2025/02/04 (火)

アナーバー日記。その2。


1月23日。木曜日。
ミシガン大学にはアナーバーのダウンタウンと渾然一体となったセントラル・キャンパスの他に、車で10分ほどの郊外の丘陵地帯に広がるノース・キャンパスがある。卒業生のアーサー・ミラーの業績を記念するモダンなアーサー・ミラー・シアターもここにはある。マーカスは、そこからさらに5分ほど走らせたノースキャンパスと森林地帯の境にある倉庫ビルに私を連れて行ってくれた。

雪景色の中で異彩を放つその巨大長方形の建物は、どこぞの惑星の銀色の砦に見える。マーカスはその建物をMAVERICK COLLECTIONと呼んだ。シャッターが降りた搬入口の脇にある通用口に、そのコレクションの管理を任されているフィルが現れ、我々を中に入れてくれた。

「エイリアン」と「スター・ウォーズ」と「シルクウッド」が合わさったビルにようこそ、と彼は言う。天井が高く広いメタリックな廊下が縦横に広がって各セクションが重いドアに仕切られた空間は宇宙船の内部のようでもある。だから最初の2作の引用はわかる。「シルクウッド」は、メリル・ストリープが演じたカレン・シルクウッドが働いていた核燃料工場のイメージで引用したのだろう。


フィルは坊主頭の巨漢。有能なライブラリアンだと、マーカスは言う。このビルには卒業生を中心に寄贈された膨大な量の書籍や資料が保管されている。映画関係だけでも、オーソン・ウェルズ、ロバート・アルトマン、ジョナサン・デミ、ローレンス・キャスダン、ジョン・セイルズの、それぞれの映画宇宙を彩る資料が収納されている。様々なプロップやポスター類もある。

オーソン・ウェルズの場合は「市民ケーン」で使用した黒い帽子も杖もあった。
様々なスケッチやアイデアが書かれたノートもあった。私が「関ヶ原」で参考にさせてもらった「フォルスタッフ」又は「CHIMES AT MIDNIGHT」のオリジナルの絵コンテもあった。これらは競売に出されたら7桁の値段がつくかもしれないレアものだ。フィルがウェルズの娘の知遇を得て寄贈されたのだと言う。

他の四人の監督の場合は、それぞれの部屋に100を越えるボックスが収納されている。彼らが携わった映画の詳細な資料やメモが詰まった宇宙だ。人間的には問題あるが、整理能力に優れているのはローレンス・キャスダンだ、とフィルは言う。寄贈された時点で、完璧な目録ができていたらしい。

私の映画人生はおそらくボックスにして20個あるかないかだろう。アメリカで映画を作ると言うことは、エージェントや弁護士、ステュディオ重役たちとのやり取りだけで膨大な量のメモが残る。その差は大きい。ストレスも巨大だ。

フィルは2時間かけて映画宝庫を案内してくれた。私はひたすら圧倒され、オーソン・ウェルズの黒い帽子を被って記念写真におさまった。


ディナーは夜の「関ヶ原」上映に備えて早めに食べた。アナーバーの人気レストランのひとつSAVA’S。ギリシャ系の店だ。私はギリシャ風サラダのハーフとフィッシュ&チップスを頼んだが、またしても大部分がテイクアウトだった。

前夜のディナーはCJSの三人の女性教授たちと超人気のMANI OSTERIAでのイタメシだった。そこでは時差ぼけもあって食欲もうつろで、女性陣のオーダーした品々を摘む程度だった。

この夜の場合は、マーカスの親友でもある音楽関係の仕事をしているピーターと男三人でのディナー。ピーターは大阪西成区の住民だったこともあり、完璧な大阪弁を話すインテリだ。数時間後に控えた「関ヶ原」Q &Aに備え英語感覚を養いたい私の気持ちを二人は察してくれて、会話は英語で通したけれど。

「関ヶ原」の冒頭挨拶を、次週、その次の週と続く日本の三大変革期のことを話すか、それとも、最近私が思うに至った三成、土方、阿南陸相という三人の主人公のアルベール・カミュ的生き方の共通項を話すべきか、と相談するとピーターは即座に、カミュ、と答えた。マーカスも、日本の三大変革期に関しては上映後の質疑応答で、自分が振ると提案してくれた。

カミュ的生き方というのは、不条理から逃れらないがニヒリズムに走ることがない生き方のことで、最近読み始めたカミュの諸作によって、カミュも、三成も、土方も、阿南陸相も、志半ばによる不条理な死を迎えたと考えるようになったためだ。


上映会はとてもいい雰囲気で始まり、上映後のトーク・イヴェントも1時間に及んだ。私も久しぶりに大画面で「関ヶ原」を鑑賞し、改めて、我がスタッフ、キャストの熱気を堪能した

「SHOGUN」の1話と2話を劇場で見た時、天皇制に一切触れてないゆえにオーセンティシティに著しく欠けていると思ったが、「関ヶ原」でも天皇を描くことは避けている。

が、二箇所、「天皇の権威」に触れているところを確認して安心した。「SHOGUN」のように逃げてしまったわけではない。製作費が足りないから描かなかっただけだ。


2025/01/31 (金)

アナーバー日記。その1。


1月21日火曜日。
初めて豊洲駅からリムジンバスに乗る。羽田空港第3ターミナルまで約30分。
6年ぶりのアメリカ行きで緊張する。しかも本日からドナルド・トランプが居座るアメリカだ。恐ろしい。

ミシガン大学が用意してくれたのはデルタ航空のビジネスクラス。ホームページを見ると機内食に力を入れているようだ。多少の期待感はある。

手荷物検査。システムが変わったことを実感。出国カードの記入もない。こちらは随分簡略化された。通関してデルタのラウンジへ。広い。サラダバーがいい。他のホット・ミールも充実している。ヌードル・バーもある。ポップコーンのサーヴィスもある。ふと気づくと、小柄な中年の日本人女性が皿を取っ替え引っ替え食べ続けている。ガツガツではない。黙々。驚くべき食欲。

デトロイトまで往路は11時間。復路は13時間プラス。座席はフルフラットになるから楽は楽だ。ただし、よく眠れるかというと、私はダメ。気圧の関係か、頻尿の頻度がぐーんと増して1時間に一回の割合でトイレに行くハメになった。
離陸の時は地獄の苦しみを味わった。


機内映画は、ケヴィン・コスナー監督・主演の「HORIZON/AN AMERICAN SAGA」と「ワイルド・ロボット」を見た。前者はカンヌでアウト・オヴ・コンペとして招待された3時間超のウェスタン。後編も同じくらいの長尺があるからリミテッド・シリーズと言った方がいいかもしれない。コスナー版の「西部開拓史」と言ったところだが、全米批評家の評価はイマイチだった。

私の感想も似たようなものかもしれない。「ダンス・ウィズ・ウルヴス」の格調とは縁遠いし、ジョン・フォード騎兵隊三部作の風味と深みにも欠ける。期待外れだった「アメリカ、夜明けの刻」ほどの不器用さはないが、導入部はかなりバタバタしている。色々な要素を混ぜ合わせ後半の伏線回収に繋げようとしているのだが、まず立ち役のコアであるべきコスナーが、最初の1時間登場しない。

コスナー自身は年輪を重ねて、ヘンリー・フォンダやゲイリー・クーパーが演じた誠実な西部男の味わいが増している。映画史に記録すべきリアルで素晴らしい決斗シーンもある。決斗のパートナーであるサイコパス、ケイレブ・サイクスのジェイミー・キャンベル・バウアの危険度も見事だ。この若い俳優がイギリス出身と聞いて、私は驚愕した。

この決斗へ続く坂道の長い会話シーンは、ネチネチギラギラからむジェイミーと、リアクションをメインに据えたコスナーの微妙な表情変化のコントラストが絶品だ。ワイオミング開拓地のロケーション設定も素晴らしい。さらに、ここに後半のヒロインになると思しきアビー・リーが絡んでくる。彼女は「フュリオサ」では私の目に留まらなかったが、オーストラリア出身の実力派だ。近い将来オスカー候補に名を連ねるようにもなるだろう。作品評価としてはB +。


「ワイルド・ロボット」は楽しく見ることが出来た。吹き替えのルピータ・ニョンゴとペドロ・パスカルのケミストリーが最高だった。評価:B +。

機内食の方は、ミシュラン星のシェフが監修したという和のディナーはそれほど心を奪われなかったが、到着前の朝食で選んだスパニッシュ・オムレツは実に美味だった。

デトロイト到着後の通関は拍子抜けするほどスムースで、頻尿の危機に襲われることもなく迎えの車の運転手と合流。広い高速を順調に飛ばして30分強でアナーバーに到着。日が暮れる前にザ・ベル・タワー・ホテルにチェックインすることができた。到着日には何の予定も入っていなかったので、荷物を広げたあとは街に出てメキシコ料理店を探した。

アメリカ到着第一食はミシガン劇場の並びにあるTIO’S MEXICANを選んだ。スターターのポーク・トスターダ(13ドル)だけで日本人化した胃袋にはちょうど良かったのだが、メインにチリ・レレノ(24ドル)を頼んでしまった。これが大失敗。半分も食べることが出来なかった。6年ぶりのアメリカで複数皿を平らげる若さは、私にはもう残っていない。


1月22日水曜日。
朝、寝坊したマーカスが15分遅れで到着。ZINGERMAN’S ROADHOUSEへ彼の車で行き朝食。ジンガーマンはアナーバーで複数店舗を持つデリの店で、このロードハウスは私が出発前にチェックし、是非とも食したいと思っていた名店。
店の雰囲気はLAエリアで私が行き慣れたどこのデリよりも格調高く、ブース席に着いた時から私の胃袋は歓喜の雄叫びをあげていた。この一食を何にするかに迷いはなかった。最高のデリ食はいつでもどこでも誰とでもコーンビーフ・ハッシュ&エッグスなのだ!

6年ぶりの正統派コ―ンビーフ・ハッシュ&エッグスだったからかもしれない。
ジンガーマンのそれは、人生最高のコーンビーフ・ハッシュ&エッグスだった。

午後はマーカスの二つのクラスに出席した。最初はオーディトリアム風な教室での映画史クラス。生徒は50人ほど。マーカスの司会で私の映画史を語った。質疑応答になったとき出た質問の一つは、作り手として、一般的には評価されないけど自分は評価する映画というのはあるのか、だった。

これは私にとっての最高作3本、ハワード・ホークスの「赤い河」、黒澤明の「七人の侍」、ジッロ・ポンテコルヴォの「アルジェの戦い」を入念に語り、小津とベルイマンを語ったことと関連して出てきた質問だったと思う。いわゆるGUILTY PLEASUREという密やかな愉悦だ。レコードで言えばB面、二本立てで言えば添え物を楽しむ、そういう感覚でもある。

咄嗟に出たのはサム・フラーの「東京暗黒街・竹の家」だった。即座に、マーカスが「あれは駄作だ」と言ってくれたので「ギルティ・プレジャーの権利」は得ることが出来た。「ヘルドッグス」がオマージュとして捧げた映画でもある。

講義の後、このクラスで映写技師を担当しているという青年が私のところに来て、フラーの名前をあげたことに感謝して、生前、フラーがこのオーディトリアムで講義をやったことを教えてくれた。

ハリウッド・マヴェリックのサム・フラーを師匠と崇めることが私のギルティ・プレジャーかもしれない。


2025/01/31 (金)

アナーバー日記。その1。


1月21日火曜日。
初めて豊洲駅からリムジンバスに乗る。羽田空港第3ターミナルまで約30分。
6年ぶりのアメリカ行きで緊張する。しかも本日からドナルド・トランプが居座るアメリカだ。恐ろしい。

ミシガン大学が用意してくれたのはデルタ航空のビジネスクラス。ホームページを見ると機内食に力を入れているようだ。多少の期待感はある。

手荷物検査。システムが変わったことを実感。出国カードの記入もない。こちらは随分簡略化された。通関してデルタのラウンジへ。広い。サラダバーがいい。他のホット・ミールも充実している。ヌードル・バーもある。ポップコーンのサーヴィスもある。ふと気づくと、小柄な中年の日本人女性が皿を取っ替え引っ替え食べ続けている。ガツガツではない。黙々。驚くべき食欲。

デトロイトまで往路は11時間。復路は13時間プラス。座席はフルフラットになるから楽は楽だ。ただし、よく眠れるかというと、私はダメ。気圧の関係か、頻尿の頻度がぐーんと増して1時間に一回の割合でトイレに行くハメになった。
離陸の時は地獄の苦しみを味わった。


機内映画は、ケヴィン・コスナー監督・主演の「HORIZON/AN AMERICAN SAGA」と「ワイルド・ロボット」を見た。前者はカンヌでアウト・オヴ・コンペとして招待された3時間超のウェスタン。後編も同じくらいの長尺があるからリミテッド・シリーズと言った方がいいかもしれない。コスナー版の「西部開拓史」と言ったところだが、全米批評家の評価はイマイチだった。

私の感想も似たようなものかもしれない。「ダンス・ウィズ・ウルヴス」の格調とは縁遠いし、ジョン・フォード騎兵隊三部作の風味と深みにも欠ける。期待外れだった「アメリカ、夜明けの刻」ほどの不器用さはないが、導入部はかなりバタバタしている。色々な要素を混ぜ合わせ後半の伏線回収に繋げようとしているのだが、まず立ち役のコアであるべきコスナーが、最初の1時間登場しない。

コスナー自身は年輪を重ねて、ヘンリー・フォンダやゲイリー・クーパーが演じた誠実な西部男の味わいが増している。映画史に記録すべきリアルで素晴らしい決斗シーンもある。決斗のパートナーであるサイコパス、ケイレブ・サイクスのジェイミー・キャンベル・バウアの危険度も見事だ。この若い俳優がイギリス出身と聞いて、私は驚愕した。

この決斗へ続く坂道の長い会話シーンは、ネチネチギラギラからむジェイミーと、リアクションをメインに据えたコスナーの微妙な表情変化のコントラストが絶品だ。ワイオミング開拓地のロケーション設定も素晴らしい。さらに、ここに後半のヒロインになると思しきアビー・リーが絡んでくる。彼女は「フュリオサ」では私の目に留まらなかったが、オーストラリア出身の実力派だ。近い将来オスカー候補に名を連ねるようにもなるだろう。作品評価としてはB +。


「ワイルド・ロボット」は楽しく見ることが出来た。吹き替えのルピータ・ニョンゴとペドロ・パスカルのケミストリーが最高だった。評価:B +。

機内食の方は、ミシュラン星のシェフが監修したという和のディナーはそれほど心を奪われなかったが、到着前の朝食で選んだスパニッシュ・オムレツは実に美味だった。

デトロイト到着後の通関は拍子抜けするほどスムースで、頻尿の危機に襲われることもなく迎えの車の運転手と合流。広い高速を順調に飛ばして30分強でアナーバーに到着。日が暮れる前にザ・ベル・タワー・ホテルにチェックインすることができた。到着日には何の予定も入っていなかったので、荷物を広げたあとは街に出てメキシコ料理店を探した。

アメリカ到着第一食はミシガン劇場の並びにあるTIO’S MEXICANを選んだ。スターターのポーク・トスターダ(13ドル)だけで日本人化した胃袋にはちょうど良かったのだが、メインにチリ・レレノ(24ドル)を頼んでしまった。これが大失敗。半分も食べることが出来なかった。6年ぶりのアメリカで複数皿を平らげる若さは、私にはもう残っていない。


1月22日水曜日。
朝、寝坊したマーカスが15分遅れで到着。ZINGERMAN’S ROADHOUSEへ彼の車で行き朝食。ジンガーマンはアナーバーで複数店舗を持つデリの店で、このロードハウスは私が出発前にチェックし、是非とも食したいと思っていた名店。
店の雰囲気はLAエリアで私が行き慣れたどこのデリよりも格調高く、ブース席に着いた時から私の胃袋は歓喜の雄叫びをあげていた。この一食を何にするかに迷いはなかった。最高のデリ食はいつでもどこでも誰とでもコーンビーフ・ハッシュ&エッグスなのだ!

6年ぶりの正統派コ―ンビーフ・ハッシュ&エッグスだったからかもしれない。
ジンガーマンのそれは、人生最高のコーンビーフ・ハッシュ&エッグスだった。

午後はマーカスの二つのクラスに出席した。最初はオーディトリアム風な教室での映画史クラス。生徒は50人ほど。マーカスの司会で私の映画史を語った。質疑応答になったとき出た質問の一つは、作り手として、一般的には評価されないけど自分は評価する映画というのはあるのか、だった。

これは私にとっての最高作3本、ハワード・ホークスの「赤い河」、黒澤明の「七人の侍」、ジッロ・ポンテコルヴォの「アルジェの戦い」を入念に語り、小津とベルイマンを語ったことと関連して出てきた質問だったと思う。いわゆるGUILTY PLEASUREという密やかな愉悦だ。レコードで言えばB面、二本立てで言えば添え物を楽しむ、そういう感覚でもある。

咄嗟に出たのはサム・フラーの「東京暗黒街・竹の家」だった。即座に、マーカスが「あれは駄作だ」と言ってくれたので「ギルティ・プレジャーの権利」は得ることが出来た。「ヘルドッグス」がオマージュとして捧げた映画でもある。

講義の後、このクラスで映写技師を担当しているという青年が私のところに来て、フラーの名前をあげたことに感謝して、生前、フラーがこのオーディトリアムで講義をやったことを教えてくれた。

ハリウッド・マヴェリックのサム・フラーを師匠と崇めることが私のギルティ・プレジャーかもしれない。


2025/01/28 (火)

寒い国から帰って来たカントク。


1月21日から27日までミシガン大学日本研究センター(CJS)の招きで大寒波襲来のアナーバーへ行って来た。書きたいこと書かねばいけないことはいっぱいある。どこから書き出していけばいいのか時差ぼけの頭では明確なコースが見つけられない。と言うわけで司馬遼太郎先生の「関ヶ原」の「つぶやき」に従って「思いつくまま」書き進めてみよう。


ミシガン大学のマーカス・ノーネス教授がCJS WINTER 2025 FILM SERIESとして私の作品10本をプログラミングしてくれた。そのオープニングが1月23日で、「関ヶ原」をミシガン劇場スクリーニング・ルームで上映した。

以降の作品はステート劇場にある4つのスクリーンの一つで1月30日の「燃えよ剣」から4月10日の「KAMIKAZE TAXI」まで、毎週一本の上映となる。 
  
「日本のいちばん長い日」、「わが母の記」、「駆け込み女と駆け出し男」、「バウンスkoGALS」、「バッドランズ」、「金融腐食列島・呪縛」、「狗神」の順序で進み「KAMIKAZE」がフィナーレだ。

この10本を選んだ理由は次回以降のアナーバー日記で触れよう。


ミシガン劇場は1927年に建てられた1610席のMOVIE PALACEだ。私が初めてミシガン大学に招待されたのは2001年で、その時にはこの大劇場で「KAMIKAZE TAXI」を上映した。ただこの劇場の壮麗なロビーやバルコニー席の記憶はまったく残っていない。

ステージに立って一階席のあちこちに散らばった多分200人以下であろう観客を見下ろしながら、私が様々な質問に答えた記憶はある。反応は上々だった。が、不思議なことに、今覚えているのはその中で唯一ネガティヴな質問を放った銀髪老女の姿だけだ。彼女は、「どうして警察が出て来ないの。わたしには理解できない」と不満をぶつけてきた。他の観客は失笑し、私は冗談っぽく、警察側を描く予算がなかったんです、とだけ答えた。銀髪老女は硬い表情のまま受け止め、それ以上追求してくることもなかった。

今回はこの大劇場ではなく、壮麗なロビーを抜けて奥の通路(ここにも様々な展示がある)を下ったスクリーニング・ルームと呼ばれる200席の美しい新設小劇場での「関ヶ原」上映となった。イメージとしては、TOHOシネマズ日比谷のスクリーン12(旧スカラ座)とスクリーン13の位置関係だ。

マーカス曰く、音響設備は小劇場の方が圧倒的にいい。それは、私も、1月23日の夜体感した。大劇場では1月24日にデーヴィッド・リンチ追悼上映として「ブルー・ベルベット」がプロミングされていた。


ミシガン劇場のサヴァイヴァルの歴史と映画宮殿らしい優雅な外観はネットでご覧いただくとして、ステート劇場の方は、正面のマーキー以外、当時の様相はない。元々は1940年に建築され1900席あったそうだ。現在は、一階部分をスーパー・マーケットのTARGETが占拠、映画は2階バルコニーを改築した4つのスクリーンに追い込まれ、新作中心の上映となっている。この二つの劇場の関係図はMICHIGAN THEATERのサイトに載った写真で確認できる。

ステート劇場は私が滞在したTHE BELL TOWERの裏にあたり、歩いて5分もかからないミシガン劇場との中間点にある。上映作品の中でも、日本での公開が遅れそうな「NICKEL BOYS」(アカデミー賞脚色賞と作品賞にノミネート)が24日から始まったので、この作品を見て、映写環境をチェックするつもりでいたのだが、結局、夜の寒さに負けて出かけることはなかった。


ミシガン大学のセントラル・キャンパスはアナーバーのダウンタウンに混在している。街と大学の境目といったものがない。私が今回訪れたのはこのセントラル・キャンパスと北東の広大な敷地に点在する未来型のノースキャンパス(主に卒業生の寄付で建てられた)。全米でもトップ3に入る名門州立大学である。

社会科学分野、建築、アジア地域研究、スポーツ強豪校としての評価が特に高いと言われている。映画、文学での人材育成にも力を注いでいる。卒業生アーサー・ミラーの業績を称えるアーサー・ミラー・シアターはノース・キャンパスにあって、文字通り、光り輝いている。それ以上に驚いたのは、超フューチャリスティックな「倉庫」にあるマーヴェリック・コレクションだ。そのことはアナーバー日記で詳細に書く。


デトロイトとアナーバーは車で40分ほどだ。20世紀の一時期デトロイトにはアメリカの富が集中した。巨大建造物が立ち並び、そこはアール・デコの芸術表現の空間になった。自動車産業の衰退とともにデトロイトは荒廃したが、文化は残った。2001年の旅ではその荒廃ばかりが記憶に残っているが今回は、文化と知性が活力になった再生の力を感じた。

そして、アナーバーで味わった最高のデリ、デトロイトで遭遇したわが生涯で最も美味なエンチラーダ・ロハス。そんな話もしよう。

6年ぶりにアメリカに戻ってきた日、TVではバーニー・サンダースがトランプの醜悪なるoligarchy(少数独裁制)を口撃していた。

トランプの愚かさに屈しない知性がアナーバーにも溢れている。


2025/01/28 (火)

寒い国から帰って来たカントク。


1月21日から27日までミシガン大学日本研究センター(CJS)の招きで大寒波襲来のアナーバーへ行って来た。書きたいこと書かねばいけないことはいっぱいある。どこから書き出していけばいいのか時差ぼけの頭では明確なコースが見つけられない。と言うわけで司馬遼太郎先生の「関ヶ原」の「つぶやき」に従って「思いつくまま」書き進めてみよう。


ミシガン大学のマーカス・ノーネス教授がCJS WINTER 2025 FILM SERIESとして私の作品10本をプログラミングしてくれた。そのオープニングが1月23日で、「関ヶ原」をミシガン劇場スクリーニング・ルームで上映した。

以降の作品はステート劇場にある4つのスクリーンの一つで1月30日の「燃えよ剣」から4月10日の「KAMIKAZE TAXI」まで、毎週一本の上映となる。 
  
「日本のいちばん長い日」、「わが母の記」、「駆け込み女と駆け出し男」、「バウンスkoGALS」、「バッドランズ」、「金融腐食列島・呪縛」、「狗神」の順序で進み「KAMIKAZE」がフィナーレだ。

この10本を選んだ理由は次回以降のアナーバー日記で触れよう。


ミシガン劇場は1927年に建てられた1610席のMOVIE PALACEだ。私が初めてミシガン大学に招待されたのは2001年で、その時にはこの大劇場で「KAMIKAZE TAXI」を上映した。ただこの劇場の壮麗なロビーやバルコニー席の記憶はまったく残っていない。

ステージに立って一階席のあちこちに散らばった多分200人以下であろう観客を見下ろしながら、私が様々な質問に答えた記憶はある。反応は上々だった。が、不思議なことに、今覚えているのはその中で唯一ネガティヴな質問を放った銀髪老女の姿だけだ。彼女は、「どうして警察が出て来ないの。わたしには理解できない」と不満をぶつけてきた。他の観客は失笑し、私は冗談っぽく、警察側を描く予算がなかったんです、とだけ答えた。銀髪老女は硬い表情のまま受け止め、それ以上追求してくることもなかった。

今回はこの大劇場ではなく、壮麗なロビーを抜けて奥の通路(ここにも様々な展示がある)を下ったスクリーニング・ルームと呼ばれる200席の美しい新設小劇場での「関ヶ原」上映となった。イメージとしては、TOHOシネマズ日比谷のスクリーン12(旧スカラ座)とスクリーン13の位置関係だ。

マーカス曰く、音響設備は小劇場の方が圧倒的にいい。それは、私も、1月23日の夜体感した。大劇場では1月24日にデーヴィッド・リンチ追悼上映として「ブルー・ベルベット」がプロミングされていた。


ミシガン劇場のサヴァイヴァルの歴史と映画宮殿らしい優雅な外観はネットでご覧いただくとして、ステート劇場の方は、正面のマーキー以外、当時の様相はない。元々は1940年に建築され1900席あったそうだ。現在は、一階部分をスーパー・マーケットのTARGETが占拠、映画は2階バルコニーを改築した4つのスクリーンに追い込まれ、新作中心の上映となっている。この二つの劇場の関係図はMICHIGAN THEATERのサイトに載った写真で確認できる。

ステート劇場は私が滞在したTHE BELL TOWERの裏にあたり、歩いて5分もかからないミシガン劇場との中間点にある。上映作品の中でも、日本での公開が遅れそうな「NICKEL BOYS」(アカデミー賞脚色賞と作品賞にノミネート)が24日から始まったので、この作品を見て、映写環境をチェックするつもりでいたのだが、結局、夜の寒さに負けて出かけることはなかった。


ミシガン大学のセントラル・キャンパスはアナーバーのダウンタウンに混在している。街と大学の境目といったものがない。私が今回訪れたのはこのセントラル・キャンパスと北東の広大な敷地に点在する未来型のノースキャンパス(主に卒業生の寄付で建てられた)。全米でもトップ3に入る名門州立大学である。

社会科学分野、建築、アジア地域研究、スポーツ強豪校としての評価が特に高いと言われている。映画、文学での人材育成にも力を注いでいる。卒業生アーサー・ミラーの業績を称えるアーサー・ミラー・シアターはノース・キャンパスにあって、文字通り、光り輝いている。それ以上に驚いたのは、超フューチャリスティックな「倉庫」にあるマーヴェリック・コレクションだ。そのことはアナーバー日記で詳細に書く。


デトロイトとアナーバーは車で40分ほどだ。20世紀の一時期デトロイトにはアメリカの富が集中した。巨大建造物が立ち並び、そこはアール・デコの芸術表現の空間になった。自動車産業の衰退とともにデトロイトは荒廃したが、文化は残った。2001年の旅ではその荒廃ばかりが記憶に残っているが今回は、文化と知性が活力になった再生の力を感じた。

そして、アナーバーで味わった最高のデリ、デトロイトで遭遇したわが生涯で最も美味なエンチラーダ・ロハス。そんな話もしよう。

6年ぶりにアメリカに戻ってきた日、TVではバーニー・サンダースがトランプの醜悪なるoligarchy(少数独裁制)を口撃していた。

トランプの愚かさに屈しない知性がアナーバーにも溢れている。


 a-Nikki 1.02