの短編が原作だから仕方がないのだが、ホラーを捨てて、少年の通過儀礼映画にすれば評価できただろうに。ジョン・リー・ハンコック演出は手堅いが、脚色が凡庸。評価:B


「スティルウォーター」 
出だしはいい。マルセーユ・ロケもいい。しかし、偶然に頼りすぎのプロットに辟易。マット・デイモンのキャラも、不快。娘役も芝居はうまいが扱いと肢体が不快。トム・マッカーシーの演出はどんどん退化している。評価:B


「アナザー・ラウンド」 
マッツ・ミケルソンと3人の仲間うまい。トーマス・ヴィンターバーグのベストか。ドグマ95の気分はやや残して、悠々たる名匠ぶり。評価:A


「デリシュ!」 
フランス最初のレストランというコンセプトだけで押していけばもう少しマシだったと思う。我が「ペインテッド・デザート」の基本構造を借りたかのような暗殺プロットは蛇足。いずれにせよ演技陣に魅力がないのは致命的。評価:C


「アムステルダム」 
前半退屈。終盤40分の復員軍人会のおお見せ場が反トランプのリベラル映画人集合という感じで気持ち良い。アーニャ・テイラー・ジョイの輝ける美しさに拍手。評価:B


「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」 
ピーター&ゴードンの「愛なき世界」で始まるオープニングは最高。トマシーン・マッケンジーのTWIGGY(小枝のよう)な両腕を効果的に生かしたダンス振り付けも上出来だし、オードリーのモノマネもうまい。

アーニャ・テイラー・ジョイが登場して60年代が華麗に広がるくだりにも興奮する。キザチャラ男役のマット・スミスも「ザ・クラウン」のフィリップ殿下よりもハマり役で、私は彼を見直してしまった。アーニャとのダンスナンバーは前半のハイライトだし、その直後、リアルトのオーディションでアーニャが歌う「ダウンタウン」には涙が出るほど感動した。

それが・・・。

つまり前半は60年代ノスタルジー・リッチなA評価。しかし、後半は「リトル・ショップ・オヴ・ホラーズ」のオリジナル・ロジャー・コーマン版の下の下といった幼稚で一貫性にもロジックにも欠けたチープ・ホラーに化けてしまう。

エドガー・ライトの陳腐なストーリーでトマシーンも無惨。愚作。

60年代英国映画の波を引っ張ったリタ・トゥシンハムとテレンス・スタンプの老残無残な芝居も不快に見えてくる。ジジババ役者で唯一真っ当なのはボンド・ガールを演じたこともある前世紀の美人女優ダイアナ・リグだけだが、この役自体が監督の幼児性を背負わされているから落胆のため息しか出ない。呆れ果てホラー。評価:C


「ピーキー・ブラインダース SEASON 5」 
興味深かったにも拘らずシーズン1を途中でやめ、トム・ハーディが出ているというのでシーズン3に再度挑戦、これも面白かったけど完走せず。

今度はアーニャ・テイラー・ジョイが出ているというのでシーズン5を見始め、全6話を三日間で見る。

キリアン・マーフィ以下のアンサンブルの良さに拍手。

ヘレン・マクローリーがシーズン6撮影開始直後に乳がんで死亡。で、急遽6の導入部を撮り直したと聞いて驚く。残念。評価:A


「ピーキー・ブラインダース SEASON 6」 
シリーズ全体がレクイアムの鈍色嘆きに満ちている。鈍な重さがある。

クリエイターのスティーヴン・ナイトは脚本・監督作の「LOCKE」でも明らかなように、ダイアローグに強くプロット構成に弱い。トム・ハーディ主演のその作品は車を運転するハーディと通話する人々の声のみで構成された退屈作だった。

このシリーズも終盤に行くに従って、回収できない伏線が錯綜する。かと思えば頻繁にご都合主義の「内通」があったりなかったり。

疑り深いはずのトミーが、己の死病宣告に関しては宣告医者の身体検査も怠って、死ぬものとばかり信じ込んでしまい、自殺の引き金を引く瞬間に天国に召された娘ルビーの叫びで真実を探り当てるなどは安っぽさの極み。

マイケルとの対決も、ジョニー・ドッグスを先発させていたというエクスミューズだけで、起死回生の大逆転爆殺&処刑に持って行く恥ずかしい展開だ。

シーズン5で盛り上がったサム・クラフリン演ずる仇役ファシスト、オズワルド・モスビーも、実在の人物ゆえ殺すわけにも行かず、実に中途半端な退場となる。

もっと酷いのは、わがアーニャ様の扱い。

JFKのお父様ジョセフ・ケネディをモデルにしたと言われるアメリカのワル、ジャック・ネルソン(ジェームス・フレッシュヴィル)の退場も花がない。

Netflixはシーズン7はないと言っているのだから、きっちりオトシマエをつける最終シーズンとすべきだった。だらしがない。

演出はシーズン5&6はアンソニー・バーン。うまい監督だが、アクションシーンに波がある。クィックでキメるアクションには強いが、サスペンスフルな時間をかけた殺し合いは弱い。評価:B


2022/10/16 (日)

ドジャース熱が終わる時。


NLDSナショナル・リーグ・ディヴィジョン・シリーズのGAME2が終わった時点で、私は「ドジャース熱が終わる時」という一文を書き始めた。途中で面倒になり投げ出して、どうせそういうタイトルで書くのなら、GAME4を待ってドジャースの敗退が決まってからにしようと意地悪く考えた。GAME2の凡ミスの連続と、ベリンジャーに代打を送るという「不祥事」でドジャースを応援する気分がすっかり失せてしまったのだ。

先ほど、ドジャースのポストシーズンは終わった。私にしてはあまり興奮もせず、そうだろうそうだろう、このチームでは勝ち進めないよなあ、と妙な具合に納得してGAME3と4の敵地ぺトコ・パークでのドジャースの敗戦を受け入れた。

ベリンジャーは両ゲームともスタメンから外され、GAME4の終盤8回、全く使い物にならなかったクリス・テイラーの代打として登場し、センターフライに倒れた。サンディエゴでは1打席だけの出番だった。守備ではボールに触ることもなく、彼の2022年は終わった。


というか、ベリンジャーのドジャースでの最後のゲームが終わったように思う。来シーズンまで、ドジャースはベリンジャーのキャリアをコントロールしているのだが、このポスト・シーズンでの扱いを見る限り、ドジャースは彼を放出するのではないか、というのが大方の予想だ。

ベリンジャーは「落ちた偶像」の象徴的な選手になってしまった。

彼が生き残るためには、別の球団に移籍して、根底からバッティングフォームを改造するしかないと思う。彼の、すっきりとした立ち姿から体を一閃させるホームラン・スイングはもう通用しない。相手投手に何の脅威も与えない。ホームランの量産は諦めて、足を生かしたコンパクト・スイングに切り替えるべきだ。泥臭く重心を落としたスタンスでリードオフ・バッターを目指すべきなのだ。目標は、打率3割超え、100得点超え。そうやってゲームをこなしていけば、ホームランの数も増えるし、スーパースターの輝きを取り戻すことにもつながるのではないか。


いずれにせよ、ドジャースは、レギュラー・シーズンで22ゲーム差をつけていたパドレスに屈した。A級戦犯を一人上げろと言われれば、デイヴ・ロバーツ監督ということになる。

GAME3はブルペン・ゲームを想定していたから当然のこととして、GAME1のウリーアス、GAME2のカーショー、GAME4のアンダーソンの先発3人を5回までしか投げさせなかった融通の利かないマネージメントが最大の敗因と言っていい。キャッチャー出身の解説者A・J・ピアジンスキーはその点を力説していた。私も同感だ。

ウリーアスは5回79球3失点、カーショーは5回80球3失点、今日のアンダーソンは5回86球無失点でマウンドを降りた。カーショーにはトラフィックを何とかさばいて5回にたどり着けたヨレヨレ感はあったが、6回にマウンドに上がる余力を残していたことも間違いない。ウリーアス、アンダーソンの二人は6回までは確実に投げ切ることができた。

ロバーツはバカの一つ覚えのように、三巡目の対戦を嫌がる。GAME4では6回裏のパドレスの攻撃が三巡目となり一番のハソン・キムからホアン・ソト、マニー・マチャードへ続くというのでアンダーソンを5回で切った。この先発5回切りのセオリーがリリーフ陣への負担となり、GAME4の7回裏打者10人5失点の大失態を呼び込んだといえる。


パドレスのボブ・メルヴィン監督は状況をしっかり押さえて先発を引っ張るところでは引っ張る。GAME1のクレヴィンジャーはドジャース打線に打ち込まれ3回途中で交代したが、以降、ダルヴィッシュ6回途中99球、スネル6回途中96球、マスグローヴ6回101球と投げさせている。それが、ブルペンへの負担を軽くして終盤のドジャースの反撃を封じることにつながった。監督力の差で、ドジャースが敗退したことは間違いない。

とはいえ、モーメンタムあるいは勝利の女神の奪い合いという点から見れば、ドジャースにも勝機はあった。それが、GAME2だ。監督以下選手陣の凡ミスが重なって、ドジャースはこのゲームをパドレスに献上したと私は確信する。そこに、コディ・ベリンジャーも深く関わっている。苦い記憶が何年も残るかもしれない・・・。


過去に何度かドジャース愛が冷めた時期があった。ビル・ラッセルが監督だった1996年から1998年にもそれはあったし、ジム・トレイシーが監督だった2001年から2005年にもあった。マイク・ピアザをメッツに売り渡した時の怒りと絶望は今も覚えている。最大の悪夢は、フランク・マッコートがオーナーの時代だ。

最高の思い出は1981年から1988年に至るワールドシリーズ制覇にサンドイッチされたトミー・ラソーダ・ダイナシティだ。

2019年にはコディ・ベリンジャーがMVPとなり、ドジャース愛がドジャース熱にグレードアップした。本気で、ベリンジャーは伝説の名選手テッド・ウィリアムスの再来だと熱狂した。ウィリアムスの偉業を継ぐシーズン打率4割超えの名選手に、やがては成長すると信じたのだ。

しかし、翌年から、ベリの下降は始まった。2021年の打率は.165。昨今、打者の存在証明となるOPSは.542で、MVPイヤーの約半分に落ちた。ナショナル・リーグで300打席をこなした132名の選手中131位の戦績だった。まるで私の高校時代の成績のようだ。卒業時、私は403人中の401番あたりだった。

ベリには怪我という不運もあったが、復活の兆しが芽生えても、それは短期間で消滅し打席での不甲斐なさに歯止めはかからなかった。起死回生の年となるべき2022年シーズンも打率.210、本塁打19、打点68で終了した。OPSは.654。打撃部門のタイトル資格がある63名の選手中60位だった。

走力と守備力は相変わらず超エリートだが、打力が戻らない。


シーズン終盤6試合は20打数9安打。ホームラン2、打点8と調子を上げたかに見えたが、対戦相手は低迷するコロラド・ロッキーズ。ワイルドカードを勝ち抜き勢いに乗るサンディエゴ・パドレス相手のNLDS最初の2ゲームは6打数1安打4三振。GAME2では、2点差を追う8回裏2死1塁2塁の局面に代打を送られるテイタラクだった。

客観的に見れば、左のクローザー、ジョッシュ・ヘイダーに対して調子を落としている左打者のベリンジャーを下げるのは順当といえる。ただし、デイヴ・ロバーツ監督が代打に選んだ右打者はコンパクトなスイングをするオースティン・バーンズ。控えのキャッチャーで、基本的に守備要員だ。ヘイダーとの対戦成績は5打数1安打。他の候補は怪我から復帰したばかりのクリス・テイラー、ルーキーのミゲル・ヴァーガスがいたが、ロバーツはバーンズを選び、バーンズはセンターフライに倒れた。

ドジャー・ファンは、テイラーを送るべきだったと騒ぐ。ヘイダーとの対戦成績も8打数3安打で、バーンズよりも打っている。

私の考えは違う。そもそも、代打を送るべきではなかったと思う。

そう、ベリに打たせるべきだった。

ベリの対ヘイダーの戦績は、定かではないが、14打数3安打といったところだろう。要は、バーンズ、テイラー、ヴァーガスよりも対戦回数は多いし、2019年にはホームランも打っている。無論、2019年のベリ・スイングではないところに全て起因しているのだが、私が注目しているのは、この日のゲームの流れ、つまりモーメンタムの推移だ。ドジャースが逆転できるシナリオがあるとすれば、キー・プレイヤーはベリンジャーだった。


試合はカーショーとダルヴィッシュの先発で始まり、両者とも5回まで3失点だった。ダルの失点は1回、2回、3回のソロ・ホーマー3本。フレディ・フリーマン(3番)、マックス・マンシー(5番)、トレイ・ターナー(2番)の順で打った。9番打者のベリンジャーはダルに軽くあしらわれ、前半の2打席は2三振だった。

カーショーは5回でお役御免となり、6回のマウンドにはブルスダー・グラテロルが上がった。ここでショートを守るトレイ・ターナーのエラーが出てこれが失点につながった。大量失点に繋がる流れを断ち切ったのは、ベリの超ファインプレーだった。

オースティン・ノラが放ったセンター後方へのライナーを、ベリは、フェンスに向かって全力疾走したのちジャンピング・キャッチしたのだ。抜けていれば、確実に2点タイムリーとなっていた。


パドレス1点リードの6回裏、ドジャースはマンシーがダルを打ち、ノーアウト1塁3塁の絶好機を掴んだ。が、ここにドジャースが犯した致命的なミスが一つあるのだが、日本語放送ではそこに触れていなかったのではないか。

マンシーの打球はフェンスを直撃した。どう見ても二塁打となる当たりだった。それを、マンシーは一塁で止まってしまった。本人は、一塁ランナーのウィル・スミスが二塁で止まったと思って、と言い訳をしたが、マンシーはライトのソトの捕球ポーズに騙されて一塁で止まってしまったのだ。ロバーツも、マンシーが「引っかかった」とコメントをしている。マンシーにはどこかこういう抜けたところがあって、私は今ひとつ、彼を好きになれない。そして、案の定、この進塁ミスが大きく響き、ドジャースは同点にする絶好機を無駄にしてしまう。

パドレスはダルに代えて日本でもプレイしたロバート・スアレスをマウンドに送る。6番ジャスティン・ターナーはスアレスの速球に歯が立たず三振。7番ギャヴィン・ラックスは内野ゴロでダブルプレー。

マンシーが二塁にいれば、ドジャースは内野ゴロでも十分得点できた。これ以降、GAME4でフリーマンがタイムリー・ツー・ベースを打つまで、ドジャース打線は得点圏にランナーを置いて20打数0安打という地獄に落ちるのだ。


そして7回裏、ワンアウトで9番打者の守備で魅せたベリンジャーに打順が回って来る。マウンドにはスアレス。ここまで2試合で5打数0安打4三振のベリは、ツーストライクからの変化球を左中間へのシングルヒットにして塁に出る。続くムーキー・ベッツのシャープな当たりにセンターのトレント・グリシャムはスライディング・キャッチを試みるが失敗。ボールはグリシャムの後方に転がり、レフトのジュリクソン・プロファーが追いかける。

私は、ベリンジャーが一塁から一気にホームを衝くと確信した。

が、三塁コーチのディノ・イーベルはベリを三塁で止めてしまった。打順は、今日ホームランを打っている2番のトレイ、3番のフリーマンに続くゆえ、大事を取ったのだろう・・・。

確かに、ベリは二塁手前でグリシャムのスライディングを見て一度スピードを落としている。しかし、三塁に達したときはプロファーがやっとボールを拾い上げたところだった。ベリのスピードなら本塁を狙うべきだったと思う。

プロファーは山なりの送球を外野の芝まで駆け寄ったショートに返そうとしていた。その位置で本塁へ送球してもノーバウンドでは届かない。バンバン・プレイになったとしてもアドヴァンテージはベリにあった。

こういう消極的な判断が、ロバーツ以下のドジャース・コーチ陣の特徴のように思う。局面局面で、勝負師の大胆な動きができない。結局、続くトレイ・ターナーは三塁ゴロでベリは三塁から動けず、フリーマンは敬遠され、4番のウィル・スミスが凡退して大きなチャンスは潰れてしまった。

8回表にはジェイク・クロネンワースがダメ押しのソロ・ホーマーを放って点差が2点に開いた。


その裏、ドジャースに最後のチャンスが巡って来る。

マンシー、ジャスティン・ターナーが凡退した後、7番のラックスがシングルで出塁すると、メルヴィン監督は左のクローザー、ジョッシュ・ヘイダーをマウンドに送った。そのヘイダーが、8番打者のトレイス・トンプソンを歩かせ、2死1塁2塁でベリンジャーに打順が回ってきたのだ。

しかし、このゲームの後半勢いに乗っていたベリは打席に立たせてもらえなかった。

代打を送られ、ドジャースはGAME2を失った。

GAME3は左腕のブレイク・スネルが先発するというのでベリはベンチを温め、GAME4のジョー・マスグローヴとは対戦成績が悪いと、これもスタメンを外された。ベリよりも対戦成績の劣る選手を出しておきながら、である。

コディ・ベリンジャーを冷遇するドジャースがプレイオフで敗退したのは、私から見れば、至極当然の成り行きなのだ。

ベリンジャーが放出されれば私はドジャースを捨てる。新天地でのベリを応援し、結果が出なければ、MLBから足を洗うかもしれない。

トミー・ラソーダかジョー・トーリに匹敵するおおらかな勝負師がドジャースの監督になってくれれば、またドジャー・ファンに戻るかもしれない。


 a-Nikki 1.02