2019/09/09 (月)

ひじきクスクスDODGERSナディーン。


台風一過、窓外は36度。ガーリックと赤唐辛子たっぷりのオリーヴオイルで炒めたコンニャク、竹輪入ひじきを卵にまぜ、青唐辛子を加えてオムレツにして、トマトソースで煮込んだクスクスを添えて食べた。ゆとりの美味だった。

ドジャースのマジックナンバーは2。マエダがリリーフで9勝目をあげたが、ベリはヒットレス。いずれにせよ、このドジャースはワールドシリーズに到達したとしても、ヤンキースあるいはアストロスを相手に4勝できない。8月末から2週間、先発三本柱とクローザーのジャンセンが不安定で不甲斐ない敗戦を量産している。

主砲のベリも本日までの10試合が32打数9安打5打点2ホーマー。ドジャース史上初のシーズン50本塁打まであと6本だが達成はほぼ無理だろう。序盤戦の勢いはすっかり消えて絶好球の打ち損じが増えている。MVPを期待する「外野の合唱」が重荷のようだ。まだ24才だから気持ちを切り換えることがなかなか出来ないらしい。

監督のロバーツや打撃コーチのスコヤックの「助言」を聞く耳はあっても、プレッシャーは消しようがない。1試合だけでもいいから打順を3番にあげて三塁方向へのバントヒット及びレフト方向への安打狙いを徹底させるとか、発想の転換となる「不自由なアットバット」を体験させなければダメだ。これは無論、本番演技のプレッシャーを軽減しようという映画監督の発想ではあるけれど。正直な話、ワイルドカードで勝ち上がって来るのがナショナルズならば、ドジャースはNLDSで敗退するだろう。勝負強い投手も打者もいないのだから。



2018年のワールドシリーズ、ではなくてカンヌ映画祭では金メダルのパルムドールを「万引き家族」が取り、銀メダルのグランプリが「ブラッククランズマン」、銅メダルの審査員賞が「存在のない子供たち」だった。(そういう見方ならば、監督賞も主演男女も脚本賞も銅メダルということになる)。コンペ出品作は「ブラッククランズマン」、「コールド・ウォー」、「誰もがそれを知っている」、「ドッグマン」、「バハールの涙」、「バーニング劇場版」と見たが、「万引き家族」の優位は変わらなかった。

私はイ・チャンドンの諸作が好きなので「バーニング」には期待していた。が、これはイ・チャンドンにしては珍しい凡作であった。役者はそれぞれにいい。ただし、キャラクターに深みがない。話は通俗単調。唯一の見せ場となる「マジック・アワーの三人」があまりにも不自然で興ざめとなった。

つまり、一ヶ月かけて撮り続けたという「ある日のマジック・アワー」が2、3時間続いたであろうという流れなのだ。マジック・アワーの引き延ばしはあざとさしか生まない。イ・チャンドンは私とほぼ同世代だが、この映画は老いの戯言だ。



その直後に、ナディーン・ラバキの「存在のない子供たち」を見た。レバノンの今と格闘するナディーンと、製作音楽を兼ねたハリッド・ムザンナルの、夫婦の傑出した仕事ぶりに心が揺さぶられた。昨夜の暴風以上の風速で感性がギシギシ軋み、感動の嵐が渦巻いた。

主役のゼイン少年は、今まで見て来た子役の最高峰と言っていい。彼と一才の幼児とのシーンはすべて奇蹟である。主要キャスト全員がシリアやエチオピアの難民であったりレバノンの最底辺で生きて来た人々であり、そういう出演者たちを見事に統率し、カオス(CAPHARNAUM)という作品にまとめあげたナディーンの手腕に、私は圧倒された。

この大傑作を前にしたら「万引き家族」は霞んでしまう。なぜ、この作品がパルムドールとならず、銅メダルしか与えられなかったのか、私は考え込んでしまった。単なる審査員の嗜好で片付けられる問題ではない。政治がからんだのかもしれないし、ジェーン・キャンピオン以来の女性監督パルムドールを謳う「外野席の合唱」に、審査員がうんざりしたのかもしれない。



「外野席の合唱」は私が、ナディーンとともに審査員を務めた2008年のサン・セバスチャン映画祭でもあった。皮肉なことに、そのときの「合唱」はスペインの批評家たちを感動させた是枝監督の「歩いても歩いても」だった。審査員の殆どが、是枝作品を推す合唱をうるさく思い、脚本賞に推す私の声に賛同者はいなかった。

とはいえ、私のリストでも「歩いても歩いても」はトルコ映画、アルゼンチン映画、アメリカ映画に続く4位であったから、その3本を優先させ、是枝作品を諦めた記憶がある。アメリカ人だからアメリカ映画、日本人だから日本映画、スペイン人だからスペイン映画を推すというような、ジンゴイズムは一切なかった。2008年のブログを掘り返せば、もっと詳しいことも書けるが、この時の審査員仲間のハーモニーは最高だった。中でも、ナディーンとは作品の好みも一致していたこともあって、随分と親しくなった。

当時、彼女が監督していたのはデビュー作の「キャラメル」だけで、この作品でも音楽を担当していたハリッドとは、その頃準備していた時代劇の音楽構想を話し合った記憶がある。その企画が実現していれば、ハリッドに、ペルシャ風味のスコアをつけてもらうつもりだった。(「燃えよ剣」では土屋玲子さんがペルシャ風味を見事にアレンジしてくれた)。それから10年、ナディーンと是枝はカンヌでパルムドールを争い、是枝が栄冠を勝ち取ったということになる。



私が見る限り、「存在のない子供たち」の切実さは「万引き家族」を遥かにしのいでいる。安藤サクラ以下見事なアンサンブルのキャストも、このゼインを要のキャストの存在感には及ばない。演出力も桁違いだ。これに匹敵する大傑作は「ローマ」だけだ。「存在のない子供たち」で、ナディーン・ラバキは少なくとも現役女性監督の頂点に駆け上がった。この作品を見逃すことは許しがたい罪である。


2019/08/28 (水)

すべてクリア。


タイムトラヴェルものは十代の頃から好きでオリジナル脚本もいくつか書いている。ペースにすると、10年に一本くらいかな。それ以外のSF関連は戦争映画をサイファイ設定で焼き直すアイデアが多い。「ガンヘッド」も、本来やりたかったのはゾルトン・コルダの「サハラ戦車隊」のような話だ。

いずれにせよ、条件が整わない限り、SF企画に没頭することはない。他にもやりたい題材はいっぱいあるし、そういうものは大体が、「条件が整わなくても」できる題材だからSFは脇に追いやられる。

「ガンヘッド」直後にジェームス・キャメロン人脈を生かせなかったツケみたいなものだ。そのキャメロン自身が、とっくにMY FAVORITE DIRECTORSのリストから姿を消している。というか、キャメロンが何をやろうが全く興味がわかない。

とはいえコニー・ウィリスの「ブラックアウト」のようにヒューゴ賞、ネビュラ賞、ローカス賞の三冠受賞作品となると、ムラムラっとなるものがある。しかし、読みたいと思ってから読み始めるまでに6年近く時間が経過してしまった。今そこにある魅力的な企画が続いて、SFマインドを耕す気持ちになれなかった。



「ブラックアウト」を読み始めて、改めて気付いたことがある。名作SFといえど、キャラクターに深みがないことだ。考えてみれば、十代の頃、ヴェルヌに始まってアシモフやヴァン・ヴォークトやハインラインやアンダーソンの小説に惹かれたのはキャラクターの魅力ではなかった。世界観の異色さ濃密さだ。

SFは、基本的に、魅力的なキャラを、躍動感をもって描き切ることをメインに据えてはいない。アンビヴァレンスを抱えていなくとも労働量が多ければ主要登場人物たりえるのだ。私が今、作る映画のベクトルは主人公が抱えるアンビヴァレンスの質に向いている。「ガンヘッド」を作った頃とは人物の造形アプローチが異なる。

「ブラックアウト」は、2060年のオックスフォード大学史学部の学生たちが主人公だ。研究対象の「過去」に降下してルール違反をせずに「時代人」と会話を重ね「現場実習」して帰って来る。基本はそれだけの話である。ドラマが始まるのは、帰りの便を探さねばならなくなってからで、それまでは、三人の学生たちが研究対象としている1940年代英国に於ける三つの局面での生活描写がメインとなる。これが矢鱈と長い。OLD CLICHÉキャラがゴマンと出て来る。1940年代英国に関してリサーチしたことを、作者が骨董市の店先すべてを借り切って並べたのではないかと思うくらい長い。



脇役が使い古しのゴミでも主役が輝けば話は転がる。ところが、ポリー、アイリーン、マイクの三人が、魅力的に見える要素が私には皆無だった。ゆえに上巻の半ばで読み進むことが苦痛となった。そこで辞めるのも癪に障る。何しろ既に購入してしまった下巻468ページがその先にでんと控えている。唯一の対抗措置は、ナナメヨミだ。タイムトラヴェルものの魅力は広げた時間の網を取り込むところにある。とにかく最後まで辿り着くことに意義がある。

SFを読む上で大事な要素は、作家との相性だ。年齢に応じて相性は変化する。今の私とコニーとの相性は、よくない。よくないことがわかっていて時間を費やすのは人生残り時間に対する冒涜だ。

結局、数日かけて「ブラックアウト」の下巻まで読み終えたときに、殆どなにもドラマが始まっていないことに気付いた。上下巻合わせて1200ページを超える「オールクリア」を読まないと、時間の網が閉じないのだ。

ここで多くの読者が撤退したことだろう。私も真剣に撤退を考えた。いずれにせよ「オールクリア」はまだ購入していないのだ。2時間ほど考えて、前進を選んだ。そして翌日届いた「オールクリア」上下を前に、心に決めた。完全読了は放棄して部分確認をメインとする。持ち時間は3時間。

要は、各チャプターの最後のページさえしっかり読めば後は飛ばしのスピードリーディングでも意味が繋がるのだ。結局、3時間半で「確認」を終えた。



時間を扱った小説の感動ポイントは「時を超えての再会」だ。それは私の場合、中学で「マイナス・ゼロ」を読んで感動して以来、「恒例の展開」となっている。今回もそれはある。が、新鮮味はない。おそらくそうなるであろうとは「ブラックアウト」を読み終えた時点で予測がついた。そのことを確認したいために1200ページを3時間半で目を通したとも言える。

この小説を映画化したいとは思わない。映画化するとすれば、私が納得できる唯一のアプローチはコリーを主役に据えることだ。1940年代に降下したまま戻って来ない「憧れのおねえさま」ポリーを救うために、5年費やして、閉ざされたポリーやアイリーンの時間帯への降下を目指すコリーのオブセッションを中心に描く。現実の恋をとるか理想の恋を追い求めるかといった葛藤を絡め、小説では描かれていないコリーの生きた時間を物語の核に据えない限りドラマは生まれない。

いずれにせよ、冗漫なコニー・ウィリスはもういい。


2019/08/28 (水)

すべてクリア。


タイムトラヴェルものは十代の頃から好きでオリジナル脚本もいくつか書いている。ペースにすると、10年に一本くらいかな。それ以外のSF関連は戦争映画をサイファイ設定で焼き直すアイデアが多い。「ガンヘッド」も、本来やりたかったのはゾルトン・コルダの「サハラ戦車隊」のような話だ。

いずれにせよ、条件が整わない限り、SF企画に没頭することはない。他にもやりたい題材はいっぱいあるし、そういうものは大体が、「条件が整わなくても」できる題材だからSFは脇に追いやられる。

「ガンヘッド」直後にジェームス・キャメロン人脈を生かせなかったツケみたいなものだ。そのキャメロン自身が、とっくにMY FAVORITE DIRECTORSのリストから姿を消している。というか、キャメロンが何をやろうが全く興味がわかない。

とはいえコニー・ウィリスの「ブラックアウト」のようにヒューゴ賞、ネビュラ賞、ローカス賞の三冠受賞作品となると、ムラムラっとなるものがある。しかし、読みたいと思ってから読み始めるまでに6年近く時間が経過してしまった。今そこにある魅力的な企画が続いて、SFマインドを耕す気持ちになれなかった。



「ブラックアウト」を読み始めて、改めて気付いたことがある。名作SFといえど、キャラクターに深みがないことだ。考えてみれば、十代の頃、ヴェルヌに始まってアシモフやヴァン・ヴォークトやハインラインやアンダーソンの小説に惹かれたのはキャラクターの魅力ではなかった。世界観の異色さ濃密さだ。

SFは、基本的に、魅力的なキャラを、躍動感をもって描き切ることをメインに据えてはいない。アンビヴァレンスを抱えていなくとも労働量が多ければ主要登場人物たりえるのだ。私が今、作る映画のベクトルは主人公が抱えるアンビヴァレンスの質に向いている。「ガンヘッド」を作った頃とは人物の造形アプローチが異なる。

「ブラックアウト」は、2060年のオックスフォード大学史学部の学生たちが主人公だ。研究対象の「過去」に降下してルール違反をせずに「時代人」と会話を重ね「現場実習」して帰って来る。基本はそれだけの話である。ドラマが始まるのは、帰りの便を探さねばならなくなってからで、それまでは、三人の学生たちが研究対象としている1940年代英国に於ける三つの局面での生活描写がメインとなる。これが矢鱈と長い。OLD CLICHÉキャラがゴマンと出て来る。1940年代英国に関してリサーチしたことを、作者が骨董市の店先すべてを借り切って並べたのではないかと思うくらい長い。



脇役が使い古しのゴミでも主役が輝けば話は転がる。ところが、ポリー、アイリーン、マイクの三人が、魅力的に見える要素が私には皆無だった。ゆえに上巻の半ばで読み進むことが苦痛となった。そこで辞めるのも癪に障る。何しろ既に購入してしまった下巻468ページがその先にでんと控えている。唯一の対抗措置は、ナナメヨミだ。タイムトラヴェルものの魅力は広げた時間の網を取り込むところにある。とにかく最後まで辿り着くことに意義がある。

SFを読む上で大事な要素は、作家との相性だ。年齢に応じて相性は変化する。今の私とコニーとの相性は、よくない。よくないことがわかっていて時間を費やすのは人生残り時間に対する冒涜だ。

結局、数日かけて「ブラックアウト」の下巻まで読み終えたときに、殆どなにもドラマが始まっていないことに気付いた。上下巻合わせて1200ページを超える「オールクリア」を読まないと、時間の網が閉じないのだ。

ここで多くの読者が撤退したことだろう。私も真剣に撤退を考えた。いずれにせよ「オールクリア」はまだ購入していないのだ。2時間ほど考えて、前進を選んだ。そして翌日届いた「オールクリア」上下を前に、心に決めた。完全読了は放棄して部分確認をメインとする。持ち時間は3時間。

要は、各チャプターの最後のページさえしっかり読めば後は飛ばしのスピードリーディングでも意味が繋がるのだ。結局、3時間半で「確認」を終えた。



時間を扱った小説の感動ポイントは「時を超えての再会」だ。それは私の場合、中学で「マイナス・ゼロ」を読んで感動して以来、「恒例の展開」となっている。今回もそれはある。が、新鮮味はない。おそらくそうなるであろうとは「ブラックアウト」を読み終えた時点で予測がついた。そのことを確認したいために1200ページを3時間半で目を通したとも言える。

この小説を映画化したいとは思わない。映画化するとすれば、私が納得できる唯一のアプローチはコリーを主役に据えることだ。1940年代に降下したまま戻って来ない「憧れのおねえさま」ポリーを救うために、5年費やして、閉ざされたポリーやアイリーンの時間帯への降下を目指すコリーのオブセッションを中心に描く。現実の恋をとるか理想の恋を追い求めるかといった葛藤を絡め、小説では描かれていないコリーの生きた時間を物語の核に据えない限りドラマは生まれない。

いずれにせよ、冗漫なコニー・ウィリスはもういい。


2019/08/27 (火)

GOOD DODGERS BAD DODGERS UGLY DODGERS…


今月は21日までに8ホーマー、20打点のベリンジャーが本日までの6試合では21打数2安打。打点ゼロ。しかも、ワールドシリーズのプレヴューと目されていた対ヤンキース3連戦では三振6でシングル一本。最悪だ。

対ヤンキース最終戦はホームで1対5の敗戦。ワールドシリーズ2年続けてホームで敗戦したときのスコアが、2017年の対アストロズ戦も、2018年の対レッドソックス戦も1対5であったことを考えると、今年のワールドシリーズの禊ぎであったと思いたいところだが、ワールドシリーズまで行き着けるかどうか。


2019/08/27 (火)

GOOD DODGERS BAD DODGERS UGLY DODGERS…


今月は21日までに8ホーマー、20打点のベリンジャーが本日までの6試合では21打数2安打。打点ゼロ。しかも、ワールドシリーズのプレヴューと目されていた対ヤンキース3連戦では三振6でシングル一本。最悪だ。

対ヤンキース最終戦はホームで1対5の敗戦。ワールドシリーズ2年続けてホームで敗戦したときのスコアが、2017年の対アストロズ戦も、2018年の対レッドソックス戦も1対5であったことを考えると、今年のワールドシリーズの禊ぎであったと思いたいところだが、ワールドシリーズまで行き着けるかどうか。


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